最近の記事

西暦0年に生きる

 私がいま生きている西暦は2024年ではなく0年な気がしている。私の自己中心さ加減がそうさせるのかは分からないけれど、どうも「2024」という数字の羅列を目にしたところで、私はその唐突さに、未だ慣れることが出来ないようなのである。  具体的に言えば、私が慣れることができないのは「2000」の方で、端数の数字に対してはそのような不慣れな感覚は抱かない。これは私が生まれ、成長する過程で「今は〇〇年」という感覚を積み上げていったからだろう。今でも、過去の自分が「2017年っていうと

    • サカナクション”turn”が最高だった話

      文中、セトリに言及するパートがあるのでこれからライブに行く予定がある方はブラウザバック推奨。 興奮が冷めやらぬうちに書き留めておかねばならないだろう。サカナクション復活アリーナツアー”turn”についてだ。私が行ったのは4/21の幕張2日目。  とにかくサウンドの迫力が凄まじかったのと、5年(本人がステージ上でアリーナは5年ぶりと発言)のブランクがあったとは思えない、エネルギーに満ち満ちたパフォーマンスを見せてくれた。  今アリーナツアーでは、サカナクション独自のスピー

      • あの人に送らない手紙

         あの人との関係が終わった話を他人に話そうと思っていないことに驚いた。私だけの思い出として大事に撫でたいわけではない。きっと解決させたくないのだ。「あの時は私が悪かったのかな」なんて思いたくはない。それは内省とは別の話。パズルのピースがぴったりハマっている状態が絶対的な正常だとは思わない。ぐちゃぐちゃになったものでも、保存して、慈しみたい。  過去はどう足掻いても過去で、今この瞬間にも思い出は美化されていく。正しかった形は失われて、私が求める形に変化してしまう。それが嫌なの

        • ありのままの自分でいるということ

          はじめに  これを書いている現在(2024/3/22 午前1時50分)、激しい動悸がしている。  最近、人間との接し方の意識を大きく変えてくれた人(以下A)との衝突があって、その関係は終わりを迎えてしまったけれど、自身について考える良いきっかけになったので、思考の整理としてつらつらと書き連ねていこうと思う。  私は好きな人のためなら本心を隠して相手の求めるように振る舞ってしまう性格だった。それが自らにとって良くない事だと気がついたのは最近のことだ。今思い返してみれば、自然な

        西暦0年に生きる

          不安の輪郭

          恋愛をするようになって自分を見つめ直すことが増えたのだが、その過程で「不安はその輪郭が分かれば割と簡単に解決することも多い」ということを学んだ。これは俺にとってかなり大きなことで、不安に刺されたまま眠る夜が減って幾分か息がしやすくなった。 もちろん輪郭の無い不安もたくさんあるけれど、そういうのは「寂しい」などの感情が原因だったり、そもそも自分じゃどうにもできないことだったりする。 「自分じゃどうにもできない」ということが分かれば、過度に落ち込まなくなる。それに次の手順が分

          不安の輪郭

          作為性を疑う網をかいくぐって、僕の心の一番無防備な場所に触れてくれた作品、「怪物」という映画です

          作為性を疑う網をかいくぐって、僕の心の一番無防備な場所に触れてくれた作品、「怪物」という映画です

          光冷む

          明日に行くことを許されない、そんな感覚があった。 ビニールの膜に入ってしまったみたい。うまく身動きが取れない。 明日に行く資格が無いのだ、アクリルの日付変更線が僕にそう告げた。 体当たりする体力はなくなってしまったみたい。 あなたとはここでおわかれね。 ルブタンのスニーカーがはじめて光って見えた。 左側が冷えている。 左側が照らされている。 静かな十字は、世界を破ってはくれない。 左側が冷えている。 左側が照らされている。 僕はいまでも、今日にいる。

          2024.1.28 雑記『服と本』

           激しい口の渇きと喉奥の痛みで目が覚めた。現時刻は朝の11時50分。昨夜最後に携帯の待ち受けを見た時が20時だったので、累計16時間近く寝ていたことになる。普段はどんなに長くても10時間を超えない。こんなに寝たのは最近処方された薬の所為だろう。今日は日曜日だし、もうちょっと寝てから起きるかと思った矢先、寝起きの耳を鋭く差すようなインターホンの音が流れた。一昨日メルカリで買った服が届いたようだ。密かに届くのを楽しみにしていたのもあって、二度寝と起床の二つを乗せた天秤は簡単に後者

          2024.1.28 雑記『服と本』

          俺はメンヘラである。激重である。

           俺はメンヘラである。激重である。 特に自分から好きになった人に対してはその傾向が強く出るようだ。 前の彼女もそれが原因で別れた(と俺は思っている)し、恋愛面に限らず、日常会話でも余計な傷を負う羽目になっている。認知が歪んでいるのだ。  多角的なものの見方が出来ない。物事の一面のみを強く捉え(しかもそのほとんどが本人にとってネガティブな捉え方である)、それが行き過ぎるとありもしない罪を自ら作り出し、薄皮の正義の仮面を被っては無辜の人を糾弾する。  人のことを思いやるという能

          俺はメンヘラである。激重である。

          鬱の恋は毒か、藥か

           ほとんど鬱みたいな状況で恋愛をするのって、本当にアホらしいというか、自傷行為とさえ呼んでしまってもいいと思っているのだけれど、俺は意識的に「この人好きだ」と思って恋愛をはじめるのではなく、何だったら失恋した後に「あ、好きだったんだ」と気が付くほどの無意識であり、愚鈍である。心が強い人間はいいが、俺は恋愛の感情を自分で制御することは出来ない。ほとんど無意識で、自らの恋心を増長させる行動を取っているのだ。          心療内科や精神科などで、鬱蒼とした心を晴らすために、周

          鬱の恋は毒か、藥か

          24.1.25 心療内科

           久しぶりに外へ出た。1月にしては高めの気温で、8℃だそう。しかし玄関のドアを開けた瞬間「さむっ」と言ってしまった。言葉は心より先にやってくる場合もあって、その言葉がネガティブな場合、心までそれに引っ張られてしまう。よって、モチベポイントマイナス1。  エントランスの扉を開いて、ここからが本物の外の世界。太陽が眩しい。陽光が顔を照らす。先ほどのマイナスを取り返すように「あったけぇ~」と呟いた。  道路に出てみたら案外風が強くて、これが8℃の風か?と思わせるほどにはしっかり寒

          24.1.25 心療内科

          感情を言葉に当て嵌めるとき

          人間が言葉を使うとき、その人にとって一番適切と思われるワードを状況によって使い分けるが、その状況と言葉が100%ぴったり一致するわけではない。 例えば恋人にフラれて「悲しい」、親が死んで「悲しい」。 どちらも大まかな感情は似ているが、その機微までは伝わってはこない。 親が死んだ経験をした人間は、その時の感情を思い出す。 その経験がない人間は、そもそも悲しみの感情すら湧いてこないかもしれない。 こんな感じで、語り手にとっての「悲しい」は、瞬時に読者の経験に基づく「悲しい」に変

          感情を言葉に当て嵌めるとき

          生きている価値って何だろう。そんなことを考え続けたら人はついに殺人の権利を手に入れるかもしれないね。

          生きている価値って何だろう。そんなことを考え続けたら人はついに殺人の権利を手に入れるかもしれないね。

          思考供述

          痛みは反動だよ。友達が話を聞いてくれる、飲みにつれてってくれるったって、それが終わったら倍の痛みが襲ってくる。電車の中でうなだれて、家に帰るまでの道のりがいつもより長く、いざ眠る時も心拍数は120オーバーだよ。それは起きてもずっと変わらない。飲み程度で解消されるような悩みだったというだけだろ、良かったな。楽しいという感情が怖くなるほど、心の深層まで不安が到達している。そんな鈍くて鋭い不安だよ、酒程度で解消されるわけがない。もっとも俺の場合、酒を飲むと感情アンテナの感度が倍にな

          思考供述

          恋愛で初めて泣いた

          恋愛で初めて泣いた。付き合ってもないのに、好きな人にフラれて泣いた。 己の気持ちの整理のためだけに書く。  まず、俺は過去に付き合ってきた恋人たちと、3カ月以上の関係を維持できたことがない。過去の俺は相手を肯定するフリをして女性を引き寄せ、小さな自尊心や自己肯定のためにその女性を消費していたような最低な人間だった(言葉が悪いが、本当にこんな感じだった)。その行いは直接指摘されずとも、健康で自他の境界がはっきりしている人間は、しっかり本性を見抜いて自ら離れていくものである。

          恋愛で初めて泣いた

          蜃気楼を観て思ったこと

          ライブで泣いたのは初めての経験だった。 俺が中学2年の時から、つまり8年間ぐらいサカナクションを追っているが、フロントマンである山口一郎が弱音を吐いたところを見るのは初めてだった。(大前提として、彼は2年前にうつ病を発症して以来サカナクションとしての活動を休止しており、今回のツアーも”サカナクション”としてではなく”山口一郎”としてのものだ。) ほんわかムードでおもしろトークをした後、急に沈黙を挟み、「しんどかった。」と一言こぼした。長い葛藤だった。その時の安堵、無力感、もし

          蜃気楼を観て思ったこと