見出し画像

『向日葵畑の向こう側』③

【第三場】 鷹乃学習たかすわちわざをならう


まるで何かの力に導かれるように、頭のスイッチに電源が入る。
カーテンを引いて窓を開ける。爽やかな風と共にまだ熱しきらない、心地いい空気が部屋に流れ込んでくる。朝日は柔らかく、陽向を祝福している。

蝉の声がするが、不思議と耳障りではない。まだ寝ぼけているのか、途切れ途切れに力なく鳴いている。

陽向「夢を諦めていない、まだ……」

あの時のゴール手前、目標だった全国大会が潰えたあの瞬間。目を閉じると不快だったあの映像が、今は何故か遠い彼方に感じられる。
怪我をしていなかったら今どんな生活をしていたのだろう。そんなことがふとよぎったが、以前ほどの悔しさは感じない。
あれはあれで自分にとって必要なことだったのだ。

陽向「踏み出すんだ!もう一度」

その時、三ヶ月ぶりに目覚まし時計がけたたましく鳴った。かつてなら蹴っ飛ばしたいくらいの憎たらしい音だが、今の陽向にとってはまるで試合の時のスターターのようだ。陽向は目覚ましを力強く止めた。

洗面台に立つと、鏡には目に生気を宿した青年が映っている。
陽向は何かを確かめるように何度も何度も顔に水を浴びせた。

陽向「よし! いける。俺はもうやれるんだ」

陽向は部屋に戻ると、掛けてあった制服に手をかけた。夏の制服に袖を通すのはこれが初めてだ。陽向は身も心も本当に生まれ変わったような気がした。
台所へ行くと、母の由利ゆりが朝ごはんの支度をしている。心なしかいつもより表情が明るい。

由利「陽向、おはよう」
陽向「母さん、おはよう」
由利「もう大丈夫そうね。安心した」
陽向「色々心配かけたけど、もう大丈夫だよ」

朝食もそこそこに家を出る。

陽向「行ってきます」
由利「いってらっしゃい。しっかりね」

手を振っている母はよく見ると以前より小さく見えた。その原因が自分にあると思うと申し訳ない気分になるが、そのためにもここで元に戻るわけにはいかない。
陽向は心を新たにした。

最寄り駅から電車で一駅。最寄り駅から学校までは目と鼻の先だ。
ただしここには急坂があって、運動部ならば絶好のトレーニング場所となる。
陽向は思わず自分を試したくなったが、脚のことを思い出して自らを静止した。

急坂を上がり切るとすぐに学校の正門が現れた。まだ早かったのか、登校している生徒の数はまばらだ。正門に入ってすぐ右手には桜並木がある。不登校になる前はまだ桜が咲いていた気がするが、今はすっかり葉桜になっている。

陽向にとって、三ヶ月ぶりとなる校舎は一際大きく見えた。昇降口から校舎に入ったが、すぐに下駄箱で戸惑う。すっかり自分の場所を忘れている。まるで転校生のようだ。ひとつひとつ名前を確かめていると後ろから声をかけられた。

??「おはよう、青井くん! 君の下駄箱はここだよ」

短髪で色白の男子生徒が陽向の下駄箱を指さしている。
どうしてこうも向こうばかり一方的に自分を知っているのだと戸惑う陽向。

陽向「あ、ありがとうございます!困っていたので助かりました」
??「敬語はいいよ。同じ学年なんだし」
陽向「ええと、キミは……」
??「あ、そうか。そうだった。はじめまして。俺は佐伯、佐伯学さえきまなぶ
陽向「佐伯、学くん?」

どこかで聞いたことがある名前だ。ここまで出かかっているが思い出せない。

学「さて、俺は朝練行くから、またね」

学はそう言うとグラウンドの方へ走っていった。

陽向「さえきまなぶ……運動部かな。まぁいいや。今は職員室だ。先生に挨拶しないと」

由利から話は通してあるはずだが、職員室の前に来るとやはり緊張する。
不登校を責められたりしないか。サボっていたと怒られるんじゃないか。そんな不安が急に襲ってきて、職員室に入れないでいると声をかけられた。

??「おお! 来たな! 青井くん!」

振り返ると、担任の松永先生が立っていた。数学の先生らしからぬスポーティな佇まいだ。実際に家から走ってきたのか額に汗している。
知らない人からすれば、どう見ても体育教師兼教育指導といった感じだろう。まぁそれにしては若手すぎる気もするが。

松永「そんなとこ突っ立ってないで。入って入って。遠慮しなくていいよ」

松永先生は勢いよく職員室に入ると、「おはようございます!」と言って中に入っていった。陽向は勢いに乗じて「ぉはょぅ……す」と我ながら情けない声で挨拶すると、そそくさと松永先生についていく。
松永先生は、自分の席に荷物を置くと、すぐに陽向の方を振り返り、両肩に手を置いた。
陽向は一瞬ビクッとしたが、松永先生の目を見てすぐに安堵した。

松永「青井くん、もう大丈夫なのか?」
陽向「は、はい……本当にご心配をおかけしました」
松永「何の何の。本当に心配したけどよかったよ。また学校来てくれたんだな」

その瞬間、陽向は本当に救われた。陽菜も由利も佐伯も、そしてこの松永先生もみんな自分という存在を、居場所をこの世界に残しておいてくれていた。
それを勝手に拒絶していたのは、自分自身だったのだとようやく理解した。

松永「色々と慣れるまで大変だろうが、無理するなよ」
陽向「先生、ありがとうございます。これから頑張ります」
松永「あ、授業遅れてるから、課題は『毎日』出させてもらうから、覚悟しとけよ」

陽向は、カッカッカと笑う松永先生を見て、やはり現実はそこまで甘くないと考え直した。
教室へ着くと意外にも周りの反応は普通だった。最初は怪訝な顔をしていたクラスメイトたちであったが、以前とは違い雰囲気の明るくなった陽向の周りには人だかりができていた。さながら転校生のような扱いである。
一日が終わる頃にはすっかり何の違和感もなくクラスを構成する一生徒となっていた。ここでも陽向は自身の『勘違い』に気付かされたのだった。

放課後になり、ふと『佐伯くん』のことが気になって、グラウンドまで足を伸ばしてみる。既に運動部が練習を始めているようだった。

上級生「よーし、じゃあ、もう一回200の流し10本で一旦5分休憩な!」

したり顔の上級生に、下級生が「さっき10本やったばかりで、マジですか!?」とうなだれている。
たまにやるのだ。こういった洗礼を。入部したての下級生のモチベーションや根性がどれくらいあるのか確かめる、というのは表の名目で、先輩としての威厳をその身に受けてもらうのが主な目的である。

陽向「俺も中学の時やったっけ。気の毒に」

何だか懐かしくなって不思議と笑みがこぼれる。また陸上を再開してみようか、そんな気分になった時である。
一周り終えた長距離の集団が帰ってきた。一見すると女子バレー部かと思うほど、圧倒的に女生徒が多い。その中に学がいた。
学は陽向を認めると、先輩らしき女性徒に「ちょっとすみません」と一言断ってから、陽向の方へ近づいてきた。

学「青井くん、来たね」
陽向「佐伯くんって陸上だったんだ」
学「そうそう。昔からね。前は青井くんと同じ100mやってたんだけどね」

陽向はその言葉でピンときた。

陽向「まさか、あの100mで全国行った佐伯くん?」

学は驚いたように目をパチクリさせていたが、急に嬉しそうな表情を見せた。

学「そのこと知ってる人、初めて会ったよ!」
陽向「やっぱりそうか。どこかで聞いたことあると思ったら。そうか。そうだったんだ」

佐伯学といえば、全国小学生陸上大会で100mの選手として出場した実力者だ。同県では快挙で、当時確か陸上雑誌の一コーナーでインタビュー記事が出ていたはずだ。陽向にとってはかつての憧れであり、目標としていた人物だった。

陽向「何でその佐伯くんがこの学校に?」
学「陽向くんと同じさ」
陽向「え?」

学はジャージの裾を捲り上げると、後ろ足首を指差した。
見ると手術の跡が痛々しく残っている。

学「俺の場合はここさ」
陽向「まさか、それ……」
学「そう。よくあるやつ。バチーンってね。それはもう盛大にね」

陽向も何度か競技会で聞いたことがある背筋も凍る嫌な音だ。トレーニング用のチューブが切れたような音。応援の声がひしめく中でも、会場中にクリアに鳴り響く。これと救急車のサイレンはセットだ。陸上に限らず、運動をやっている者にとってトラウマの一つでもある。

陽向「……アキレス腱やっちゃったのか」
学「そう。中学ではもうそれは怖くて怖くて。歩くのすら、ね。また、切れちゃうんじゃないかって、そう思うと陸上なんかできなくなった」
陽向「それでこの学校に?」
学「そう。勉強に打ち込んで陸上忘れようかなって思ったんだけど」
陽向「それで、俺と同じって」

学はうなずくと、グラウンドの方へ目をやった。

学「ただね、ここの陸上部結構雰囲気いいんだ。もう一回やってみようかな、ってそんな気になった。弱小校だし、リハビリにはちょうどいいかと思ってね」
陽向「そうなんですね」
学「でもね。弱小校だと思って入ってみたらここはすごいよ。やっぱり勉強と同じで根性がある。俺は勉強の成績は中の下だけど、ここには成績上位者もかなりいるんだ。それでいて、県大会にも出たりしてるんだから」
陽向「そうなの?まさに文武両道ってやつか」
学「勉強できる人たちばっかりだから、こっちは大したことないと思いきや、努力するってプロセスは変わらないんだろうね。天は二物与えちゃうんだよ」

思い起こせば、受験勉強はキツかったが、それでも陸上の過酷な練習に比べればマシと思って乗り切った節がある。

学「頭もいいから、効率とか理論とかそういうのも練習に取り入れてる。ほんとこっちも勉強になるよ」

少し希望が見えてきた。ここでも上を目指せるかもしれない。陽向の場合は足首の骨折だ。完治した今なら全く問題なく走れるはず、などと考えていると、それを察したのか学が陽向の心を代弁する。

学「怪我、もう治ってるんだろ?戻ってくればいいじゃない」
陽向「でも今更……ブランクもあるし」
学「一年くらいでしょ。俺なんて中学丸三年だよ」
陽向「三年間も?」
学「全治するのと腐ってたのと……そこから這い上がるのに合わせて三年」

陽向には想像もつかない。三年間も陸上から離れて苦しんだ挙句、戻って来れるなんて。どんな精神力なんだろうと思った。

学「実はリハビリでジョギングだけは続けてたんだよね。脚に負担かからないようにって。毎日欠かさずやってたら、知らないうちに長距離向きの身体に変身してたってわけ」
陽向「そうだったんだ」
学「結局、長距離も向いてたってことで、心機一転って感じ。だから戻ってこれたのかもね」
陽向「心機一転か……」
学「無理にとは言わないけど、陽向くんみたいに頑張ってきた人がこのまま、なんてもったいないと思うんだよね。気が向いたらまた見にきてよ。歓迎するからさ」

すると、先程の女生徒が学の方に向かって「また一周りするよー」と手を振ってきた。

学「おっと。いけない。じゃあ、練習戻るね」

学はそういうと、ものすごい速さで行ってしまった。

陽向「あんなに走って大丈夫なんだろうか……」

自分よりも重症だった学は既に自分を取り戻している。自分も行けるのだろうか。またあの場所に。
陽向は強く立ち上がったが、その瞬間にまたあのゴール手前の映像が浮かんできた。

陽向「またあの時の……」

先程まで気にしていなかった蝉の声がやけに響いてくる。同時に痛めた足首が疼いてきた。

陽向「やっぱり、まだ駄目か……」

陽向はたまらなくなって、その場を逃げるように立ち去った。


【第四場】 土潤溽暑つちうるおうてむしあつし


一学期が終わり、陽向たちは夏休みに入っていた。
陽向は一学期前半の遅れを取り戻すべく、学校で補習授業を受けていた。
数人だけのために入れられたエアコンに多少の申し訳なさも感じながら。

松永「よーし。今日はここまで! 課題出したら人から帰っていいぞー」

陽向は数学の問題を解き終え、課題を教卓に置く。
と松永先生がこちらをニコニコしながら見ている。

松永「用事ってほどでもないんだけどさ、最近どうした?」
陽向「え?何か問題が……」
松永「いや、逆だよ。逆。最近の青井くんは輝いてるなーと。いや、これが本来のキミの姿なのだろう。先生は嬉しいよ」
陽向「へ? 輝いてる?」

先生も陽菜と同じこと言うんだな、と思った途端、陽向の頭に陽菜の顔が浮かぶ。
ここまで立ち上がれたのは陽菜のおかげだ。そう思うと自然と笑みが溢れた。

松永「その調子でがんばれよ。人間には限界はないからな。なりたいと思ったように人はなる。それが意識的であれ、無意識的であれ、だ」
陽向「無意識的にも、ですか」
松永「そうだ。まぁ、この無意識ってのが厄介でなー。人間は一日に何回思考していると思う?」
陽向「1000回くらい……ですかね」
松永「6万回だ」
陽向「6万回も!?」
松永「もう常に何かが頭を駆け巡っている。いいこともそうでないことも、な」
陽向「は、はぁ」
松永「大抵の人は、このネガティブなことを思考している割合の方が多い。大人になればなるほどだ」
陽向「よくわかります」
松永「うん。で、このネガティブな思考が余計な不安を招く。大抵の不運はここから来るのさ」
陽向「どうしてもネガティブになりがちです」
松永「先生もそうだ。だからこそ楽しいことや夢中になれることを精一杯やった方がいい。脳にネガティブな思考をさせる隙を与えないってことだ」

陽向はドキッとした。楽しいことや夢中になれることと言ったら、あれしかないが脚がそれを許してくれるだろうか。

陽向「本当にできるんですか?脳に考えさせない、なんてことが」
松永「できる、と簡単には言えないけど、努力するだけで少しでも変わっていくんじゃないかな。一学期はいろいろあっただろう。だが、少しずつ君は変わり始めている。先生も見習わないと、な。はははは」
陽向「先生……」
松永「おっと引き止めたな。お疲れ! 気をつけて帰れよー」

陽向は「ありがとうございました!」と一礼すると、昇降口に向かう。下駄箱から靴を取り出し、校門のところに目をやると人影があった。
陽菜が手を振っている。

陽向「陽菜!」

心だけはもう走り出していたが、やはり脚は動かなかった。

陽向「陽菜! 待っててくれたの?暑くない?」
陽菜「ううん。私、暑いの平気だから。それにしても補習、大変そうだね」
陽向「あ……うん。まぁ一学期の半分出てないからね。しょうがないさ」
陽菜「そっか」
陽向「でも夏休み中に追いついてやるんだ。二学期の中間テストから巻き返すさ」
陽菜「いい顔してる。私も嬉しいよ!」
陽向「あの、陽菜……」
陽菜「うん?」
陽向「あ、やっぱり何でもない」
陽菜「何それ。気になるじゃない」
陽向「やっぱ内緒だ」
陽菜「そっか。ねぇ、私陽向くんと行きたいところがあるんだけどいい?」
陽向「うん。いいけど、どこに?」
陽菜「秘密の場所だよ。行こう行こう」

陽菜は陽向の手を引くと駆け出した。

陽向「ちょ、ちょっと待って! あ、脚が」
陽菜「気にしない、気にしない!」

半ば強引な陽菜に必死についていく。脚のこともあり、額からの汗が止まらない。
そもそも水なしで昼下がりの炎天下を歩き続けるのは、下手な練習よりもよっぽどキツい。

どこまでも似たような住宅街が続いている。湿気を含んだ蒸した空気がとにかく重い。まるでアスファルトの砂漠を歩いているようだ。
もうどこをどう歩いてきたかも覚えていない。この先に一体何があるというのだろうか。

三十分程歩いただろうか。陽向はたまらず、陽菜の手を振りほどくと、近くの木陰にへたり込んだ。

陽向「はぁはぁ……、どこまで行くのさ、と、とりあえず休憩」
陽菜「しょうがないなぁ。じゃあ、ちょっと休もうか」

陽菜はカバンから麦茶のボトルを取り出すと、陽向に手渡した。
よく冷えた麦茶が身体に染み渡る。

陽向「はぁ……生き返った……」

おそらく今が最も暑い時間帯だ。蝉すら外に出ていないのか音すらしない。
にもかかわらず、陽菜は全く汗もかいてなければ、疲れている様子もない

陽向「な、何でそんなに元気なのよ……長距離向きかもね」
陽菜「え? そう? 体温低いからかな」
陽向「はは……そういうことか……そろそろどこに向かってるのか教えてくれない?もう俺の知ってる場所じゃないよ。ここ」
陽菜「まぁまぁ、行ってのお楽しみ。きっと感動すると思うよ」
陽向「そっか」
陽菜「あともう少しだから」
陽向「わかった。もう少しがんばるか」

陽向はゆっくりと立ち上がると違和感があった。

陽向「痛くない……。いつもならもう疼いてくるはずなのに」
陽菜「ほら、いくよー」

陽菜はもう5m程先を歩いている。陽向は慌ててその背を追った。

緩やかな上り坂を超えると、夏とは思えないほどの冷たい風が全身を駆け抜けた。
同時に眩しいほどの光が飛び込んでくる。陽向はあっと思わず目を閉じた。

陽菜「着いたよ。ここが見せたかった場所」

陽向がゆっくりと目を開くと、一面に金色の向日葵畑が飛び込んでくる。
柔らかな風がサラサラと音を立て、身の丈もある大きな向日葵たちをなでている。
梅雨時期に溜め込んだ湿気は空に向かって立ち昇り、あたりは土の香りに包まれている。

陽菜「すごいでしょ」
陽向「……こんな場所があったなんて」
陽菜「お気に入りの場所なんだ」
陽向「信じられないよ……」
陽菜「そんなに驚いてもらえると、ここまで連れてきた甲斐があったって思えるよ」

一様に太陽に向く無数の大輪が、目がくらむほどの光彩を放っている。
幻でも見ているかのようだった。陽向の人生でこれほどの光景を見たことはない。
その雄大さと美しさの前には、自分の悩みなど小さなものだと思えてくる。
もはや小一時間炎天下で歩いたことなど、どこかに吹き飛んでいた。

その中央、向日葵たちが一筋の細道を作っている。

陽向「この道、どこに続いてるんだろうね」

どこまであるのだろうか、先は見えない。
職業病か。こういう一本道を前にすると、陽向にはトラックのレーンに見えてきて、クラウチングスタートで走り抜けてみたくなる。

思わず中に入ろうとすると、陽菜がそっと陽向の腕を取った。

陽向「え?」
陽菜「……あ、ええと。い、いや、その……」
陽向「どうかした?」
陽菜「ほら、どこまで続いてるかわからないし、迷子になったら大変だから、さ」
陽向「確かにずっと続いてるもんね。向こう側には何があるんだろう」
陽菜「向日葵畑の向こう側……か」
陽向「地球の裏側まで続いてたりして。そんなわけないか」
陽菜「あはは。面白いね! それより、あっち」

陽菜は陽向の手を引いて、近くにあった丘へ上がっていった。

陽菜「ここからよく見えるよ」

陽向も慌てて陽菜についていく。上がりきったところでその光景に息を飲んだ。

涼風がサラサラと向日葵畑一面を波打たせている。
生命の輝きはどこまでも続き、白雲たなびく碧空に金色の線を引く。

陽菜「私、夏が好き。それでこの向日葵は夏の象徴みたいな花でしょ? この暑い中でこんなに元気な花ってなかなかないと思うのよ」
陽向「そうだね。陽菜って、本当に向日葵の花が似合ってるよね」
陽菜「そうかな。そうだったら嬉しい」
陽向「そうだよ。絶対」
陽菜「この形。太陽そのものでしょ。元気もらえる気がして」
陽向「太陽か」

陽菜が嬉しそうにしている。その笑顔は陽向にとってまさに太陽のようだ。
陽向はこの幸福な時がずっと続けばいいと思った。

陽菜「そういえば、私にも陽向くんにもついている、太陽の陽の字。きっと明るく育ってほしいってことなんだろうね」
陽向「そうなのかな?」
陽菜「そうだよ。きっとそう」
陽向「そういえば聞いたことないな。名前の由来なんて」
陽菜「今度聞いてみて。私も知りたい」
陽向「何で陽菜が?」
陽菜「いいじゃない。知りたいんだから」
陽向「でも、もし太陽みたいに、なんて思ってたとしたら、がっかりだろうな。こんな暗く育っちゃってさ」
陽菜「何言ってるの。元々ちゃんと太陽みたいな性格だよ」
陽向「ついこないだまで暗闇で引きこもってたぞ」
陽菜「あんなの風邪みたいなもんだよ」
陽向「風邪、か」
陽菜「そう、風邪」
陽向「だとしたらこじらせなくて良かったかな。このままだと肺炎になってたかも」
陽菜「ほんと元気になってよかったよ」
陽向「陽菜のおかげだよ。ほんとありがとう」
陽菜「どういたしまして!陽菜さんもほんと嬉しいよ」
陽向「(笑いながら)なにそれ?」
陽菜「いや、ほんと嬉しいの。これで私も安心したよ」
陽向「なにそれ」

向日葵畑の帰り道。行きと違って日も落ちて気温も下がったせいか、あっという間に駅まで着いてしまった。

陽向「行きはあんなに遠く感じたのに」
陽菜「あ、あのさ……」
陽向「な、何?」
陽菜「よかったら、なんですけど……」

陽菜が珍しくモゴモゴしている。

陽向「何?改まっちゃって」
陽菜「今度、さ。神社の花火大会行かない? ……もう時間もないしさ」
陽向「え?」
陽菜「あ、ええと、うかうかしてると夏休み終わっちゃうよってこと」
陽向「あ、そういう意味か」
陽菜「い、嫌?」
陽向「そ、そんなわけないじゃん。行こう! 行きたいよ」
陽菜「よかった!」
陽菜「花火大会、楽しみだなー。何着ていこうかな。やっぱ浴衣かなー」
陽向「浴衣!? 陽菜の浴衣、た、楽しみだなー!」
陽菜「おおー。じゃあ、着てこないわけにはいかないねぇ。楽しみにしていてくれたまえよ」
陽向「ははは」

浴衣と聞いて陽向は動揺したが、それを悟られまいと必死に虚勢を張る。
心臓は飛び出そうになり、少しばかり過呼吸になっていた。

陽向「じゃあ、ここで。今日はありがとうね」
陽菜「うん、また今度ね」

陽菜が帰っていく。陽向は、ふと一日の終わりを感じ、寒気がする気がした。
先程まで見えていた太陽がビルの影に隠れていた。



【前】
② 向日葵畑の向こう側 【 第二場 】 蓮始開 


【次】
④ 向日葵畑の向こう側 【 第五場 】 大雨時行 
            【 第六場 】 涼風至


作品一覧(マガジン)

こちらから全ての作品にアクセス頂けます。

#創作大賞2023
#ファンタジー小説部門

日々実践記録として書いておりますが、何か心に響くことがありましたら、サポート頂けましたら幸いです。何卒よろしくお願い致します。