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【掌編小説】電波塔に上って

「はぁ……」

カタカタとパソコンのキーボードを叩きながら、向かいの席の後輩の田中が大きく溜息をついた。人の気配の少ないオフィスでは小さな呟きもやけに大きく響き渡る。今日は年末の挨拶回りもかねて得意先への訪問予定があったため、自分も彼もオフィスへと出社していた。ずいぶんとあからさまに大きな溜息をつかれてしまうと、さすがに反応しないわけにもいかない。

「どーした、そんな大きく溜息をついて」

パソコンのモニター越しに声をかけると、待ってましたと言わんばかりに田中がこちらに話しかけてくる。お喋り好きな彼のいつもの手口なのだが、こちらも寒々しいオフィスで黙々と仕事をすることに多少なりともうんざりしてきていたところなので、あえて乗っかってやる。

「今日って12月23日じゃないですか」
「そうだね」
「ちょっと前までだったら休みだったのに、今年はオフィスで仕事かぁ、と少し悲しくなりまして」
「ああ、まあねぇ」

天皇誕生日の移動によって祝日だった12月23日は平日扱いになっている。彼の言うように少し前までは休みだった日に黙々と働いているのも変な気分ではあった。

「確かにちょうどクリスマス前だし、休みのタイミングとしてはちょうどいい日だったね」
「そうなんですよ。まあ一緒に出かける彼女もおらんですけどね」

やさぐれたような彼の言葉に首をかしげる。

「ん? 確かこの前彼女が出来たとか言っていたのでは? 周りが誰も聞いてないのに彼女の誕生日だからって言いながら有給申請していなかったっけ」
「その子にはフラれました。クリスマス直前に振られるとか最悪ですよ」
「ああなるほど。それはご愁傷様」
「佐藤さん、そう言いながら全然そう思っていないでしょ」
「おっと、ばれたか」

軽口をたたけるくらいだから、それなりにダメージからは復活しているようだとは思うけれども、ここ数日どうも覇気が感じられなかったのはなるほどそれが原因か。テレワークの画面越しだとなかなかこういった雑談はしにくいので、久しぶりの出社にもそれなりに意味はあったようだ。

「まあでも可哀想だなと思っているのは確かだよ」
「お。それなら佐藤さん、慰めになにか奢ってくださいよ。クリスマスなんだし」
「まあ、今からの外回りの後にご飯を奢るくらいなら構わないけど」
「おっしゃ」

ガッツポーズで喜びを表現する田中。素直な彼のリアクションは得意先からも好印象なので、そろそろどこかの担当を任せてもいいかと考えている。

午後イチにオフィスを出てから得意先訪問を3件ハシゴして、18時過ぎに最後の訪問先を辞する。師走のこの頃は例年からなかなかスケジュールの調整が難しかったけれども、今の状況になってからは特にこういった訪問の機会は貴重なので、多少無理してでも詰め込んでこなすようにしている。古いタイプの営業手法なのかもしれないけれど、田中にもそういったやり方を経験だけはしておいて欲しいと思っている。

すっかり冷え込んだ街中を二人で歩いているとビルの隙間から煌々と明かりを放つ赤い塔が見えた。隣を歩いていた田中がふとつぶやいた。

「そういえば東京に出てきて随分経ちますが、東京タワーに上ったことはなかったっすね。一回は上ってみたいと思ってたんすけど」
「ふーん。でも東京にずっといても意外と行かないもんだよ。しかしそういえば、配属されて最初の頃はバリバリの博多弁だったのに、いつの間にかこちらの話し言葉になっていたね、別に直さなくても良かったのに」
「いやー、そんなつもりもなかったですけどね。佐藤さんのマネをしようとしてたらこうなってましたね」

不意に田中からそう告げられる。またいつもの軽口かと思って見ても、彼の表情は思った以上に真剣だった。

「やっぱ佐藤さんかっこいいですもん。なんかいつもシュッとしてるし、仕事もバリバリできるし。憧れますよ」
「そんな風におだてても夕飯は高級にはならないぞ」

そうは言ったものの、素直に尊敬の念を伝えられれば悪い気がしないのも事実だ。いや、正直なところ田中にそう言ってもらえて、随分と浮かれてしまっていたのかもしれない。ちょうど目の前にそびえている尖塔に上ってみようと提案するくらいには。私は東京タワーを指さして告げる。

「せっかくだし、上ってみようか。夕飯奢りのグレードアップの代わりということで」
「え、いいんですか」

言ってからもしかして入場料の方が高かったかな? という考えが一瞬頭をよぎったけれども、まあ、たまにはいいかと思い直す。しかし普通に上ったのでは面白くない。私は視界の隅に映った看板を指さして付け加える。

「ただし、歩きで」

そこには「テレワークの運動不足解消に!オープンエア外階段ウォーク!」とでかでかと書かれた看板が設置されていた。田中はあからさまに嫌そうな顔を見せた。あまりに正直に顔に出すので、思わず吹き出してしまった。

「笑わんでくださいよ。得意先回り3件こなした後で階段上りはきついですって」
「そうは言うけど、今年はほとんどずっとオフィスワークだった訳だし、今年の締めくくりに少しは運動をしてもいいんじゃないかな」
「……分かりましたけど、佐藤さんも一緒に歩いて上ってくださいよ」
「もちろん」

そう軽やかに告げた自分を呪うことになったのはそこから10分もしないうちだった。「12月23日の今日は東京タワーが完成した日なんですよ」と係員ににこやかに告げられながら意気揚々と約600段、およそ150メートルの入り口に立ったときまでは良かったものの、確かに田中の言うとおり、久しぶりの得意先回りは想像以上に自分の体に負担をかけてしまっていたらしい。半分も上らないうちにすっかり息があがってしまった。私と対照的に田中は調子が出てきたのかひょいひょいと身軽に先を歩いている。「結構楽しいですね」といいながらこちらを振り向いた田中が、私の様子を見て途端に心配そうな顔を見せてきた。わざわざこちらまで階段を降りてきて、大丈夫ですか、と手を差し出してくる。

一瞬躊躇したものの、私はおずおずと彼の手を取る。思った以上に力強いその手に励まされて、私はどうにか残りの段数をクリアすることが出来た。上っている途中にこちらを追い抜いていった人たちに、私たちスーツ姿のはどう見えただろうか。

展望台から見える東京の夜景は、いつもの街とは違って見えて、それは私の隣に立つ田中もそうだった。あくまで彼はただの後輩、と言い聞かせていた私だったけれど、クリスマスカラーに彩られた光の中で、心臓の鼓動がいつもよりもずっと速くなっているのは、きっと運動しただけではないような気がしていた。

<了>


本作はナカタニエイトさん企画の「クリスマスまで物語を止めないで!物語が必要な人のための Advent Calendar 2021」参加作品になります。
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12/24担当は「DEDEGUMO KYOTO」さんになります!




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