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生きるために食べるのか、食べるために生きるのか

 「食いっぱぐれないように」と僕は祖母によく言われていた。祖母は大正生まれで戦争の真っ只中にいた人。終戦後、洋食屋を営み毎日毎日一生懸命に働いていた。僕が小学5年生の頃、祖母は洋食屋をたたみ、ある意味隠居生活に入った。両親が3歳の時に離婚していたので、僕はそれ以降祖母とずっと暮らしていた。その当時、テレビドラマをよく観ていて、演技に興味を持った僕は地元にある児童劇団に、どうやったら演技の勉強が出来ますか?と手紙を書き送ってみた。2週間後、いつものように学校から帰ってくると居間のこたつテーブルの上に開けられた手紙が置いてあって「お前はこういうことをしたいのかい?お前は食いっぱぐれないように公務員にならないと。」なんだか人の秘密を勝手にこじ開けられたのと、演技をすることを否定されたみたいでむしゃくしゃし「こんなのやりたくないよ!」と自分の気持ちに逆らい感情的になってその手紙を破り捨てた。僕は2階に上がり自分の部屋ではない誰もいない部屋で泣いていた。祖母の気持ちもわかる。父親は良い大学を卒業したのにもかかわらず遊び人だったからだ。「食いっぱぐれないように」子供にとってはピンとこない言葉である。
 中学生から高校生へ。このまま大学に行くのかなと漠然と思っていた矢先、その頃ブームだったジャズダンスを始めてみた。その日から僕の人生が変わったと言っても過言ではない。小5で祖母に打ち砕かれたあの日以来、自分の本当に好きなことを見つけられずにいたからである。中学の部活も友達が入ったからついでに入っただけでそのスポーツが好きではなかったし、高校は帰宅部だった。勉強もさほど出来た方ではないから、なにも自分の目の前に見つからなかった。そんな夢も希望もない高校生に神様はチャンスを与えてくれたのだ。とにかくがむしゃらに踊っていた。東京にレッスンを通うようになり、ニューヨークでレッスンを受け、インスパイアされてその2年後にダンス留学。ロサンゼルスに移り、少しだがダンスで仕事をした。それから日本に帰国し今だにダンスが生業とした生活をしている。更には小5で無惨にも打ち砕かれた演技の仕事もするようになっている。確かに公務員のように安定はしていない。この業界アップアンドダウンが定期的にやってくる。それでも生きている。いつも自分に問いかけるのは、生きるために食べるのか、食べるために生きるのか。
 時代が変わり僕達には選択肢が増えたと思う。「食いっぱぐれない」という考え方で、未来への可能性の扉を閉じてしまわないで「生きる」ために食べるようになれば。この殺伐とした世の中がもっと優しい世界に変化出来れば。祖母はだいぶ前に亡くなってしまったが、今の時代を見たらきっとわかってくれると思う。

#未来のためにできること

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