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フランダースの犬の聖地に行ってきた【アントワープ聖母大聖堂】


飛行機の中で、キンドル版「フランダースの犬」の古典版を読んでいました。(青空文庫でも無料で読めます)

今回の旅では、オランダのアムステルから列車に乗って、そのままベルギーに入る予定を立てていました。

私も夫もベルギーは初めてなので、色々調べているうちに、アントワープ地方にある可愛らしいブルージュという町を夫が発見。そこに滞在することになったのです。

が、ちょっと待って。。。と私。

アントワープといえば、ネトとパトラッシュが住んでた場所ではないの💛

「フランダースの犬」初期アニメのリアル世代なので、パトラッシュという言葉を聞くだけで今でも涙腺が崩壊しそうになる私。エンディング曲も歌えるし、【アントワープ】という地名は脳にこびりついている。

でも、ベルギーの実在してる地方名だということや、ネトとパトラッシュが最後に観たルーベンスの絵が飾られている教会が実在してることも知らないでいたのです。



思い出して戦慄し、夫に熱っぽく語っても全然共感してくれないのは、アメリカでは全然有名な物語ではないから。

でも夫は、「分かったよ、それならアントワープの街に行って、大聖堂を見に行こう。ルーベンスの絵を見ていよう。と、近くのホテルを予約してくれたのでした。

別にそこまでして行きたいわけでもなかったけれど、断る理由もありません。

ということで、飛行機の中で、改めて物語を知るために古典版を読んでいたのですが、当たり前ですがアニメとはトーンが違う。

しかも、主人公ネロは15歳だったし。

当時はてっきり同い年くらいの感覚で見ていたので。。。思わず記憶がバグりました。それでも最後はウルっとしましたが、こんな残酷物語を思いついた人はいったいどんな人だったのでしょう。

調べてみると、1872年にイギリス人作家ウィーダによって書かれた物語。当時ベルギーのアントワープにに滞在していた彼女が、犬が酷い扱いを受けている現状に驚き、その不正を非難したいがために書いた短編だったのです。(ソース元)

あー、そりゃあ、ベルギーで不人気だったわけですね。

日本語に翻訳されたのは、なんと1908年だそうで、いかに古い小説だったのかを知りました。


さて、アントワープの鉄道駅に着くなり、美しさにため息が。


大聖堂の鉄道駅と呼ばれるような建築で、ヨーロッパでもっとも美しい駅のひとつなんだそう。

美しさに足止めを食らい、しばし鑑賞してしまいました。

駅から、目指す教会までは徒歩15分くらいなのですが、想像と違ってずいぶんと賑やかな街並みでした。

洒落たカフェに立ち寄って、カフェを頼んだら。。
(普通のコーヒーだったかな)


昭和のウィンナーコーヒ?名前からして発祥はウィーンのようですが、ここでも?いまだに?クリームでコーヒーが見えず。味が分からん!
おまけのデザートも多すぎて。。笑

食事は美味しく、サーバーも素敵、英語も通じる。みんな親切。

ということで、天気も良く、距離も近いし、動きたかったので、ホテルに向かって歩きはじめたのですが、

夫がデコボコ道を歩き続けるのに嫌気が差した私は、プチ口論のすえにグーグルマップを見て別の道を選択。珍しく夫婦別行動でとぼとぼ歩いていたら、電動スクーターみたいのに乗った同年代くらいの中年おじさんが寄ってきて、観光で来たの?ベルギー好き?案内しようか?あなた何歳?と、すごい声のかけ方してきた。

それはさておき、もう少し歩くと、教会が。

アントワープ聖母大聖堂(Onze-Lieve-Vrouwekathedraal)

おかしいことには、ネロは村の教会へは行こうともしません。ただ行きたがるのはあの町の大寺院だけです。パトラッシュはその寺院の大門のそとに取り残されて脊のびをしたりため息をついたり、はては大声に吠えたりしますがどうにもなりません。やがて門の扉が閉められる頃になってネルロはようやくつまみ出されるようにして追い出されて来ます。そして、すぐ犬の頸に抱きついて、そのひろい鳶いろの額に接吻キスしながら、いつもきまったように、「パトラッシュ、僕は見たくって――一目でいい。見さえすれば――」と、きれぎれにつぶやくのです。それは一体なんのことであろう。パトラッシュは、思いやりのこもった目で、じっと少年の顔をみつめるのでした。『フランダースの犬』

ここで夫と再会し。。笑
すぐそばのホテルにチェックインしました。

そして荷物をおくやいなや、すぐに教会に入ったのです。


ある日、門衛がいないで、扉があいたままにしてあるのをさいわい、犬は少年のあとを追ってこっそり内へ入りこんでみました。少年はうっとりとして「キリスト昇天」の画の前にうずくまっていましたが、うしろに犬の来ているのに気がつくと、立ち上ってやさしく犬を胸のあたりまで抱き上げました。その顔は、涙にぬれていました。ネロは、堂内の両側にかかげある二つの画をぴったりと覆った厚い布を指して、言いました。「パトラッシュ、貧乏でお金がはらえないからあの画が見られないなんて、なんて情ないことだろう。貧乏人には見せられないなんて、どうしてあの画の作者が言うものか、いつだって僕らに見せるつもりだったんだ、毎日見ててもいいと思ったにちがいない。それだのに、こんなに覆ってしまうなんて、金持が来て、金を払わなければ、いつまでも美しい画に光りもあてないなんて。ああ見たいな、見たいな見さえすれば僕、死んでもいいんだが――」『フランダースの犬』

 

突然、大きな白い光が、がらんとした堂の中に流れ入りました。月でした。いつしか雪はふり止んで、いま、雲間を逃れ出た月の光は、二つの名画を照し出しました。画をつつんであった覆いは、少年がここへ入った時すでに引き裂いてしまったから、この一瞬、「キリストの昇天」と「十字架上のキリスト」の二名画は実にはっきり認め得たのでした。思わずネルロは立ち上り、両手を画の方へさし出しました。感きわまった涙が、そのあおざめた頬にあふれ落ちました。「見た、ああ僕はとうとう見た。」と、少年は叫びました。「ああ神さま、もうこの上はなんにもいりません。」 足の力がつきて、膝がしらでようよう身を支えながら、なおもネルロは喰い入るように、その崇拝している荘厳な画に見入りました。清らかな月の光は、そのあこがれの画を隅々まではっきりと示しました。が、これも一瞬にしてかくれ、堂内は再びまっくらな闇がひろがりました。画の方にさし出されていたネルロの両手は、再び犬のからだを抱きました。『フランダースの犬』


夜があけました。アントワープの町の人々は、少年と犬とを見い出しました。もうふたりとも、冷たく息絶えていました。さびしい夜の寒さは、若い命と、年老いた命とを一しょに凍らして、しずかな、永いねむりにつかせたのでした。『フランダースの犬』


「あれを見ることができたら死んでもいい!」と強く願っていたキリストの絵画を、奇跡を受け取った瞬間に見ることができたネロ。

天使に迎えられてパトラッシュと一緒に天国に上ることができたのです。
永遠の魂と安らぎを得ることができたのだから、救いようのないエンディングではないわけですが。。。



ホテルの窓から、この光景が見えていたので、さすがにジーンとしました。ここに来たいと願ったわけでも、頼んだわけでもないけれど、夫が贈ってくれた旅のギフトという感じで、嬉しかったです。

かつては日本人観光客も多かったらしいけれど。
 
ほどほどの観光客で賑わうアントワープの街は可愛らしくて、散歩が楽しくて、最高の時間を過ごすことができました。


そういえば、今年の3月にZOOMで日本のお客様とお話ししているときに、
「日本人はそもそもネガティブ思考が強すぎる。私達は『フランダースの犬』を見て育った世代だし」と彼女が言うので、びっくり。

「実は私達は5月にあの教会に行くんですよー」と話すと、彼女の方がさrないビックリして、「教会が実在してたなんて!」と驚くので、一緒に笑ってしまいました。

私も彼女も、これが日本のお話だと思っていたのも面白い。
こんな会話ができたことも嬉しかったです。

リールで見てみる




ということで、次はベルリンへ。






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