毒にも薬にもならない言葉の効能
昨日、区切りをつけることについて書いたら、その日のうちに5、6年前に1度会ったきりの人から連絡があった。
僕はその人とWSで一緒になっただけで話した時間で言えば、合計で10分にも満たないんじゃないだろうか。
その人が、僕のnoteを読んでくれて、「インタビューゲームがやりたい」と言ってくれた。
本当に世の中不思議だ。
身辺整理をしたことと連絡がきたことに関連性は見出せないのだけど、無関係とはやっぱり思えないのだ。
なんでこのタイミングで、こんな話がくるのだろう?
ちゃんと掃除するものだ。物理的なものだけじゃない。PCのデータや自分の心の中もきちんと整理しておく。風通しのよくなったところには、新しい風が吹き込んでくる。
続けて、書いて、公開してよかったなとしみじみ思う。
無駄じゃなかったし、やっていてよかった。
こうして文章を書いていると時折承認欲求が暴走して、「こうやって書いたらスキをもらえるんじゃないか」という気持ちがもたげる瞬間がある。
それが悪いことだと思っていないし、自分の目的に必要ならばだれかを不幸にするわけじゃないからやればいいのだ。ただ、深呼吸をしてみると、やっぱりそういうことがやりたいんじゃないのだと気づく。
劇薬のような即効性のある言葉ではなくて、化粧水のように肌になじむ言葉を紡ぎたい。圧倒的な結果よりも、気づけば変わっていたというささやかな、けれど持続する喜び。そして、なによりもそれが他者によって与えられたものではなく、自分によって獲得したものだと自覚できるものであってほしい。
だから、毒にも薬にもならない文章を書こう。
無意識の海底にほんの一粒つもって、意識の水面に顔を出すまで愚直に積み重ねる。必要なければ捨てればいいのさ。
また、捨てたらまた別のなにかが吹き込んでくるんだから。
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