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夜風を好きな人に悪い人はいない

 寝付けない時、よく夜に散歩をする。蠢いていた考えを鎮めるため、夜風に当たるため、もしくは一人だということを実感するため。この時期の夜は気温と風がとても心地よくて、それだけで心が凪ぐ。自分の部屋だとちょっと静かすぎるけれど、外だと夜の音がいい感じに心のノイズを消してくれる。月が出ている日は必ず月が隠れない散歩ルートを選ぶし、曇りで月が見えない日は少し残念に思う。ちなみに三日月だった時が一番うれしい。今日は大雨の後だったから月は見えなかったけれど、街中に雨の後の独特な香りが漂っていて私を高揚させた。今日はなんだか自転車を漕ぎたい気分で、カラカラとチェーンの軽快な音を立てながら、目をうっすら閉じて全身で夜風を浴びる。頭がクールダウンしていく感覚が気持ち良くて、「これが安らぎか」と思う。ひとしきり漕いだ後、そこら辺に自転車を停めて散歩をする。

 散歩する時はなるべく何も考えないように努めている(=感じることに努めている)けれど、自分でも気づかないうちに考え込むことがよくある。恋人のことや、写真でしか知らない祖父のこと。それでも、とても幸せ。よく「太陽の光を浴びたほうがいいよ」と言われるけれど、私にとっては月の光を浴びたほうが何倍も気持ちいいし、無条件に幸せを感じられる。そんなことを考えた後、ふと「月を好きな人に悪い人はいない」という言葉を思い出した。それには完全に同意するし、きっと夜風を好きな人にも悪い人はいないはずだ。

 他人の恋愛観を聴くのってとても楽しい。色々な考えを持った人間がたくさんいるのだと、肌で感じることができる。恋愛って、究極の自己満足。私は最近そう思い始めている。過去には自分の認知の歪みに気が付けず、大切な人を何度も傷つけた。周りのことも、自分のことも傷つけた。あの時と比べたらはるかに成長していると素直に認めることができるし、物事を0か100かで考えなくても良いんだってことを学んだ。人は案外他人にかまっているほど暇じゃないこと、時間が大抵のことを解決させるということも。

 そう考えるようになってから、私は所謂「メンヘラ」ではなくなった。マイナスな見方をすると、人との付き合い方がかなりドライになった。こういう悩みが次から次へと湧き出て尽きないのがある種恋愛の楽しみなのでは?と思うこともある。そのたびに人付き合いの難しさを実感するし、10代のほとんどを室内で過ごしたことをほんの少しだけ後悔している。

 「そういう悩みは、今すぐに答えを出そうとしなくていいんだよ」と教えてくれた人がいる。まずはその人のことを信じてみたいけれど、その前にまずは自分を信じなければいけない。他人を信じるということは、"その人を信じる自分"を信じていなければ理屈が成り立たないからだ。だから、勇気を出して未来の自分に任せよう。その行為がきっと、自分を信じるための土台を形作らせるはずだ。


(ヘッダー画像は散歩の途中で見かけた深夜猫。おすそわけです)

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