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【読書】日の名残り/カズオ・イシグロ

執事の研ぎ澄まされた佇まい、屋敷で繰り広げられるドラマ、忙しくも輝いていた日々の追憶。
失ってきたいくつかのもの。胸の奥にしまいこんできた感情。
旅路の息を吞むような美しい光景と共に、それらがまざまざと映し出される。

記憶の糸をたぐり寄せるように語られるエピソードからは、慎み深くも、確固とした誇りがにじむ。

素晴らしい小説に出会うことは、美しい光景に目を奪われることに似ている。
絶景を前に言葉を失い立ち尽くすように、物語の中に永遠に留まっていたいとさえ思う。


『日の名残り』

本書は、そんな一冊だった。

◇◆

1956年、イギリス。
かつての主人であったダーリントン卿の亡き後に、大富豪のアメリカ人によって買い取られた屋敷。そこに執事として仕えるスティーブンス。
栄光の日々は既に過去のものになり、彼の職業人生もまた峠を越えつつある。

現在の主人からの勧めに背中を押されるように、彼は昔の同僚ミス・ケントンと再会するために短い旅に出る。

◇◆

「品格」とは何か。
旅の途中で、人生のあらゆる局面で、スティーブンスが自らに問うてきたことだ。

彼は、職務を全うすることに精魂を傾けてきた。
職業人生を通して「品格」を追求し、磨き上げてきた。

品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに堪える能力だと言えるのではありますまいか。

偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるような真似は、たとえごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にいたしません。それを脱ぐのは、みずから脱ごうと思ったとき以外にはなく、それは自分が完全に一人だけのときにかぎられます。まさに「品格」の問題なのです。

スティーブンスは、ダーリントン卿のもとでの華々しいエピソードを思い起こしながら、自分にとも読み手にともつかず語る。

その言葉からは、彼の職人的ともいえる気高さが漂う。
実際にいつ何時でも、役柄を脱ぎ捨てなかったことに、執事という在り方の一つの成就を見る。

だが同時に、彼の徹底ぶりは、やや不器用で頑固な一面としても読み手に映る。
上品でユーモアに満ちた文体が、余計にそう感じさせるのかもしれない。

完璧な執事であり続けるために、その他の代償を厭わず(代償だとすら思わず)、置かれた場所での生き方を貫く。
別の可能性への探索は一切しないまま、孤高の紳士として老いの段階に差しかかる。


旅と休息は必然的に、「あるいは違った選択を採り得たかもしれない」人生の仮定へと彼を導く。

車を走らせながら、ミス・ケントンと話しながら、雄大な景色を眺めながら、もし違った選択肢をとっていたら、と想像する。

それは彼に、後悔にも似た寂寥をもたらす。
夕陽を見ながら、スティーブンスは涙する。

「転機」とは、たしかにあるものかもしれません。しかし、振り返ってみて初めて、それとわかるもののようでもあります。いま思い返してみれば、あの瞬間もこの瞬間も、たしかに人生を決定づける重大な一瞬だったように見えます。しかし、当時はそんなこととはつゆ思わなかったのです。

一見つまらないあれこれの出来事のために、夢全体が永遠に取返しのつかないものになってしまうなどと、当時、私は何によって知ることができたでしょうか。

わき目もふらず執事道を極めていたスティーブンスが、別の道に思いを致し、それまで頑として動かなかった感情が、揺らぐ。

その揺らぎは、ちょうど陽が沈む前の束の間の、淡いきらめきのように、胸を打つ。

だが彼の姿には、文脈を離れてもなお、読み手の心を揺さぶるものがある。
そこには普遍的な、——どこかで感じたことのある心当たりのようなものがあるからだろう。

ある物事が、本当に好きだと気づくまでに、多くの時間を要することもある。
気づいたとしても、今まで自分の支柱になってきたものを手放し、新たな方向へ舵を切ることは、並々ならぬ勇気と覚悟を必要とする。

そんなとき、スティーブンスの涙は、胸の奥底に閉じた「別の可能性」の扉をノックする。

転機が訪れたとき、人はえてしてそれに無自覚なのかもしれない。言い換えれば、今が転機だと感じとることは、それだけで幸運なことなのだ。

そして、感じ取ったときには、思い切ってそれを掴む果敢さが必要なのだ。


mie



日の名残り/カズオ・イシグロ

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