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風水、それは違う、現代においては、間違った情報が乱れ飛んでる!!

①邪道に、振り回されるな!!


コロナもそうですが、我々は間違った情報に、
振り回されてはいけませんね。

何が正しいか、見極めないといけません。

さて風水は、インテリアや間取りの話だと、
思っている人がいますが、それは違います。

正確に言うと、インテリアや間取りは、
風水のごく一部にしか過ぎません。

それでは「家相」と「風水」も違います。

「家相」は「風水」のごく一部であり、
歴史も浅いのです。

風水の歴史が4000年に対し、家相の歴史は

せいぜい江戸時代中期から、つまりほんの
200年程度にしか過ぎません。

おまけに、現代においては迷信や俗信(ぞくしん)が、
入り混じってしまっています。

間違った風水に、惑わされてはいけません。
風水は帝王学なのです。

我々に大切なのは、「時」を制することと、
「人」そのものの気の持ちようです。

仏教にも通じる、このことを、くれぐれも
忘れてはいけません。


②初期の風水、家相なんてない


さて日本では、風水がブームになってきたのは、
ここ20年のことでしょうか?

しかし、日本に風水が伝えられたのは、
今から1400年もの昔なのです。

ただし、今のように住宅中心には、
使われてはいなかったのです。

風水は仏教の伝来とともに、六世紀ごろ
朝鮮半島を経由して、日本に入ってきました。

そして初めて風水を学び、実践したのは
あの聖徳太子だと言われています。

その後、高僧や陰陽師らによって、
全国に広まって行きます。

都市の計画から始まって、いくさの戦術、

寺社仏閣などの公的な建物の建設へと、
応用されていきます。

決して、住宅とのかかわりは、なかったのです。


③僧侶の活躍、戦国時代の軍師


さて、僧侶の活躍をご紹介しましょう。

戦国時代、戦いにおいて大将は、戦局を左右する

重要な方針を、なんと信頼できる家臣に、
指示を仰いでいました。

それが「軍師」であり、僧侶なのです。

軍師と言うと、豊臣秀吉に仕えた竹中半兵衛や
黒田官兵衛のような「作戦参謀」を

イメージしてしまうが、それは違います。

この時代の軍師は呪術、占術の専門家、
すなわち「風水師」または、

「陰陽師」のことを意味していました。

また、「修験者」を、軍師として登用して
いたことも多いのです。

例えば奥州の覇者、伊達政宗は、良学院栄真
なる、祈祷師を抱えていました。

また、九州を席巻し、鬼と言われた島津義久には、
川田義朗なる祈祷師がいました。

また天下を統一し、風水都市「江戸」をつくった
徳川家康には、天台密教高僧の「天海」がいました。

彼ら軍師が、どのようにして占術を行っていたのかは、
さだかではありません。

しかし、軍配に磁石がはめ込まれていたり、

時間をあらわす十二支や、北斗七星の図が
描かれていたのです。

そんなことなどから、占星術、方位術での日時
方位の吉凶を見ていたことが伺えます。

つまり、風水を戦いに使用してるのです。

軍師は、凶作用を吉作用に変える術を心得ていたので、
危険を鎮めることが出来ました。

現在のコロナも、同じこと。

災い転じて福となす、凶作用を吉作用に
変えたいものですねえ。


④日本最古の大学、軍師の養成


さて軍師は、歴史の教科書にも出てくる
「足利学校」で、風水をマスターしています。

天台密教高僧の「天海」も、その一人です。

足利学校は日本最古の大学で、初代の校長は
僧侶が努めています。

そして仏教を教え、風水や占術を教えました。

つまり、僧侶が軍師となるための、
養成学校だったのです。

そこには全国から、三千人もの生徒が集まった
といいます。

そして、ここの卒業生、僧侶たちは、

各地の戦国武将に仕えて、占術的アドバイスを
していくようになったのです。

風水は決して、住宅なんかには、用いられ
なかったのです。


⑤古代中国の帝王学、風水は命がけ


それでは、そもそも風水って、なんだったのでしょう。
それは古代中国に、始まります。

一言で言うと、「帝王学(ていおうがく)」なのです。

皇帝にとってのの場所、首都の場所、戦いの場所
などを決めることは、

国の運命を左右するほどの重要事項でした。

日本の戦国大名にとっても、同じこと。

戦いに負けるということは即、一族郎党「皆殺し」
が待っていたのです。

さらに首都の決定または 墓の設営、または皇帝の
長男誕生の場所も、その後の運命を握るものでした。

それを決定するためには、どうしても風水が
必要だったのです。

そしてこれが、風水の起源なのです。

ただし、皇帝や王にとって、戦いの場所だけが
すべてではありません。

それだけで勝てるのなら、こんなに楽な話はないでしょう。
その人自身の、「器」が何より大切なのです。

現代のわれわれにも、通じる話でしょうねえ。

さて、春秋時代には、国を占領しても完全に
滅ぼしてしまう事は、それほど多くありませんでした。

また滅びても復興する事が、良くあったのです。

それは、国の祭祀を絶つと「国の祖先から呪われる」、
と言う考えからでした。

ところが、戦国時代に入ると容赦が無くなります。
戦争に負ける事は即、国の滅亡につながったのです。

つまり、一族郎党皆殺しで、それは残酷を極めていました。

まさに、弱肉強食の世界です。
そんな中で、風水は磨き上げられていったのです。

つまり、風水は命をかけた、手段だったのです。


建築家・風水師   江口 希之

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