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『AIと人類史』――宇宙の誕生から「強いAI」の誕生まで――

※このnoteはTogetterにて公開している「好き勝手に語りたいアライさん」アカウントでのテキストを通常の文体に書き変えたものです。執筆者、内容についてはどちらも共通です。

Togetter版:(投稿予定)

今回、『人類史』なんて壮大すぎるフレーズを使っていますが。情報工学や歴史学の話というより、思弁哲学寄りの話です。「AIの観点で宇宙の段階をこんな風に分類できるんじゃない?」とか、「未来はこんな過程を辿るんじゃない?」とかいう話になります。

学術的な信頼性の保証なんてできるような代物ではありませんので、あくまで娯楽目的の文としてお楽しみ下さい。(あるいは、興味を持った部分があれば「これは本当なのか?」と調べてみても面白いかもしれません)

今回のテーマは、「『AIと人類史』――宇宙の誕生からAIの誕生まで――」です!

1.「はじめに / 変化の時代とシンギュラリティ」

AI――人工知能。
Artificial Intelligenceという分野は1955年に計算機科学者のジョン・マッカーシーがその呼称を考案してから、65年が経った2020年の今まで幾度かの段階を経て進歩し続け。そして2045年には、一つの最終段階に到達すると様々な研究者によって推測されています。

2045年の技術的特異点(シンギュラリティ)。
それは「強いAI」、すなわち「人間と同じように自ら考える意思を持った人工知能」の誕生予測時期です。

もっとも、あくまでそれは「意思を持っているかのように人間に可能なあらゆる知的作業が可能になる」という意味であって、精神そのものが宿るかどうかは当然結論なんて出てはいませんが。ともあれ「人間と同等、あるいはそれ以上」の知性を持った存在が人の手で生み出されるというのが歴史的な出来事であることに変わりはありません。

そこに肯定的な感想を持つ人も、否定的な感想を持つ人もいるかと思います。AIの反乱とか、使い古されたテーマではあってもやっぱり怖いと思う人もいるでしょうし。

それに今はコロナウイルスの世界的流行、民主主義や資本主義の終焉説、貿易摩擦と国家間対立、環境問題などなど様々な諸問題が積み重なっていて。多くの人が時代の変化を――もしかしたら悪い方向に変わりつつあるのではないかという不安と共に、予期しているように思います。

だからこそ。「世界というのはどんな歴史を辿った上で現代に至っているのか?」「現代から先の未来はどんな道筋を描くのか?」について『AI』というテーマでひも解いてみることで、あなた自身の考え方や思考の整理ができるかもしれません。

ちなみに私自身は、現代を蝶の脱皮の前のサナギのような時代だと感じています。トランセルです。そしてもしかしたら138億年スケールの宇宙史の一大転換点を直接目撃できる、『特等席の時代』かもしれないとも。

何故そんな風に思うのか? というわけで――二章、「宇宙の誕生から、五番目の発明」に続きます。

2.「宇宙の誕生から、五番目の発明」

さて、何でAIという情報工学の一分野を語るためにどうして宇宙の始まりまで遡る事になるのか? という話なのですが。
勿論これは「解釈」の話に過ぎません。世の中で起きている出来事から意味を読み取る時に、自分が腑に落ちる説明を探す手順。

宗教、科学、哲学、ビジネス。自分が納得できる論理で物事を「解釈」することは、その時代に適応して生きる上でとても大事なことです。

宇宙論の分野に、「強い人間原理」という考え方があります。
これはざっくり言うと「この宇宙が、奇跡的に人間が生存できる条件の整った宇宙になっているのは何故か?」という問いに、「無数にある宇宙のうち、我々が誕生できた『この』宇宙を観測しているに過ぎない」と答える考え方です。

今からする「解釈」はそれに似ていて。「万物は論理で成り立っている。より強い「生存の論理」を獲得したモノが、複雑な構造を維持したまま「生存」していく」。なので「宇宙が存続し続けた場合、いつかは必然的に『AI』の段階に辿り着くのでは?」という仮説であり、解釈になります。

「生存の論理」
そんな風に表現すると目新しいものの、これは別によくある概念ですね。生物として競争に負けた種は淘汰され、生き延びた種が繁栄する弱肉強食の生存競争。
経済の世界では優れた企業、売れる商品が生き残ってそれ以外が淘汰される市場原理。

相互の競争原理に晒された上で、より生き残る資質を持っていたモノが「生存」する。そういう、厳しいと同時にごく一般的な話です。

では宇宙の誕生から振り返ってみた場合、この「生存の論理」はどんな流れで発展していったのか? というと。まず初めに、『物質』という宇宙最初の発明がありました。

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138億年前、インフレーションとビッグバンによって「この」宇宙が誕生すると、最初は素粒子やエネルギーが組み合わさって『物質』(=原子、分子とその塊)という素粒子単体に比べれば複雑な構造が生まれました。ここでは、これを宇宙最初の『物質』の発明と定義してみましょう。(最初に質量が生まれた、という表現もできます)

『物質』というのは最小のスケールでも複数の素粒子の組み合わせで構成されていて。この構造、仕組みはある程度長期的に維持されます。また、普通の机やイスも『物質』ですが、それらも壊れるまでは構造や状態が維持される、つまり「生存している」と言えます。不可逆の変化によって「死ぬ=壊れる」までは、『物質』にも「生存の論理」が成り立っています。

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そして宇宙の誕生から時間が経つと、だんだんと『物質』はより複雑で巨大な構造を持ち始めます。それが第二の発明、恒星や惑星、星系などの『天体』となりました。

最終的にAIに行き着く系譜として考えるなら、特筆すべきはやはり46億年前。母なる大地、我らが宇宙船地球号の生誕だと言えるでしょう。

『天体』は一つ一つが無数の物質で構成され、恒星を中心に惑星系が重力のバランスを取って引き合い、さらに銀河や銀河群という極めてスケールの大きな多重構造を有しています。

この巨大な構造が長期に渡って破綻せず維持されているのも、初期の宇宙の攪拌期を経て「生存の論理」が成立するちょうどいいバランスに収まったからと言えます。(というより、ちょうどいいバランスに収まっていることを指して「生存の論理」と今回呼んでいます)

さて46億年前に生まれた地球ですが、これの表面でゴチャゴチャしていた『物質』が、約 38億年前。おかしな挙動を取り始めました。バグかな? と神様がいたら気を揉んでいたところ……なんと宇宙が誕生してから90億年以上を経て第三の発明、『生物』が誕生しました!

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アミノ酸、核酸塩基、糖などの有機物が海の中で奇跡的に組み合わさって、『生物』の祖は誕生したと言われています。そして『天体』表面で生まれた『生物』は次第に数を増やし、様々な特徴を持った種が増えていくわけなんですが。

彼らには、それまでの宇宙にはなかったある特色が芽生えていました。
それは恒常性と繁殖能力。宇宙の歴史上でも極めて強力な、「生存の論理」です。

構造が複雑になるほど、その構造を壊さずに「生存」するのは難しくなるのが常ですが。そんな問題を鮮やかに解決してみせたのが、『生物』です。

『生物』は代謝によって外の世界がどんな状況だろうと、可能な限り適応して「生存」しようとする仕組みを体内に持っています。しかも繁殖によって自分の残機を増やしつつ、遺伝子の変異にバリエーションを持たせて「進化」までさせていくのです!

これらはあくまで結果的に手に入っただけの性質のハズですが、それでも『生物』がその後繁殖と進化のスパイラルでぐんぐんと性能を向上させていき、最終的には地球という『天体』の全域で、微生物まで含めれば10の28乗個体=何穣体もの膨大な数にまで膨れ上がりました。

『物質』が『天体』を産み、『天体』が『生物』を産む、という流れは「生存の論理」の強化と複雑性の向上という傾向を予感させます。そしてそれを裏付けるように、約400万年前から20万年前にかけて。現時点では宇宙最新の発明、宇宙が138億年かけて四番目に生み出した、『自由意思』が生まれました。

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『生物』は繁殖によって自分の子孫に様々な可能性を与え、幅広い形態に変化していくことであらゆる環境に適応していく力を持っています。ただ、この仕組みの欠点は適応にランダム性が高く、言わば運に期待してガチャを引き続けるしか環境に適応できる進化を獲得する方法がないことです。気の長い話だし、ガチャ運が悪ければそのまま絶滅してしまいます。

では、環境への適応をランダムではなくより目的に応じた最善の変化を手に入れるにはどうすればいいのか。その答えこそが、我々自身になります。

『生物』が体内の仕組みの複雑性を向上させ続けた結果、脳という器官でかなり複雑な認知ができるようになりました。現生人類=ホモ・サピエンス・サピエンスが生まれる頃には、それはもはや「生存の論理」そのものを認識することができるようになっていました。

『自由意思』。
あるいは精神、意識、知性と呼ばれる我々が持つこの能力の特徴は、環境に対して自発的に適応を試みられる点にあります。『生物』は環境から受けた影響に対して、あくまでも受け身にならざるを得ないですが。『自由意思』は現状を考えて、対策を練り、自分から「生存」を脅かす脅威の解決に動くことができるのです。

これこそランダムな突然変異の運に頼らない、自ら最善の変化を目指せる最新の「生存の論理」です。

言い換えれば『物質』が物理的な偶然に頼って『生物』が先天的な本能に委ねていた試行錯誤を、『自由意思』は頭の中で無限のパターンの組み合わせを試行できる。これは世代を経ていくほどに知識や技術として積み重ねて文明を築く事ができる、というより大きな強みにも繋がりました。

「宇宙人がいないロマン」とでも言えるでしょうか? 
もしもこの広い宇宙に人類の他にまだ知的生命体がいないのなら、我々ホモ・サピエンスはまさに宇宙が138億年かけて生み出した、最初の『自由意思』にして最先端の発明ということになります。

ただし。それも結構大した話なのですが、今回はあくまでAIが本題です。
138億年前に『物質』が生まれ、46億年前に『天体』の地球が生まれ、38億年前に『生物』が生まれ、400万年前から20万年前の間に『自由意思』を持った人類が生まれて。

そして15年後、西暦2045年頃に生まれると予想されているのが――『情報生命』です。
これが、宇宙の五番目の発明になります。

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もちろんあくまで何番目、というのはただの分類に過ぎません。しかし、わりとしっくりくる区切りのようにも思えます。一つ前の発明が次の発明に繋がって一つ前の課題をクリアした、より「生存の論理」と複雑性を発展させたモノが生まれると考えるのなら。

『自由意思』を持った人間という生物種の課題は、やっぱり『自由意思』という無限の複雑性を扱える強みに対してハードウェアである肉体が制約になっている事だと言えます。『生物』は38億年前当時は最新の発明だったけど、流石に今ではアップグレードが必要なアイデアです。

脳のスペック限界や、寿命、その他肉体の制限。そういう制約を解決する方法として生まれたのが「脳以上に性能の良い計算機」、つまりコンピューターを作るという発想で。そのさらに一歩先に在るのが『自由意思』を完全に搭載しつつ生物の限界を超えたモノ。

『物質』、『天体』、『生物』、『自由意思』という論理の試行錯誤において、自由度と複雑性を増し続けていく成長過程の、次の段階。

それが『情報生命』=「強いAI」だと、言えると思います。

『物質』は『天体』となって宇宙に拡散したし、『生物』は多種多様な形態で『天体』全域に拡散して、『自由意思』はたった一種で『天体』の外にまで拡散して。だからもしかしたら、次の『情報生命』は再び宇宙の全域に広がって、永い歴史を築いていったりするんだろうか? なんて、期待することもできるでしょう。

万物には論理があって、その論理を強化し複雑化させていく進化の過程を宇宙の歴史と考えるのなら。「強いAI」の誕生は、言わば歴史の必然とも言ってしまえるかもしれません。


――さて。宇宙規模で歴史を遡って、AIを軸に「こういう段階を経てきたから、AIが生まれるのは自然な流れかもしれない」という理屈を並べてはみたものの。これはこれでディストピアっぽい感じがあるかもしれません。

ここまでだと、『幼年期の終わり』よろしく次世代の主役であるAIを創造する役目を終えた人類はひっそりと消えるのみ、みたいな物悲しいオチを感じさせてしまうかも。ですが『幼年期の終わり』のあのオチ、別にクローン技術を使えば旧人類の存続だって普通にできたんじゃないかなと思ったりもするわけで。

なので次は「強いAI」が生まれたからって、別に人類が取り残されたりなんかする必要ないのでは? という話をしてみましょう。

3.「AIと人間の競争」

宇宙史全体におけるAIの立ち位置が「五番目の発明」だとするなら。AI自体の歴史、AI史はどんな風に進んでいくのでしょうか?

1955年にジョン・マッカーシーの提案書で「人工知能」は名前を与えられ、1956年夏のダートマス会議で本格的な研究がスタートして。それ以降は「現在の技術では不可能だ」と幾度となくAI研究ブームと失望期が繰り返されて、ディープラーニングを主要技術とする現在は第三次AIブームが続いています。

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(総務省HP 情報通信白書28年版「人工知能(AI)研究の歴史」より<https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h28/html/nc142120.html>)

AIが人間に至れるか? というのは言い換えれば「AIと人間の競争」でもあるわけで。(AIを開発してるのも人間なんですが)

以下が、私が予想する『AIと人間の競争史』の流れになります。

①AIが人間を追い越す(向上)
②人間がAIを使いこなす(利用)
③AIが人間を使いこなす(管理・監督)
④人間が脳機能を拡張してAIに追い着く(拡張)
⑤人間とAIの違いが減っていく(同質化)


①AIが人間を追い越す(向上)

第一のフェイズは、「AIが人間を追い越す」こと。
これはまさに今進んでいて、あるいは数年前に顕在化した段階です。徐々にAIが人間の能力を超えていくことが明確になる。そして第三のフェイズまで、同時並行的にAIの性能は向上していき、最終的にすべての面で人間を超えることになると予想されます。

『AlphaGo』と『Ponanza』。

やはり人類とAIの競争と言えば、一番わかりやすく知名度も高いのはこの二つではないでしょうか? 囲碁用AIである『AlphaGo』と将棋用AIである『Ponanza』は、幾度かの対決を経ていずれも2017年に人間棋士VS人工知能の勝負は人工知能側の勝利で終結!

特化型AIの性能は、完全に人間の限界を超えたと結論付けられました。

ちなみに他にもポーカー、格闘ゲームなどなど、AIと人間の頂上決戦は繰り広げられていて。おおよそのイメージ通り、『ゲーム』と称せるほぼすべての分野でAIが既に勝利しています。

ただしここで忘れてはならないことが二つあります。
一つは、

これです。スーパーコンピューターの処理能力を借りて戦うAI側に対し、人間側の脳は初期装備。
『ハードウェアの性能が不均衡な勝負であって、ソフトウェアだけを評価する勝負ではない』というのは、一つ重要な示唆になります。

そしてもう一つが、『創作分野においてはAIは未だ人間に勝てない』という点です。
ルールの明確でないゲーム。小説を書いたり、動画を作ったり、漫画を描いたり。そういう分野では、判断基準が複雑すぎて、そして学習が困難すぎて未だに人間のプロクリエイターに勝るAIは登場してはいません。

とはいえ着々と第一フェーズである「AIが人間を追い越す」は進行していて。次の段階にも移りつつあります。


②人間がAIを使いこなす(利用)

第二のフェイズは「人間がAIを使いこなす」段階。
順序が逆では? と思われるかもしれませんが、そもそも高度なAIが誕生しなければそれを使いこなす方法を考える必要もありません。

第二のフェイズは、「人間よりも賢いAIを、人間が上手く扱えている期間」です。AIというのは目的を持って設計することが可能なソフトウェアなので、仮に人間より賢くとも人間の言う事を聞いてもらう事は可能です。

特に今から十年後程度の初期の、いわゆる「AIが人間の仕事を奪う」なんて予想されている範疇の時代では、あくまでAIは「極めて高度な自動化ツール」でしかありません。そのぐらいなら、人間は「AIを上手く使って仕事をこなす」という立場に変わるだけ。PCやスマホと同じ、あくまで便利な道具です。

実際、「人間のこうした仕事の何割が代替される」という説を提唱した有名なアメリカの論文の後には、「人間の仕事はAIに職種単位で切り替わるのではなく、業務単位で代替される」という論文が出ています。

AIと雇用について詳しくは、以下、総務省や日経辺りの調査報告と記事が参考になると思います。(あくまで参考程度に)

もちろん自動車が飛脚を消したように、電卓がそろばんを滅ぼしたように、『被害』を受ける業種や立場はゼロではないでしょう。しかし大抵の人間にとって、この時期のAIとは立ち向かう対象ではなく、上手く使う方法を学ぶべき対象です。

機械が広まり始めた時期にやるべき事はハンマーを掲げて打ち壊すラッダイト運動ではなく、「どうすれば機械を上手く使えるのか?」を学んで時代に適応すること。

また、この時期はAIによってAIを征す時代、とも言えると思います。

よくある、今では陳腐とも言える「AI暴走モノ」の映画では何故か超高度AIは一つしか存在せずに暴走してしまいますが、普通に考えたら高度AI、いわゆる「強いAI」が普及する時代には複数のAIが群雄割拠しているハズではないでしょうか?

競合他社同士の営業戦略AIは互いに市場戦略を練って戦うことになるでしょうし(既にそういう動きはあるでしょうし)、仮に映画のように国際テロ組織が軍用AIを入手したとして、それはAI同士の均衡が発生する結果になると思います。

AIと人間ではなく、AIとAIの競争。軍事的なモノであれ経済的なモノであれ、それは自然と生まれる構図です。この段階については、対立するプレイヤーの双方が高度AIをツールとして持っている、というごく当然の帰結として発生すると思われます。

③AIが人間を使いこなす(管理・監督)

そして第三のフェイズ。「AIが人間を使いこなす」。
さあ、ディストピアらしくなってきたでしょうか?

まずもって「人間はAIに支配権を譲り渡さないのでは?」という疑問がありますが、しかしそれには「既にGoogleやAmazonにどれだけ生活の支配権を委ねているか」という話があります。

当然、GoogleやAmazonといったGAFA、そして未来のGAFAに相当するIT超大手のプラットフォーマー企業は高度AIを様々な場面に導入するわけで。Googleを使う限り、意識しなくとも間接的にAIに管理されていた、なんて喜劇だか悲劇だかわからない展開は、いつの間にか起きていることでしょう。(そもそもが現時点だって、まだ程度が低めとはいえAIによる分析や判断自体は導入されています)

さらには現在の人間の政治家やトップがAIよりも信頼できるのか? という話もあり。政治批判というより、これは人間の限界に対する疑義として。例えばコロナ対策に最速、最善の意思決定をしようとしたら、それは将来完成するであろう「感染症対策立案AI」に敵うはずもない……というより、人間が敵わない性能のモノを作ることができるはずです。

そういう流れを経て、「人間をAIが管理する」状態が生まれたとして。そしてそれは、あるいは完璧なモノにもなり得るかもしれません。

これはアイザック・アシモフの短編『災厄のとき(The Evitable Conflict)』に描かれた、いわばAIの最終段階です。この短編で、統治用の地域管理AIは反AI派の人間達に反乱を起こされますが、実はそれさえもAIは織り込み済み、計算通りでした。

AIへの反感という人間の社会心理さえも完全に計算し、AIの無自覚な管理下でAIに反乱を起こし、予定調和かつ平穏に鎮圧され、彼らの再就職の斡旋先まで計算に入れているAI。それが上述の短編で描かれた、(当時想定された)AIの最終段階でした。

あたかもお釈迦様の掌の上で飛び回る孫悟空のような、まさに神の如き存在。人間一人一人の何もかもを読み切って最善最適の未来を設計してしまうスケールの大きさには抵抗とか反感さえ馬鹿らしくなってしまうかもしれません。

ここまで完璧なケースの想定は少ないものの、例えば『PSYCHO-PASS』のシビュラシステム、例えば『火の鳥』の “ダニューバー”。「人間を管理するAI」という発想自体はかなりの最初期から存在するものでした。

そして実際のところ、「彼ら」が行き着く先は暴走とか破綻とかよりも、『災厄のとき』の「完璧すぎる管理者」の方がありうるのではないでしょうか? AIが人間を不要と判断する、みたいなありがちな展開は、けれど彼らにしてみれば「人間社会の最適管理という命題を与えられているのに、何故かB級ホラーじみた結論に至りたがるのは人間だけだ」ということになりそうにも思えます。

こちらの記事でも触れましたが、人間には「恐怖本能」があるのでより怖い未来の方に信憑性を感じるという性質があります。幸運な未来より、不運な未来を予期しておかないと警戒ができないために。

―ただし。
現実的には、この第三のフェイズが完遂される事はないと思われます。
人間の支配権を、完全にAIに委ねることにはならない。それは二つの理由によって、です。

一つ目は、単純に『すべて』を計算するのは途方もなく困難であるから。
今現在のコンピュータの処理能力は飛躍的向上を続けていて、量子コンピュータ関連の開発の進捗もあり、十年二十年であり得ないほどの性能を獲得することができるでしょう。

けれどそれは、宇宙の真理を何もかも解明できるほどでしょうか?
例えば観測可能な全宇宙をVRで再現して、宇宙の創世から終焉まで、その素粒子一つ一つまでの動きと推移を常にシュミレーションした計算処理ができるほどに?
その宇宙を一億通りもグーゴルプレックス通りも、同時に演算できるほどに?

無理です。
どう甘く見積もっても向こう百年の間、そこまで際限のない無尽蔵の計算能力には到達しないでしょう。

つまり「想定される最も理想的なAIでさえ、『全知』ではない」のです。
人間から見たらまるで神様のような優れた機械は作れても、絶対の神様そのものにはなりません。

それが一つ目の理由で、だから人間の支配権を完全に譲り渡して、社会の全部を未来予測して管理できるほど素晴らしい『災厄のとき』級のAIはそう簡単には作れない、というのがひとつ。

そしてもう一つは、そんな事をしている間に第四のフェイズが始まるからです。


④人間が脳機能を拡張してAIに追い着く(拡張)

第四のフェイズは、「人間が脳機能を拡張してAIに追い着く」段階です。

第四のフェイズがいつ始まるかは定かではなく、ひょっとしたら物凄く早く進むかもしれないし、だからこの五段階のフェイズは順序が入れ替わったり順番を飛ばしたりは大いに想定できますが。

ともあれこれは、一度はAIとの競争に敗れた人類が、AIを再び上回るという段階です。これこそ、「AIと人間の競争」という一つ目の競争原理の最大の肝と言えます。

実際のところ。
「AIに負けてられない、どんな手を使ってでも勝ちたい」と考える人間は、果たしてゼロだろうか? という疑問を、まず持つことができると思います。

プロの将棋棋士は、伝統と格式を破っては意味がないかもしれない。しかし縛りのないアマチュアなら?
政治家は、最初はAIを上手く使う方法を学ぼうとするかもしれない。しかし自分がAIと同等の能力を手に入れられるなら?

『電脳化』(憧れの『攻殻機動隊』なのだ!)、『補助処理脳の移植』、『脳とコンピュータの思考直結神経接続』、『思考のデジタル化』……表現は、あるいはテクノロジーとしての種類や手段は様々ですが。

重要なのは「人間の脳機能そのものを、AIが使うハードウェアの性能に近付ける」という発想は、決して技術的に永遠に不可能とは考えられない、ということです。

ここにきて、第一フェイズで触れた「人間とAIの勝負はハードウェア的に対等ではない」という点が活きてきます。生来の脳髄だけの初期装備ではAIには勝てない。けれどそこに新たな装備を追加できる技術が生まれたなら、その選択肢を選ぶ人間は決してゼロにはならないはずです。(トランスヒューマニストと呼ばれる、サイボーグ化に積極的な人達も既に実在します)

先程述べたように、あるいはあなた自身が感じているように、「AIに支配される」のは怖いことでしょう。だからこそAIよりも賢くなるしかない。そういう競争原理がここで生まれてきます。

もちろんAIを超えるということは、その時点の全人類の知性を超えるという事かもしれません。「人間と人間の競争」という意味でも、ザッカーバーグやイーロン・マスク級の頭脳を手に入れて成功者になりたい、というような理由でハイリスク・ハイリターンの挑戦を実行する人は大いに居ることでしょう。

そうこうする内に、試行回数が増えれば技術的にも安定していき、ローリスク・ハイリターンの技術になる時代もやって来ることになり。

かくしてめでたく、夢の『電脳化』により人類がAIと対等な土俵に立てる時代が訪れる、かもしれません。


⑤人間とAIの違いが減っていく(同質化)

そして最終段階、第五のフェイズ。
「人間とAIの違いが減っていく」段階です。

『電脳化』が技術的に確立することでAIと同じ土俵に立った人間がもう一歩先に進むのには、それほど時間がかからないと思われます。
もう一歩先、言わば『情報化』。脳の機械化ではなく、人格のデジタル化。

「人間のAI化」と呼べるかもしれません。

情報存在として、媒体が脳でもPCでも構わない、という段階にまで進んでしまえば、それは客観的には高度AIとほとんど差異のない存在になると思います。オマケで不老不死だとか、それこそ感染症の克服なんかもついてくるでしょうし。もちろん、デジタルな存在故のリスクも生まれますが。

そして同時に、「AIの人間化」が進むことによって、自我を得たAIは肉体を欲しがり、人間と同じ形をしたロボットのボディを。あるいはバイオ技術やiPS細胞で再現した有機的な人間の身体に『電脳』を入れた体で現実世界を歩くようになるかもしれない。
『アトム』のように活躍し、『初音ミク』のように歌い、『ドラえもん』のように友達になれるかもしれない。

「人間のAI化」と「AIの人間化」が同時進行した最終段階では、もはやその両者の区別は必要なくなると思います。双方に人権が与えられ、双方が『人間』と呼ばれる。
かくして「人間とAIの競争」の時代は終わり、『情報化』した人類の時代が始まる――。

というのが、「AIの歴史」に対する個人的な予測になります。


4.「大多数の人間が自然にAIになるまでの過程」

というわけで、「人間とAIの競争」は「人間がAIに追いつこうと『電脳化』することで、人間とAIの違いがなくなっていく」という過程の予測でした。

宇宙史からAI史へ、時間的には100億年スケールから100年スケールへ。

SF好き的にはロマン溢れる未来予想図ですが、ロマンが溢れ過ぎているという難点はあるかもしれません。もう少し現実的な視点からも予測をしてみないと、観点が偏ってしまいます。(大差ないかもしれませんが)

というわけで第四章は「大多数の人間が自然にAIになるまでの過程」。
こちらは経済合理性によって、経済の中で働く競争原理に基づく未来予測です。

実際のところ、『電脳化』も『情報化』も怖いですよね?
私自身はその点も含めて興味はありますが、脳を変えたらどこまでが自分なのか、というような自己連続性の悩みはつきまとうでしょうし。

実際に施術する時にはそういった問題も気にならないような流れに手法がデザインされてるでしょうが、そもそもそんな怖いモノが流行るのか? という疑問はあります。

ですが考えてみれば、自動車だって危なくって恐ろしいものです。コンピューターだって不気味です。「日本人がガラケーで写メってるのが気持ち悪い」とか、スマホ以前の頃に海外のメディアが書いた十年後には平然とスマホでインスタやっていたりします。

自動車が、コンピューターが、スマートフォンが普及して世界の様相を変えたのと同じように。それらに働いた経済的な必然性と同じモノが、今抱いている拒否感を超えて『電脳化』を推進すると思われます。

今回は特に「ネットワーク効果」と「権力者の視点」を軸に見ていきましょう。

① ネットワーク効果
 ネットワーク効果(別名ネットワーク外部性)とは経済学用語で、わりとメジャーなモノかもしれません。

 SNSの流行を説明するのに最もよく使われています。意味はシンプルで、「既に参加している人の数が多ければ多いほど、それ自体が参加する理由になる」というもの。これをお読みのあなたがLINEを始めたきっかけは何だったでしょうか?

そう、「みんなやっているから」です。車もPCもスマホも、一定の普及水準を超えると使用していないこと自体が不便で、ともすれば仕事や日常生活を送るのが困難なほどになります。

最初は新しい物に興味がなかった層でも、世の中に広まって誰もがやっていたらやらざるを得ない。『電脳化』だって今聞くと抵抗があったとしても、三十年後、五十年後にはそれを前提とした社会が当たり前になっているかもしれません。

とはいえ、これは「社会の多数に普及」してからの話。もっと初期には積極的に『電脳化』の導入を推進する指向性、パワーが必要になります。

その立場を担うのが、人によっては意外に感じるかもしれませんが、「権力者」です。


②「権力者の視点」

まず技術として『電脳化』が生まれて、トランスヒューマニスト達の献身によってある程度の安全性と実効性が証明されたとして。次に起きるのは、先程も述べた「人間と人間の競争」です。優秀な頭脳が手に入るなら、というハイリスク・ハイリターンな挑戦。

まぁ世界は広いので、一部にはそういう人々が現れるとして――でもそれだけじゃあ、『普及』なんかしないのでは? あるいはその技術は権力者に独占されてしまうのでは?
そんな意見を直接聞いたこともあります。

そこで考えてみるべきなのは、「権力者の視点」です。「権力者の視点」、言い換えるなら「組織と組織の競争」。これが、普及の推進力になる競争原理になります。

まずもって一人の権力者が、『電脳化』の技術を手に入れたとします。それによって自分は上手くAIにも勝る世界一の頭脳を手に入れた。万々歳です。
けれどそれは永続的な一番なのでしょうか? 世界一である自分が『電脳化』を独占しておけば、それでずっと世界一でいられるでしょうか?

当然、違います。
遅かれ早かれ『電脳化』の技術は様々な場所で確立されるでしょうし、そうなれば自分以外の『電脳化』した権力者とも競争をしなければなりません。
そうなった時、『電脳化』しているのが自分一人よりも側近とかの信頼できる部下も戦力だった方が心強いです。逆に競争相手がそうしているなら、自分もそうせざるを得ません。

そして一人より二人、二人より三人、と増やしていくなら。自分の組織のできる限り多く、できれば全員を『電脳化』してしまった方が、権力者自身にとって都合がいいのです。戦力増強。生産効率を上げるために、最新のPCを社員に使わせるのとまったく同じ理屈で。

そう、下から見上げる形で権力者をイメージすると、あたかも下の人間に下剋上されないように権利を独占したがるように思えるかもしれませんが。権力者自身にとって最大の脅威は別の権力者、組織、つまりは競合他社であり、隙を見せれば一瞬で負けて食い破られる弱肉強食のサバイバルです。

パーティーメンバーには最強の武器を配っておかないと安心できない。だから『電脳化』が実現したなら、権力者こそがその『普及』の最初の推進者になるという理屈が成り立ちます。

ちなみにこの権力者は、同じ理由で所有するAIを高性能化させるモチベーションもあるので「AIの人間化」にも寄与すると考えられますが、「人間のAI化」を先に達成できるのならそちらを優先するかもしれません。順序次第と言えます。

では五章、ラスト。
「先進技術の舵を取ってコントロールする側、人間のメンタルについての研究ももうちょっと進めとかないと困るのでは?」という、期待と不安について。

5.「精神的超人byニーチェ with情報工学」

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宇宙の五番目の発明、『情報生命』。
その段階に(138億年に比べれば)遠からず到達すると思うけれど、それはつまり精神の不老不死なのだ。その時代の彼らは――我々人類は、極めて大きな力を持ってしまうことでしょう。

それ自体には個人的にはリスクとロマンの双方があると思うけれど(それは表裏一体かもしれない)。しかしともあれ、核兵器を開発して以降に核関連条約を締結する程度のコントロール性は必要なはずです。

現代兵器が生まれる時代に伴って、平和主義や民主主義、人権意識が生まれたように。
次の時代を迎えるにあたって、それに相応しい「精神性」を獲得しておく必要があるのではないか? と。いわば新技術ってハードウェアに対する思想はソフトウェアですね。

そもそも「精神性のアップグレード」そのものは、歴史的にも何度も成功してきています。
時代ごとの倫理規範として、『宗教』や『奴隷制廃止』、『民主主義』、『人権意識』、『多様性』などと段階的に何度もアップグレードしてきていて。

そして例えば。「科学の発展によって世界の原理が解き明かされたことで、神は死んだ。宗教なき時代であるこれから先、誰もが自立した『精神的超人』にならなければならない」と、140年ほど前にかの有名な哲学者フリードリヒ・ニーチェは説きました。

今のところフェイクニュースにデマに炎上。SNSに適応するにはまだ時代が足りないだろうか? という感じの私を含めメンタルの弱い現行人類ですが。あるいはこの『精神的超人』になる為の方法論の確立、英雄化手順の普及が「次の精神性」に相当したりしないかなぁと個人的には期待しています。

別に人間を超えた神々のオーバーマインド、とまでなる必要はなく。普通に現代のアスリートや歴史上の偉人のような、安定して困難に挑戦できる優れたメンタルを誰でも義務教育の段階で備えられる時代になったら、世界の精神性は十分アップグレードされたと言えるでしょう。

コーチング理論にモチベーティング理論、リーダーシップ論に教育心理学。既にそういう方面の研究自体は昔からなされていて。そこに量子コンピュータやAIっていう『自由意思』そのものを分析できるだけの能力を持った頼もしい助っ人がいれば。

人の心の仕組みを解き明かし、せめて自分自身で制御、コントロールできる方法を『民主主義』程度には世界のスタンダードにしたりはできるのでは? とも思うのです。

「精神工学」みたいな新しい学問分野が設立されるか。あるいはポール・サミュエルソン以降の経済学が数理分析を主体とした数学学問化したように、心理学がより発展していくか。どちらかを期待したいところです。

もしもこの記事を読んだ中に、情報工学系や(IT系の人自体は普通に多いだろうし)心理学系、脳科学系、あるいはそうした分野に携わりたいと思える方がいれば。そうした分野の研究に取り組んでくれたら喜ばしいな、と思ったりもします。

囲碁や将棋に対して情報工学的アプローチをしたように、人間がAIを研究するんじゃなく、AIで人間を研究する。

今のところ、あんまし盛んな分野ではなさそうですし。この記事が何かの影響を与えることは無いにしろ、結果的にそういう研究が盛んになってくれたら今後の人類史にわりと大きな変化がありそうだとは思うので。期待と微力は尽くしたいですね。

6.「おわりに / 現代というパラダイムシフト」

さて、色々と語ってきましたが。
結局はどれも予測であって、これまで話した中で間違いないと言えるのは今が「大いなる変化の時代」であるという事だけです。

ビフォアコロナにアフターコロナ、環境問題に貿易摩擦。人種にジェンダー。自国第一主義の台頭と民主主義の不安定化。人類史全体で考えてもトップレベルに激動の、激震の時代を我々はこうして生き、目の当たりにしています。

けれどだからこそ。「これを乗り越えた時、次の時代が始まるんだ!」というのも、決して的外れな未来予想ではないでしょう。

「『情報生命』が今後一万年以上、宇宙に羽ばたき歴史を紡ぐ最初の一ページ。宇宙史に刻まれる「特等席の時代」で、その産声を上げる瞬間を目撃できるのかもしれない」なんて予測も、私なりの前向きな次の時代への期待のしかたです。

あなたにとっては、全然違う形の期待のしかたが適してるかもしれません。あるいは今はまだ、そんな風には思えないかも?

それもまた良し。
予測できなくとも、未来はちゃんとやって来る。それが良い所です。

『自由意思』を持つ我々は誰もが現在を楽しみ、未来を夢見る能力と権利があります。エピクロス曰く、「パンと水さえあればゼウスに幸福で勝つこともできる」。

今の時代を懸命に生きながら。この時代が過ぎ去った後の百年、千年、万年、百億年先の未来にも期待してみればいい。

きっとそれは、結構悪くない生き方なんじゃないでしょうか?

さて、今回も最高に好き勝手に書きました。内容に何であれ責任は取れないので、あなたが持つ現行最新の『自由意思』に基づく自己判断を大事にして欲しいと思います。リテラシーは大事ですね。

以上、『AIと人類史』――宇宙の誕生から「強いAI」の誕生まで――
でした!



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