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【掌編小説】老作家の顛末

「うーむ」

 老作家は原稿用紙を前にして、かれこれ数時間は唸っていた。隣には若い担当編集者が老作家の原稿が出来上がるのをひたすら座って待っていたのだが、既に根負けしてしまったのか正座をしたまま居眠りを始めている。がくん、と大きく首が下がると編集者はハッと目を覚まし、老作家に聞いてくる。

「出来ましたか」

「いいや、まだだ」

「そうですか」

 老作家の返事を聞いて編集者はがっくりと肩を落とすと、再び船をこぎ始めた。編集者を見ながら老作家は考える。

(ワシはもう作家として限界なのだろうか)

 それは今まで頑なに考えないようにしてきた事だった。しかしここ数日に渡ってうんうんとうなり続けながら頭をこねくり回しているのだが、それでも原稿のアイデアは出てこない。若い頃は書き留めるのが難しいくらいにアイデアがあふれ出てきたものだったが、いまやその泉はすっかり枯れてしまったようだった。

(ああ、あの頃に戻りたいものだ。神でも仏でもいいから、この願いを叶えてくれないだろうか)

 老作家は目の前の白紙の原稿用紙に向かって無言の祈りを捧げる。すると、それに応える声があった。

「その願い、叶えてあげましょう」

 突然聞こえてきた声に、老作家は驚いて辺りを見回す。

「どこを見ているのですか。ここです、ここ」

 その声はどうやら目の前の原稿用紙から聞こえてくるらしかった。

「私は作家の神です。あなたの願いはしかと聞きました。若返りたいというその願い、叶えてあげましょう」

 作家の神と名乗る存在の言葉に、そんなことが出来るのかと老作家は胸を躍らせる。しかしそんなうまい話があるものだろうか。もし仮に若返ることが出来たとして、ここまで積み上げてきた文章力が失われてしまっては元も子もない。

「本当に叶えてもらえるのか。ワシはただ若返りたいのではない。ここまで積み上げてきた文章力を維持したまま、アイデアの発想力だけを若返らせたいのだが」

「作家というものは業が深いですね。今まで何人もの作家の願いを叶えてきましたが、文章力はそのままで、発想力を若返らせてくれ、と皆一様に同じ事を言います」

 作家の神の言葉に老作家はなるほど、やはり同業者は同じ事を願うものなのだなと納得する。それと共に、実績があるということで一つの安心材料を得たからか、作家の神に願いを叶えてくれるように改めて頼み込む。

「分かりました。それではあなたの願いを叶えましょう」

 作家の神はそう告げて、老作家の願いを聞き入れた。天から光が降り注いだり、ファンファーレが鳴り響いたりはしなかったが、次の瞬間、老作家の頭の中には新作のアイデアが若い頃のようにあふれ出しはじめた。

「おお、これは素晴らしい。いくらでもアイデアが湧いてくるぞ」

 老作家は次々と湧いてくるアイデアに押されるように原稿用紙にペンを走らせる。編集者が再び居眠りから醒めた時には、新作が一本出来上がっていた。喜び勇んで編集部へと帰っていく編集者の後ろ姿を眺めながら、老作家の心にむくむくと欲が湧き上がってくる。(ここまでアイデアが出てくるのならば、むしろ手垢のついた古い名前など捨てて、別のペンネームで新しい作家人生を始めた方がいいのではないか?)

 そうなればこの古い名前にはもう用はない。老作家は思い切って自分が突然死去したことにした。そうすることで話題を作り、これまでの作品をまとめた「著作集」で最後に一儲けを目論んだのだ。その上で老作家は編集者とのコネと文章力を武器に別のペンネームでデビューを果たした。

 しかし、すぐにネット上には「文章が古くさい」などの悪評が上がる。思わずネット上で反論を返したものの、今度はそれに対して「デビューして間もないくせに老害のようだ」という評判が立つ始末だった。自分の文章が古くさいとされるものだと思い知らされ、すっかり老作家は気力を失ってしまう。アイデアがあったとしてもそれを書く気力が失われてしまえば意味がない。「これなら元の作家として、時代の流れに乗ってひっそりと消えていく方がよかったわい」と後悔しても、後の祭りだった。


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