理不尽にもほどがある

「クラリネットの歌は理不尽だと思うの」
「は?」

また変な事を言い出したぞ、と思いながらも私はマリコの方を見る。

モデルをやっているマリコはソファに腰かけてゆったりとしたショートパンツの裾から長い足を投げ出しながら憤慨したようにつぶやいている。

なんとなくつけっぱなしにしていたテレビからは「みんなのうた」が流れていた。ライターの私は現在パソコンに向かって絶賛仕事中なのだけど、よくBGMとしてTVをつけっぱなしにしていることが多い。
そういう時は耳に音は入ってきていても、意味を解さず聞き流している。
私はアイスコーヒーを一口飲み込んでから聞いてほしそうにこちらを見ているマリコに問いかける。

「で、何が理不尽なんだっけ?」
「クラリネットの歌よ」

クラリネットの歌ってあれだっけ、なんか2番でほとんどクラリネットぶっこわれてなかった?
クラリネットがどこまで音を出せるのか私は寡聞にして知らないけど、ドレミファソラシドのうち高いドしか残ってなければそれはもう壊れたと言っていいのではないのだろうか。

「壊しちゃったんなら怒られるんじゃない?」

それは仕方ないだろう。壊しちゃったんだから。

「だからそれが理不尽だと思うのよ。だってパパはその子にクラリネットをあげたんでしょ?一度あげたんだから、もらったクラリネットをどうしようがその子の自由じゃない?」

うん、まあ、言われてみれば筋は通っている気がしないでもない。
そもそもクラリネットというお高そうな楽器をほいほい息子にあげちゃうパパにも責任の一端はありそうな気もする。
どうやってそこまで壊したのだろう。男の子だから豪快にチャンバラでもしたのだろうか。いやでもとっても大事にしてたと言ってるしな。
とはいえ。
 
「そもそもあたし、クラリネットの歌をそんなに真剣に考えたことなかったわ……」
「そうなの?わたし初めて聞いた時からそれが気になってしょうがなかったんだけどな」
「オーパッキャマラドの部分とか、クラリネット壊しちゃったショックでいよいよおかしくなったのかと」
「あれはねー、フランス語らしいよ」
「そうなの?よく知ってるわね」

私たちの関係は、だいたい私が物事をマリコに教えることが多い。マリコから私が教わるというパターンは珍しかった。
だからなのか、説明を始めるマリコの表情は心なしか得意げに見えた。

「なんだっけかな、共に進もう、とかいう意味なんだよ。もとは行進曲なんだって」
「へー、それにしてもやたらと詳しいわね」
「なんかパパに怒る理由があるのかと思って前に調べたことがあるの。そしたら童謡を調べるのにハマっちゃって」
「童謡ねー。いざ思い出そうとするとあんまり出てこないものね。なんだっけ、トテチテタって変な名前の奴が出て来る曲」
「え?」
「え?」

マリコが目を丸くしてこちらを見ている。んんん?なにか変な事でも言っただろうか。おかしい。普段はそういう表情は私の専売特許のはずなんだけどな。いざ向けられる立場になるとどうも調子が狂ってしまう。

「たぶんりっちゃんの言ってるのって『おもちゃのチャチャチャ』のことだと思うんだけど」
「そうそう、それそれ」

おもちゃの兵隊トテチテタってやつよ。

「あれ、ラッパの音なんだけど」
「え、嘘。私てっきりトテチテタっていう変な名前の兵隊かと思ってた」

マリコはジト目でこちらを睨んできた。いやいや、そんなに睨まなくても。美人が台無しだぞ。
ほらあのさ、子どもの頃って、変に間違って覚えちゃうじゃない。

私があわあわしていると、マリコはこちらに取り合わず、じっと無言でなにやら考え込んでいる。その様子を見て私はなんとなーく嫌な予感を感じていた。


数日後、どうにか直近の締め切りを乗り越えて、私が晩酌の缶ビール片手にぼけーっとテレビを見ていると、なにやら改まった様子でマリコが私の横に座った。いったいどうしたというのだろうか。
不思議に思ってそちらを見ると、厳かな様子で話し始める。

「りっちゃんにはね、童心というものが足りないと思うの」
「う、うん」

いきなり童心と言われても戸惑ってしまう。童心て足りたり足りなかったりするものだったっけ。

「なのでこれを準備しました。はい」
「?なにこれ」

マリコが手渡してきたのは手のひらサイズの電子機器だった。
これは、MP3プレイヤ―?

「私が集めた童謡が入っているから、これを毎日聞くように」
「いやいや、理不尽にもほどがあるでしょ」

それこそマリコの言っていたクラリネットのパパみたいにさ。

もしかしたら、常日頃のちょっとした仕返しなのかもしれない。たしかに最近マリコの扱いが雑になっていたような気もする。
親しき仲にも礼儀あり。これからはもちょっとマリコに優しくしようかな。大音量で流れる「およげたいやきくん」を聞きながら、私はそう心に誓った。

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