【伊木ヒロシ名言集】自分でコントロールできるものを増やすこと

ども。kissyeeです。

伊木ヒロシさんの『心に宿る名言』を濃縮還元でお伝えしていきます✨

皆さんに届きますように (。・`з・)ノ

本日の名言(2020.03.14)

自分でコントロールできるものを増やすこと (by 伊木ヒロシ)

画像1

誰かの判断がないと仕事が進まない、自分で決定できないなどの場面に遭遇することはありませんか。もしかすると、日頃そうした状況下にある方もいらっしゃるかもしれませんね。

別記事〈自叙伝ダイジェスト〉でも触れているのですが、私の「フリーターからの大企業の社畜時代」はまさにそんな日々を過ごしていました。

その会社は日本を代表する企業で、グループ会社も含めて約4万人ほど(多分外注さん含む)が所属する会社でした。

私はその会社に「不足人員枠」でたまたま雇用されました。要するに誰でも良かったのです。仕事の内容は「忙しい社員の雑用係」でした。

社会から一度ドロップアウトしてフリーター階級だった私が、ホワイトカラーに昇格するためには贅沢言ってられませんでした。とにかく日々のスケジュールなどなく、言われたことを淡々とこなすことが使命でした。

「コレ明日まで」「やっぱりこっち最優先で今日中ね」みたいな感じです。2着で19800円のスーツを着ている私には、六大学出身のロレックスをした社員には「いいえ」なんて言える訳がなかったのです。

昭和的なお付き合いが濃い会社でした。アフター5はみんなでパチンコ。その後は必ず宴会。部長の機密費で行きつけのしゃぶしゃぶ(これは本当に美味しかった)。そのあとフィリパブでカラオケ。社員旅行は熱海でコンパニオン付きバカ騒ぎ。出張に行けば接待したり、されたり。体育会系で飲める奴が発言力も強く、下戸の私は片付けや雑用を任せられる。これが社会の不文律(暗黙のルール)と知りました。

そんな中でも皆さんには可愛がってもらって、自分なりに食らいついてやってたんですが、次第に心がついていけなくて、1年半くらいで辞めることにしました。こんな生活は無理だと分かっただけでも良かったのです。


さて、現代版「奴隷村」から抜け出した私には、伊木さんのこの言葉が痛いほど良く分かります。

自分でコントロールできるものを増やすこと (by 伊木ヒロシ)

まさにその通り。自分がコントロールする立場に居ないことがいけなかったのです。自分のせいなのです。その認識を持たなければいけない。

フリーターだった私は「ホワイトカラーに依存しよう」という発想だった。そうすれば今より良くなると思っていた。「何がよくなるのか?」少しの給料が毎月安定的にもらえるということ。大企業に勤めているという世間の目を得られること。親が安心するだろうと。その程度でした。

伊木さんはこうも仰います。「〇〇がなければダメだという思考は依存である」と。私は「皆と同じ働き方をしなければダメだ」と考えていた。そうしないと社会から振り落とされると思っていた。

自由に生きるには?とか、気ままに暮らすには?とか、収入源を複数持つには?などと真剣に考えたこともなかった。

奴隷時代から13~14年ほど経ちました。その間も様々な世間に揉まれ、人並みに浮き沈みもあり、遅ればせながら自分なりに脱サラして、好きなように生きてみようと行動に移すことができました。

「四十にして惑わず」って孔子が言いました。40歳を迎えて、行動できたことが取り合えず自分的には〇です。次は「五十にして天命を知る」です。この10年で果たしてどこまで届くのか?また試行錯誤していこうと思います。

今日は書くことで押入れの中身を出したような感覚です。色々断捨離したくなったので、またたくさん捨てて、新しい人・物・事を取り入れていこうかなと思います。

今日はこの辺で(。・`з・)ノ

kissyee

【追記】そうそう。月日が流れて、社畜時代の会社に打合せで行ったことがあるんです。その席で「昔ここで働いてて、〇〇部長には大変お世話になりました」と話したら向こうの担当者が驚いた顔をして「〇〇は弊社の社長です」と。ビックリしました。当時からオーラのある人でしたがまさか社長になるとは。「もっと気に入られておけば…」と下衆な考えがあったことを素直に認めますww

----------------------------〉〉〉Youtubeも見てや~

--------------〉〉〉オンラインサロンにも来てや~

--------------〉〉〉kissyeeおすすめ記事読んでや~


記事を気に入って頂いて、サポートも頂けたらとても嬉しいです✨😝💕励みになります‼️これからも有益な記事を書いていきますので応援よろしくお願いします🙇⤵️