脱サラ物語/第1章~ジリ貧生活からの脱出

ども。kissyeeです。

自分事ですが「脱サラ物語」を書きます。長いこと平均年収以下の派遣社員だった私が40歳を迎えて十分稼げるようになったリアルな話を書くことにします。

ちなみに私の稼ぎ口は、投資やインターネットビジネスではなく、20代の頃からやってきた設計の仕事の延長線上にあります。だいぶ遠回りしているので、最短距離を行きたい人には参考にならない話かもしれません。

脱サラの7年前までさかのぼって、当時考えていたことや自分の想いを書いて行こうと思います。これを書くことで、どなたかの人生のヒントになったら嬉しいです。

それでは、kissyeeの脱サラ物語のはじまりはじまり~( ・ω・)ノ


2013年初頭のこと

私は横浜市内の上場企業に小さなエンジニア会社から出向の身分で勤務していました。世間的にはマイナーな分野で、尚且つマニアックな設計(解析)の仕事は性に合ってましたが、風景の変わらない毎日を変えたくて転職サイトに自分の経歴を出していました。

転職を考えた理由は、青い鳥を求める気持ちが3割、給料アップが7割といった感じでした。2人目の子供が生まれたばかりで、出向の身分ではどうしても契約単価があって賃金アップは絶望的だったのです。

先が見えないジリ貧生活

自分が安く使われている認識はありました。世間で言われるサラリーマン平均年収を50万くらい割込む稼ぎで、乳飲み子2人と仕事復帰できない奥さんを抱え、ボーナスが出るかどうか分からない身分の33歳派遣サラリーマンでした。このまま定年まで堪えられるだろうか。イヤ、どう考えても無理。奥さんにも子供にも将来苦労をかけそう。父として夫として男として、焦る気持ちは日に日に増していきました。

毎月のように銀行口座の残高は目減りして行き、このままでは生活できなくなりそうだから実家に同居させてもらって親のスネをかじるかどうか真剣に考えていました。奥さんともそんな話をして、貧乏人生を決めるか、実家に転がり込むか、奥さんの実家でマスオさんを決めるか。何度も話して、いつも堂々巡りしました。

足るを知るも不安は増大

お金がないので贅沢はしませんでした。外でお茶を買うのも我慢したし、自分のためのものは買わないと決め、奥さんと娘二人が居ればそれで良いと考えていました。

それはそれで毎日子供の笑顔に囲まれ幸せでしたが、愛情が増すほどに将来の不安も増すばかり。今はまだ良いけど、この幸せがいつまで続けられるのか。3年後はちゃんと暮らせているのか。どう考えてもこのままじゃいけないことは明白でした。

他力本願と不信感の間で揺れる

学生時代に想い描いていたようなカッコ良くてイケてる設計会社(なおかつ給料高いとこ)からスカウトがかからないかと、天文学的確率の期待を込めて転職サイトに登録しましたが、来るのは3Kのお仕事ばかり。やはり現実はそう簡単ではなかった。

「貴方のような素晴らしい人材を探していました!!将来は幹部候補として採用を考えています!!素晴らしい仲間たちと生き生きと仕事しませんか!!!( ゚∀゚)人(゚∀゚ )☆ウヒャヒャ」

求人の案内メールが来るたびに募集企業に不信感が募るばかりでした。なぜなら、どの会社もキラキラしてて、良いことしか書いてないし、同じような文章でした。どうせ雇われライターが書いたんだろう。なんで毎回募集してるんだよ。それに乗せられて今の会社に来たようなもんだし、もうその手は信用しねーぜ!と警戒していました。(例えるなら、亀が甲羅に全部引っ込めてる感じw)

やっぱり自分には労働に労働を重ねるような仕事をしない限り、給料アップは無理なんだろう

と半ば自信を失くしていたのでした。

ジリ貧男のプライド

とは言え、誰かの口車の上に自分の人生を預ける事にも違和感があって、わずかにアップした給与額を重視するような選択をすれば、近い将来また同じ問題にぶち当たるのだろうし、ジリ貧人生はもう嫌だと考えていました。

実はこの頃、年に1回は一級建築士の試験に挑んでは不合格で、もう7年程トライし続けていました。なまじ一次試験はパスしてたりするので諦めきれず、雀の涙の給与では払えない予備校の学費(30万程)を奥さんの貯金通帳から出してもらったりしていました。

今振り返っても絶対に戻りたくないしんどい時期。だからこそ後には引けなかった。やっぱり建築士は諦めますなんて言える訳なかった。合格する以外に道がないと考えていたのでした。

神様のきまぐれギフト

思考がやさぐれていたある日、イメージに近い会社から本気度の高さを示すダイレクトメッセージが来ました。そこにはよく見る定型文のような文章ではなく、血の通った熱が感じられる文章で「貴方が今やっている仕事の知識と能力が当社に必要だから会って欲しい」と書いてありました。

その日は興奮して家に帰りました。まだ携帯にメールが来ただけなのに、頭の中はお祭り騒ぎだったのです。

面接と厚かましい要求

ダイレクトメッセージに返事をして一週間くらいたった頃、熱も覚めて、受けてもダメなんじゃないかとネガティブ思考が巡り始めていました。テンション下がった僕を奥さんは励ましてくれました。かくして「行くだけ行ってみる」と言って家を出たのでした。

社会科見学と千載一遇のチャンスの気持ち半々(いや、8:2くらい)で向かいました。オシャレな街「恵比寿」の超高級マンション。眺めのいい小さな部屋に通されて、よそ行きの背伸びした自分をキープしながら社長とざっくばらんな世間話を1時間程しました。初めは緊張しましたが、おしゃべりは得意な方なので、調子にのってだいぶしゃべり過ぎました。

おまけに今思えばかなり図々しくて、地元が好きだから近くに引っ越すつもりはないとか、交通費全額(月33,000円程)出して欲しいとか、色んな仕事を担当し、社会人としての経験をさせて欲しいとか。どうせ受からないと思ってたので好き勝手なことが言えたのでした。(この業界には珍しいタイプだったよと社長後日談)

その後、入社試験の問題用紙を渡されるも半分くらいしか解らず「チャンスを逃した」と落胆しましたが、社長の寛大な措置(きまぐれ?)により無事入社試験をパスすることができ、そそくさと転職を決意したのでした。(結局は社長の度量が大きかったお陰で実力で受かった訳ではないと思っている。)

これでジリ貧生活からおさらばだ( ´;゚;∀;゚;)!!と歓喜したとき、僕の銀行口座の残高はわずか5万円しでしたw(ノンフィクションです)

つづく…( ・ω・)ノ

kissyee

※第2章もよろしくお願いします(。・`з・)ノ

※自叙伝ダイジェストもありまーす( ・ω・)ノ


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