あの人に送らない手紙

 あの人との関係が終わった話を他人に話そうと思っていないことに驚いた。私だけの思い出として大事に撫でたいわけではない。きっと解決させたくないのだ。「あの時は私が悪かったのかな」なんて思いたくはない。それは内省とは別の話。パズルのピースがぴったりハマっている状態が絶対的な正常だとは思わない。ぐちゃぐちゃになったものでも、保存して、慈しみたい。

 過去はどう足掻いても過去で、今この瞬間にも思い出は美化されていく。正しかった形は失われて、私が求める形に変化してしまう。それが嫌なのだ。それでも、あの人のことを想った気持ちや共にした時間は、たとえ喧嘩別れをしたとしても簡単に形が変わったり、失われるものではない。いつでも胸の奥に純粋なままで鎮座していて、ささやかな光を放っている。私はそういうものたちを抱えながら、「人生」の報われなさに打ちのめされているのだと思う。こういうことを考えられるようになったのもきっとあの人のおかげ。でも俺はそれを恩だとは思いたくない。あの人に「自分のおかげで変わった」だなんて傲慢なことも思ってほしくない。きっかけをくれたことには感謝しているけれど、その後努力したのは紛れもない私だから。あの人のためではなく、他でもない私のために頑張ったというだけの話だから。いじめの辛さをバネにして成功した人間が、皮肉で「いじめてくれてありがとう」と言うことはあるかもしれないけれど、いじめた本人が「俺がいじめてやったからあいつは成功した」とは思わないだろう。

 今回の別れはカテゴライズし辛い。恋愛ではない。今考えれば友達ですらなかったのかもしれない。ただ学んだことは、人とまともに向き合うには、私にはまだまだ経験が足りないし、そういう行為には体力と忍耐力が必要だということ。

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