僕は間違っているかもしれない
口先で「自分が悪い」と言う人はいるけれど、そう言う人達は案外心の底では認めていないのでしょう。だって、自分が悪いと言いながらもその行動を修正していないのですから。
けれど、自分の非を認めることは結構しんどいことです。
それは頑張って築き上げてきた積み木を、自ら崩すようなものですから。
なんでやらなければいけないのか? という気持ちが湧き上がってきても仕方ありません。
けれど、土台の脆いものをいくら積み上げても頭打ちは目に見えています。だからより高く広く積み上げていこうとすればするほど、一旦崩すこと、すなわち自分の持っている考えを一旦捨て去って、1から作り直すことも必要になってきます。
いや、だったら最初から土台をしっかり作っておけば良いと思うのですが、やっぱり人間視野が狭いものなので、現在見えているものなんてたかがしれています。積み上げていくことで見つけられる風景があります。しかし、見つけてしまうからこそ、裾野を広げるか、そのまま積み上げるのかの選択肢が生まれて葛藤が生まれてきます。
ただ、もしそれを崩すならばタイミングはなるべく早い方がいいです。
気づいた瞬間には手放すくらいでいいかもしれません。要はその積み上げてきた労力と時間を惜しんでいるわけなので、迷えば迷うほどに手放したくなくなってしまいます。
生まれてこのかた何十年と信じてきたものと、1日しか経っていないものだったらやっぱり後者の方が手放しやすいです。
だから、僕はなるべく頻繁に自分に投げかけるようにしています。
自分は間違っていないだろうか?
自分にとって都合の良いことも悪いことも、1度は考えてみる。それでも見落としが出てきてしまうのですから、やりすぎるくらいでもちょうどいいでしょう。
もしかしたら、この考えだって間違っているかもしれません。
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