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あやかし旅館の若女将 ~清水優菜の妖な日常~第九話 「あーっ!お客様、困ります!」

第九話 「あーっ!お客様、困ります!」

 年が明けてからも当初の予定通りではあるけれど大女将の不在は続き、ようやくその状態にもどうにか慣れてきたかと思えてきた頃、ある一人のお客様が竜泉閣を訪れた。

 竜泉閣の敷地がある臥竜山がりゅうさんをはじめ、露天風呂から見渡せる周囲の山々もすっかり雪化粧を纏うシーズンオフの時期に、しかも男性のおひとりさまだったこともあって、チェックインの時点からその人は奇妙に印象に残る人だった。

 根津ねづ、と宿帳に記載したその人は、オールバックになでつけた髪をぴっちりと整髪剤で固めており、深いグレーのスーツ姿だった。痩せぎすで背は高いはずなのに、背中を妙にかがめた姿勢で歩く姿は、こう言ってしまうとなんだけど、どことなく卑屈さを感じさせた。

 私が先にたってお部屋にご案内している間も根津様は落ち着かない様子できょろきょろと周囲を見回している。どうにもその様子が不思議だった私は「あの、なにか気になった点がございましたでしょうか?」と尋ねてみる。すると根津様は私の言葉にはじかれたように背筋を伸ばすと慌てて手を振って「いえいえいえいえ、なんでもございません」と否定した。

 私はその様子にむしろ不審になったけれど、そのタイミングでちょうどご案内の部屋についたので、それ以上は何も言わずに説明を続けた。根津様は部屋に入られてからも荷物を置くのもそこそこに押し入れを開け閉めしてみたり、今日は冷え込むというのにわざわざ窓を開けて、そこから外を覗いてみたりと、どうにも落ち着かない。

 私は念のために気になったことを聞いてみた。

「あの、根津様? 本日のお泊りはこちらのお部屋をご指定されておりましたが、よろしければもっと見晴らしの良い部屋が空いてございますのでご案内いたしましょうか?」

 そう、この根津様は他にも部屋が空いているというのにわざわざ一階の一番奥まった部屋を指定してきたのだった。当然同じことをチェックイン時にフロントでもお聞きしていて、そのままで良いとは聞いていた。でも部屋の様子を確認されてからもしかしたら気も変わるかと思い、改めて尋ねたというところ。

 すると根津様はさらに慌てたように「いやいやいやいや!こちらで結構でございます。いやもう素敵なお部屋で、わたくし感動いたしました」と言ってくる。
「それは、ありがとうございます」と、まるでとってつけたような褒め言葉にお礼を述べつつも、思わず不審そうな視線になってしまったのを感じたからなのか、根津様はさらに言葉を付け加えてくる。

「いやいやいやいや、わたくし昔から端っこが好きでしてね。ほらハムとかパンとかも端っこが美味しいでございましょ? 宿のお部屋についてもそんな感じなんでございますよ」
「それなら良いのですが……」

 うーん。それなりの人数のお客様をご案内してきたつもりだけど、そんな好みは聞いたことがない。

「ええもうホント、大丈夫ですから、ね?」

 当人にかたくなに言われてしまえばこちらも無理にとは言えない。それ以上何も言えずに私はすごすごと退散した。

 フロントで帳簿とにらめっこしている継春にも根津様のことを相談してみるけど、「まあ、話を聞く限り確かに行動はすごく怪しいけどね……。部屋の選択も本人の希望ならこちらからは何も言えないしなぁ」と困った様子。とりあえずは一番自由に動ける私がこまめに様子を伺うということで落ち着いた。

 そうは言っても私も色んな対応があるからずっと部屋の前にはりつくことはできないのだけど、しかし根津様はチェックインしてからはどうも宿の中をあちこち歩き回っているようだった。ロビーだけでなく次郎吉じろきち住処すみかとなっている中庭の日本庭園、先日カラオケ大会が開催された大広間のあたりをふらついている根津様を見かけた。

 そのときはお声がけしなかったものの、別フロアの客室付近にいるのを見かけたときはさすがに声をかけざるを得なかった。

「あの、根津様? こちらは根津様のご宿泊されている部屋とは別フロアとなりますが……」

 私が声をかけるとぶるぶるぶると首を左右に小刻みに振りながら「いやいやいやいや、すいません。ちょっと迷ってしまいまして」と説明しながら、慌ててきびすを返して去って行くのだった。

「やっぱりおかしいって!」

私はフロント裏の小部屋で継春に報告する。継春も困ったように腕を組んで顔をしかめていた。

「だって根津様の部屋は一階なのよ? 階段を上がらない限り他のフロアには行けないということは、わざわざ階段を上がっていったってことでしょ? いくら方向音痴でも、一階と二階を間違える事ってある?」
「確かに、それはおかしいよね」
「もしや空き巣?」
「うちに取るような高価な物ってあるかなぁ……?」

経理担当の継春が日頃の心労からかとても悲しいことを言ってくるけど、しかしうちの物ならばともかく(いや、それはそれで問題ではあるのだけど)他のお客様の持ち物が盗まれてしまっては大事になる。

「もし次に変なところで見かけたら僕も声をかけてみるよ」

 ところがその私達のやりとりを察したのか、それとも私が声をかけたことで警戒を増したのか、それ以降根津様が宿の中をうろつく姿を見かけることはなく、夕飯の時刻となった。

 夕飯時は宿のスタッフが調理や配膳などの対応にどうしても集中するため、必然的に他の場所が手薄になる時間である。もしかしたらそれを狙うかもしれない、と思ってフロント付近に常駐している継春には警戒を頼んでいたのだけど、肩すかしのように根津様は夕食会場に現れて、ゆっくりと時間をかけて食事を楽しんでいる。

 すると今日の配膳係となっている莉子ちゃんが、根津様の様子を見て、こそこそとこちらに言ってきた。

「ねえねえ、優菜。あの人怪しくない?」
「うん、まあ怪しいとは私も思うんだけどね」
「だって田中さんと一対一になっているのに無言でご飯食べてるよ」

 怪しいって、そこなのね。まあお膳幽霊であるところの田中さんの社交力は凄いものがあるけどさ。

「ほら、相手にされなくてなんだか田中さんもしょんぼりしちゃってるし」

 何それ見たい。私は配膳を片付けるついでに田中さんと根津様の様子をうかがう。 
 田中さん、そんなに悲しそうにこっちに訴えかけられても困るんだけど。私よりも大きな体をしているのにこちらを小動物のようなうるうるした瞳で見ないで欲しい、ついつい笑ってしまいそうになる。
 考えてみると田中さん、最近はずいぶんと頻繁に出てくるようになったなぁ。私が竜泉閣に来てすぐの頃はもう少しこっそりと出てきていた気がするけど。そう考えると竜泉閣にいるあやかしたち全員が、なんだか以前よりも積極的に表に出てくるようになった気がする。

 それは良いことなのかどうなのか、私には分からないけど、でもなんとなく竜泉閣全体の雰囲気が賑やかになったような気がしていた。

 ……はっ。いかん、思考が逸れていた。思わず横に逸れていた思考を元に戻して、私は根津様にお声がけする。

「根津様、お食事はいかがでしょうか?お口に合いますか?」
「いやいやいやいや、あの、たいへん美味しゅうございます」

 どうにも慌てた様子で昔の料理評論家みたいなコメントを返す根津様。

「そうですか、それは良かったです」と私は笑顔で応対しながら「よろしければお飲み物などいかがですか?」とついでにお酒を薦めてみる。お酒に酔ってしまえば変な悪さもできないだろう、という気持ちがないわけでもない。

 しかし私の思惑とは裏腹に根津様は「いやいやいやいや、もう十分なお料理で、お腹いっぱいでございますので」とこちらに言うと、そそくさと席を立って部屋に戻っていってしまった。

 あ、しまった。これはちょっと追い込みすぎてしまったかもしれない。ごめん、田中さん。ごめんて。謝るからあんまりこっちを見ないで欲しい。田中さんのこちらを見る目に悲しみと共にちょこっとだけ恨みがましさの色が混じった気がした。

 宿に戻ってから、さっそく継春と二人で湯守室に入り、奥にある木の扉を封じている南京錠を、大女将から受け取った鍵で開ける。がちゃりと音を立てて南京錠が外れると、かんぬきを外して観音開きの両扉を開ける。

「……これが?」
「そう、これが竜泉閣の名前の由来となった、竜の泉だよ」

 継春の言葉を聞きながら、私は扉の内側を見回す。小さなほこらのようになっているそこは、壁面がコンクリートで塗り固められて補強されてはいるものの、でこぼことした岩肌の表情はそのままで、この場所が竜泉閣の裏に位置する山、臥竜山の岩肌に食い込んでいることが分かる。

 源泉というわけで常にお湯が湧き出ているのだから、蒸気が充満しているものかと想像していたのだけど、そういうことはなく、不思議に思っていると継春が天井付近を指さした。よくよく見てみると天井の一カ所に穴が開いており、湧き出た蒸気はそこから抜けていっているようだった。なるほど。

 扉を開けた真正面には神棚が設置されていて、護符のようなものが安置されている。そしてその神棚の真下には、ゆらゆらと絶えずお湯が沸き出している泉があった。沸き出すお湯はとても澄んでいて、湯温は高め、川の水温と相殺してちょうど適温になるくらいの温度だ。泉はおよそ直径1メートル程度、一般的なマンホールの蓋よりもちょっと大きめぐらいのサイズだった。

 近づいて覗き込むと予想以上にその深さは深く、奥の方ほど広がっていて、地面に埋め込まれた水瓶を覗き込んでいるような感覚だった。ただ水瓶と違うところは底の方は湯守室からの光も届いていないほど深く、まるで底が無いようにも見える。光の屈折の加減なのだろうか、ときおり蒼く揺らめく瞬間があり、じっと見ているとまるで吸い込まれそうな気がした。

「ほら、あまり覗き込むと危ないよ」

 少し焦った様子の継春に肩を掴まれるまで、私は魅入られていたかのように泉の奥深くを覗き込んでいた。肩を引っ張られて目を離した瞬間、奥底にゆらりと巨大な生き物の影が見えたような気がした。……まさかね。

 私は目に映った影を封じ込めるかのようにして扉を閉めて、かんぬきを再びかけた。

「……とことん怪しいわね」

 継春から状況を聞いた私はつぶやく。

「怪しいのは確かなんだけどね」

 継春が困ったように答える。彼の言わんとしていることは分かる。行動は明らかに怪しいのだけど、その目的がさっぱり分からないのだ。

物盗ものとりではなさそうだけどね」

 そう告げる継春に私もうなずいて同意する。

 結局、根津と名乗ったその人の正体が明らかになったのは、彼がチェックアウトする時だった。

 「お世話になりました、はい」と言いながら一泊分の料金を払う彼に、私は「あの、本当に昨日は大丈夫でしたか? 他の者から湯船に落ちたと聞きましたが」と質問する。「いやいやいやいや、大丈夫でございますですよ。ご心配なく」と言いながら、彼は懐から一枚の名刺を取り出した。

「実はわたくし、こういう者でございまして」

私は名刺を受け取って、しげしげとその文面を眺める。

「不動産……鑑定士?」

「ええ、わたくし田沼不動産で不動産鑑定士をやらせていただいております。またお会いさせていただきますですよ」

にやり、と不穏な笑みを浮かべて根津様は去って行った。

その言葉通り、いくらもしないうちに私たちは再び彼に出会うことになるのだった。

<続く>


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