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No.8『屍鬼』小野不由美著

私は普段ホラーを読まない。
どうも「振り返ると誰かいる」とか「エレベーターで通過した階に変なものを見た」とか「写真に何か写っている」とか、そういうのを見ると一瞬で冷めてしまう。萎えると言った方が正しいか。

この『屍鬼』は簡単に言ってしまえば吸血鬼モノだ。だからホラーに分類されるのだろうが、実際のところこのお話の中で一番怖いのは普通の人間だ。
それも常識を持ち合わせた、必要以上に常識的な一般人。

冒頭に書いたような私が冷めてしまうようなこと、それは非常識な事柄だろう。……と、そういう考え方が必要以上に常識的な一般論

死んだ人間が生き返るわけがない。
人が人の生き血を吸うなんてありえない。
お隣の誰それさんが息子さんを手にかけたって。まさかね。
米屋の旦那が、製材所の奥さんが、役場の娘さんが……。
身近な人だからこそ、あり得ない事の当事者であるわけがないのだ。
それが当たり前だから
それが実際に起こってしまうのがこの小説だ。

昨日まで一緒に学校へ行っていた友達が。
朝まで普通にご飯を食べていたうちの子が。
気付いた時にはおかしな状態になっていて数日後にいきなり死ぬ。
土葬の風習の残る村で埋葬されたはずの棺桶から、遺体が消えている。

蘇生したのだ。
いや、実際は蘇生ではない。死体のまま起き上がり、死体のまま思考し、行動する。生きた人間の血を求め、壮絶な飢餓と戦いながら、獲物を探す。
それを人は屍鬼と呼ぶ。そして……

まだ被害に遭っていない人たちと屍鬼たちとの壮絶な戦いが始まる。

屍鬼となり、家族に手をかける身内。
屍鬼となった我が子に、敢えて杭を打ち込む親。
屍鬼となった母を匿い、他人を襲わないように自分の血を与える娘。
屍鬼となってなお、職場の友に逃げ場を示す友人。
屍鬼となった妻を実験台にして、いかにして屍鬼を葬るか考える医師。
屍鬼を招きその仲間たろうとする老僧侶。
自ら屍鬼の元へと赴き、純粋に疑問をぶつける作家。

そして村人たちは屍鬼と戦うために立ち上がる。
彼らの敵である屍鬼は、自分の友人であり、幼なじみであり、職場の友であり、飲み仲間であり、長年連れ添った配偶者であり、親であり、子であり、兄弟である。
それらの顔と体と意識を持ったものを、狩る。

隣のお爺ちゃんを。
裏のおばさんを。
我が子のお友達を。
うちの息子を。
わたしの母を。
そうしないと自分が屍鬼に狩られるのだ。

昼と夜か交錯し、狩るものと狩られるものが入れ替わる。
ほんのわずかな太陽光で全身に酷い火傷を負ってしまう屍鬼。
宵闇の中では視野の利かない人間たち。
まるでターン制のゲームのように。

大きなテーマはいくつかあるだろう。
自分の命のために他者を狩ること、「いただきます」の意味。
正義という後ろ盾を得た暴走。
無力で純朴な人たちの集団心理。
一人立つ強い意志。
古い因習の陰にある神仏への畏怖。
脳死と対極に位置する「脳生の死者」、「生死」の位置づけ。
きっと読み返せばもっともっと出てくるのだろう。

あんなに親友として仲の良かった幼馴染の二人が、この屍鬼によって決定的に分裂してしまったのが悲しい。
この作品をホラーというなら、正義の名の下に理性を勘違いした普通の人々が起こす集団行動に対する恐怖なんだろう。

自分のための覚書としてこの感想を残しているが、これを見て読みたくなった人がいるならとても嬉しい。

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