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判断しているのはわたしだ

 人の話を聞く時に、評価・判断をするなと言われる。とにかくその人の話をただひたすらに聞くのだ。問題点を洗い出すのでもなく、解決策を導き出すのでもない。

 それなりに人の話を聞く体験をしてきて、僕はある程度の評価・判断せずに聞けるようになってきた。単なる自称ではなく、他者からもそういう評価をいただいている。

 でも、ちっぽけなプライドで築いたハリボテに過ぎなかった。

 すぐに判断・評価する人がいると、その人に対して苛立ちを覚え、嫌な人だと感じていた。けれど、それこそが評価とレッテル貼りだ。

 一番嫌なことをやっているのは、僕自身だった。

 なぜそれに気づいたのかといえば、僕がすぐに評価すると思っていた人が「自分はすぐに自分の考えを言ってしまう」とつぶやく瞬間に立ち会ったからだ。
 集団で対話していて、僕は聞き手として、ただただ話し手の話を聞こうと思っていた。けれど、聞き手のもう1人がすぐに自分の意見を披露する。僕は心が冷めていくのを感じながらも、一生懸命話してくれる話し手の言葉に耳を傾けた。

 そうしたら、意見を披露してばかりいた人が終わりがけに反省を口にしたのだ。

 ああ、そうだった。
 別に話が聞けないというのは、ただそれだけのことなのだ。

 それが悪いと決めつけているのは僕だ。自分ができるからと、偉くなったような気分で見下している。自分が一番嫌いな人間に自分がなっていた。

 結構ショックな出来事であると同時に、少し救われた。自分が嫌いかけていた人に、人間の可能性を教えてもらった気がした。

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