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vo.1 はじめて空を見上げた日

目を奪ったのは、刻刻と移り変わっていくピンクと紺のコントラスト。自分の目に焼き付けるのか、10歳から貯めた500円玉をはたき、手に入れた中古の一眼レフに残すのか。
散々葛藤しながら、旅先の鹿児島でひとりシャッターを切っていた26の春。

しばらく涙が止まらなかったのは、自分の心の鎖が溶けていく感覚が、この空のうつろいに共鳴したからなのか、はたまたド平日に働きもせず自由にしている自分に感動と恐怖が止まらなかったからなのかは、あれから5年経った今、定かではない。その両方であり、なんならもっといろんな感情が湧き上がっていたかもしれない。

もちろん空を見上げたことなど数千、数万回と、この人生の中にもあった。
静岡の駿河湾沿い、徒歩1分の家に生まれた自分は、伊豆の山からのぼる朝日に感動しながら海岸線をランニングすることが週末の楽しみだった。
しかし、この日ほど空を仰いで感情が揺さぶられたことはなかった。
「新しい何かが始まる。」
そう祝福されているようだったし、もう戻れないぞと試されているようでもあった。夕暮れにもかかわらず、幕開けを感じたこの空は、僕の人生を映画化するならオープニングに使われるだろう。


今書きながら気づいたが、
僕は、このマガジンで、自分の人生を映画のように描きたい。
いつの日か、大いなる何かに祈った「誰かに語れるストーリーが欲しい」という想いがあったことを思い出した。その当時のことを思うと、幾分面白いカットをいくつも収録できたなと思う。

僕は、人に影響を与えたい。
それはもちろんこれを読むあなたにも。

一人の男が、生き生きと生きる自分を求めて歩んできたストーリーが
「これからどんな人生が待っているんだろうか、私らしく生きるってどんなことなのだろうか」と問いが始まり、新たな一歩を踏み出さずにはいられなくなるきっかけとなりますように。

1.宗教三世、脱会。


これは、僕の生きてきたこれまでの人生(30年)にとって、とても大きな1つの転機だった。
人生が変わったことをわかりやすく伝えるため、”宗教を脱会した”という点に焦点を当てたが、

同時にやめたことがたくさんあった。
・小学校教諭という仕事
・受け入れられなそうなことを親に言わないこと
・もっていた車を維持すること
・やめておけと言われてやめること
・生まれ育った静岡に居続けること

言葉が違うだけで、自分にとっては全部同じ意味だった。
要は、今の自分に必要ではないと思うもの、合わないと感じるものをひとつひとつ手放したということだ。

その際たるものが宗教であり、僕の人生の隅々まで蔓を伸ばし、影響を与えていたもの。
それが宗教だった。

2.生まれた時にすでにあったもの

僕のそれは、崇教真光というところで、母方の祖父母の代に入信したと聞いている。
特に祖母は熱心な信者で、家には御神殿(と呼ばれる、祭壇?と言ったらいいのだろうか)があり、家に行ったらまず真っ先に手を洗って、そこで礼拝することが決まりだった。
母が若い頃に、入信した祖母に誘われ、母も入信。
父は母と結婚すると同時に入信。
僕も生まれた時にすでにあった環境ということで、疑うこともなく入信していた。もちろん弟と妹も必然的に入信した。

3.目的は、自分のストーリーを語ること

であって、団体を批難したいわけでも、そこに入るなと言いたいわけでもない。

ただ、この年になって、いまだに多くの偏ったものの見方が根深く自分の中に蔓延(はびこ)っているというのは、事実だ。自由に生きたいと願うかたわら、ふとした瞬間にうずく古い傷が、自分の歩みを遅らせる。

これまでも、たくさんの記事を書いてきたが、書くことは何よりも自分のことを癒すことにつながる。そして、それを読んだ人がその人自身のことを癒すきっかけとなり、まだみぬ誰かと、今の僕をつなげるきっかけになるだろうと願っている。

宗教に代表される自分を取り巻いていた環境からの脱却は、体こそ叶っているものの、心の内側では、まだまだ果たされていないともどかしいこの頃。
このマガジンとともに、自分との信頼をたくさん取り戻して行きたいと思う。


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