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なぜひとり旅をするのか

「ひとり旅」というと少し自分に酔っている感じがするがお許しを。

学生時代から一人でフラッとどこかへ行くことが好きだった。

八重山諸島、マルタ島、ブルターニュ地方、沖縄、与論島....

自分は昔から恋人がいることがほとんどなかったので、「恋人がいたら一緒にいくのにな。」なんて漠然と思っていた。

・・・

いつからかサラリーマンとして働き始め、営業活動、社内調整、新規事業開発などいろいろなビジネスの場面で意識決定をする機会が増えてきた。

その時の判断軸はもちろん「会社にとってどうだ」だ。

最近自分の中でモヤモヤしている感覚がある。

「自分は自分の人生を生きているのだろうか」と。

僕は過去の対人関係での失敗以降、”他者”の存在を強く意識してしまうようになってしまった。

「この人には今これを期待されているから、こう行動しないとな」というような風に他者の箱の中に自分を当てはめるように。

幸運なことに、現職の会社の社長は自分のこの悪い癖に気付き、僕にある程度の裁量を持たせてくれ「好きなようにやっていい」という環境を作ってくれいる。

ただやっぱりどこかで、自分ではない”他者”が作った環境のために身を、時間を捧げられない自分がいる。

僕はとても自己中だ。わがままだ。自分のためにしか頑張れない。

そんな時に「ああ、久しぶりに一人でフラッとどこかに行きたいな」と思った。

一人で旅しているときは、どの意思決定もすべての結果が自分に降りかかってくる。どこにいく、どの人に道を聞く、どの店に入る、なにをするか、誰と仲良くなるかなど全部。

きっとその時僕は「自分の人生を生きてる」ことを実感していたのだなと。

創業経営者がバイアウトや退任後に長期で海外を旅しているのもよく見るが、誰かのためじゃなくて、自分のためだけの意思決定に飢えていたのではないか、なんてのも馳せてみる。

運良く友人たちには、いまは満たしてもらっていて感謝している。

いろんなところに一緒に行きたいし、楽しいことももっとしたい。

でも、やっぱりひとり旅もいい。

そして、家業を継ぐ日も近づいている。


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