きっと、だいじょうぶ
人生はなにが起こるわからない。だから、そのための準備をします。躓きそうな障害は取り除いて、たくさんの保険をかけて、それでも十分じゃないと感じる人もいるようです。
一旦不安に付きまとわれると際限なく膨らんでいきます。そういうものを振り払うのって、意外と根拠のない自信じゃないかと思います。
散歩中の出来事
住宅街は奇妙な静謐に包まれていました。人気がなくて、音がやんでいる。その代わりに、普段は耳にしない自然な音が聞こえる。陽気をはらんだ風が耳を撫で、肺へと届く。地面を踏みしめる足はどこか軽い。
そんな中、突然ふと頭の中に浮かんできた言葉があります。
僕はきっと、だいじょうぶ。
「あっ」と思いました。なにに対してなのか、いつのことなのかわかりません。それでも僕はだいじょうぶだ。
なにがきっかけだったのかはわかりません。閃きなのか、日々の積み重ねのか、はたまた妄想なのかもしれません。でも、そう思ってしまった。その言葉が響くたび、一歩踏み出す身体が軽くなります。意識していなかった緊張がほどけていくような感覚がありました。
自分を信じる
きっと、だいじょうぶ。
僕がそう思うことになんの根拠もありません。だけど、自信ってそんなものだと思います。他人から見るとなんでもないような些細なことでも自分を信じる種となる。
根拠があるもの--他者からの承認や客観的事実は一見頑丈ですが、その支柱がなにかの拍子に外されると途端に崩壊します。
保証なんか求めても、それほど意味はないのかもしれません。
お金を貸す時に、たとえ証書を作ったとしても、その人が不慮の事故で亡くなり、連帯保証人も偽物だったら、お金は戻らない。絶対の保証なんてない。
なにかにすがることもなく自分の足で立てば、いちいち翻弄されることもないのかもしれません。神もお金も名声も担保にせず、ただ信じている。とてもあやふやで、今にも倒れてしまいそうなほど頼りないけれど、バランスを取り続けることはできます。
きっと、だいじょうぶ。
24時間絶えずそう思えるわけではありません。
けれど、そう唱えながら自分自身を抱きしめるのです。
僕はきっと、だいじょうぶ。
だからきっと、あなたもだいじょうぶ。
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