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500日やったら視線が上がった

 グラレコの筋トレというものを2018年7月10日からほぼ毎日やっています。

 100日ごとに振り返りを書いています。この記事は500日が経過してのふりかえりです。過去の振り返りは記事の最後にリンクを貼っておきます。

飽きてもやめない驚き

 400日の振り返りの際に、飽きたという話を書きました。
 飽きたら、きっかけがあればきっとやめるのだろうと思っていました。年末にインフルエンザに罹りまして、5日間できなかった日があります。
 それだけ空いたのは初めてした。そのタイミングでやらなくなってもおかしくなかったでしょう。

 けれど、気づけば再開していました。
「面倒だな」「嫌だなぁ」と抵抗が浮かぶ間もなく再開できたのは驚きでした。

人の話を描きたい欲求 

 最近はどう描くかよりも、なにを描くかに興味が移っています。これまでは、どのように描くと見やすいかわかりやすいかを試行錯誤していました。だから、自分の上達に一喜一憂してきました。

 現在は、描く対象に意識が向いています。グラレコの利点は、とりとめのない言葉を紙に落とし込んで、見える化できる点だと感じています。話を聞きながらそれを紙に落とし込んでみたらもっと奥行きが生まれたり、音声情報では漏らしてしまう情報が拾えたりします。

 ただ明らかにすればいいのではなくて、「僕はなにを視覚化したいのだろう?」と問いが生まれています。もともと、喋るよりも人の話を聞くのが好きです。他者を知る手がかりとしてもっと使えないかと考えています。

 ただ、それは筋トレを続けてきて、描く行為が身体化された証拠なのかもしれません。慣れていない時は一つ一つ躓きながらやっていた描く過程が、考えずにできるようになってきた。
 だから、紙に向いていた視線は上がり、目の前の対象に意識を向けられるようになったのでしょう。

「やりたいこと」を見つけるために始めなくてはいけない

 500日続けてきて思うのは、初めから「やりたいこと」を探さない方がいい。
 手がかりが一切ないところから見つけようとするから、すぐに行き詰まってしまう。そうじゃなくて、まずはやってみて、「違う」のか「近い」のか実感を得る必要がある。そうしたら、次の一手が打てます。
「自分のことはわかっている」と嘯いてみても、実は本心なんて僕達はわかっていないんですよ。だから、それを知るために行動を起こすのです。

 手を動かす。身体を動かす。そうやって自ら切り開くのでしょう。
 始めるのはなんだっていい。できることから始めてみよう。

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