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アイスランド旅行記⑱キャンプ地に到着

前回までのあらすじ

アイスランド最大の氷河湖、ヨークルスアゥルロゥン氷河で言葉を失うほどの衝撃を受けた。日本では絶対にありえない世界を目の当たりにし、自分の人生で唯一無二の経験となった。

長距離バス移動の果て

ヨークルスアゥルロゥン氷河を出発したバスは、その後どこに停まるでもなく、リングロードをただひたすら走り続けていた。

みんなが元気だったのは氷河での休憩時間が最後、気付けばバスの外は真っ暗になり、車内には重い空気が漂っていた。無理もない。朝9時にレイキャビクを出発して、既に10時間以上が経過している。しかも、日本の高速バスのような居心地の良いバスではない。昔よく見ていた「地球感動配達人 走れ!ポストマン」という番組(観てた人いるかな〜…)で、ポストマンが僻地に行くまで狭いバスで疲労困憊していた姿を思い出した。

私はというと、意外にもそれほどはダウンしていなかった。アイスランド旅行記⑨で「車移動が苦にならない体質が、3日目に功を奏す。」と書いていたのは、実はこのことである。
ただ、外の景色が見えなくなって数時間が経つと、さすがに気分もどんよりしてくる。

とにかく、バスの座席は前後のスペースが狭いのだ。かばんを膝の上に置いていたのだが、そのせいで足全体が痛くなっていることに気づいた。頭上に棚はあったが、何か手元に欲しくなった時にいちいち隣に声をかけたり、立ち上がったりするのが億劫だと思い使わなかったのだ。自分のこういうその場しのぎ的な行動には、つくづく困ってしまう。「疲れたなぁ、足も痛いし。一体いつ着くんだろう。この場所でエンストして放り出されたら、もう日本に帰れないなぁ。」などとぼんやり考えた。

そんな中、バスが大きくUターンのような動きをした。リングロードをひたすら直進していたバスが、何やら違う動きをしている。眠っている人が大半を占めていたが、変化を察したのか、ぼちぼち起き始めた。

外を見ると、家のような建物がわずかに点在し、街灯もぽつりぽつりと立っているようだった。ついに、目的のキャンプ地に到着したのか。みんなザワザワし始めた。

キャンプ地に到着

現地時間 2017年2月20日 23:00

レイキャビクを出発し、13時間が経過していた。こんなに車に乗っていたのは初めてだった。
疲労困憊のメンバーたちはバスを降りた。

そこにあったのは、地下1階、地上2階建ての大きな一軒家だった。

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↑リアルな暗さがこのくらいだった。これでは分かりにくいので、別日に撮った写真も載せておく。

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この家は、本当にすぐ後ろが海に面しており、ロケーションはこれ以上ないほどの素晴らしさだった。ここが日本のホテルなら、旅番組で「日本一海に近いホテル」などと紹介されるであろう。

だが、到着時は真っ暗で海の存在にすら気付かなかった。波の音ぐらいは聞こえていただろうが、その記憶も曖昧だ。とにかく全員疲れ切っており、リヤカーから荷物を取り出して、すぐに家の中へ入った。

場所は、地図で見るとこんな感じ。

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レイキャビクからリングロードを反時計回りに走り、中間地点よりやや手前といった所だろうか。

雪国らしい頑丈な2枚扉(外の扉と内扉の間に、1畳ほどの空間がある。)を開けると、広いリビングルームがあった。そこに色も形も大きさも様々なソファが、真ん中を囲む長方形のような形に並べられており、参加者は全員そこに腰掛けた。

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↑リビングの壁には、過去の参加者たちが作成したと思われる、各国の地理や文化などを紹介する模造紙が貼られていた。

部屋の中心を囲むようにして座った私たち。明るい室内で改めて顔を合わせると、やっぱり今日出会ったばかりの人たちなんだということを痛感する。みんな疲れていることもあり表情は険しく、やっと目的地に着いたものの、くつろげる気分にはなれなかった。

予想外の展開

落ち着いたところで、スタッフの2人が話し始める。そこで聞かされたのは、予想外の話だった。

「あなた達の半分はこの家で生活し、もう半分は少し離れた別の家で活動することになる。ここに残るか、もう一軒の方に行きたいか。今決めてほしい。」

と、そのようなことを言われた。
話を聞くと、どうやら作業内容にも違いがあるらしい。ここでは掃除やペンキ塗りといった、比較的軽めの作業を行うが、向こうの家では木材からDIYをしたり、改築を行うなど本格的なリノベーションをするとのことだった。
(忘れそうになるが、一応「国際ボランティア」というプログラムに参加しており、元々そういった作業を行うことは知らされていた。)

また、寝る場所についても違いがあった。この家では全員分のベッドがあるが、向こうの家では基本的に寝袋で寝ることになるとも言われた。

簡単にまとめると、ここはルームシェアしながら軽めの作業をする生活、向こうは本格的な大工作業ができるサバイバル生活、ということだ(ちょっと違う)。


一通りの説明を終えると、スタッフの1人が、日本人グループの中でも英語の得意なメンバーに、「あなたはみんなに日本語で教えてあげて」と言ったた。
前半の説明は部分部分しか聞き取れなかった私も、その一言はしっかり分かった。そして、なんとなく嫌な気持ちになった。

今回のメンバーは、フランス人や韓国人など、英語が母国語ではないメンバーも多かったが、日本人以外はそんな扱いはされていない。
日本人が多かったため、日本人同士で日本語を話すところを何度も見られていたせいもあるのだろう。どうせ私たち日本人グループが下に見られているんだろうなと、ひねくれモードになってしまった。
どうやら私だけでなく、他の日本人もちょっとムッとした表情になっていた。

それはさておき、今朝8:30に初めましてをした時から、このメンバーは全員一緒に活動するものだと思い込んでいたので、突然のグループ分けになかなかの衝撃を受けた。

私は、ほとんど迷うことなく、ここに残りたいと思った。
理由は、重労働に耐えられる自信が無かったことと、ここなら確実にベッドで寝られるからだった。正直、長距離移動の疲労もピークに達しており、これ以上バスに揺られたくなかった気持ちもある。先ほどの「日本人に教えてあげて」発言でひねくれモードに入っていたこともあり、作業以外の部分でも日常生活に自信が無かった。

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↑リビングを見渡しただけでも、ここなら最低限の家電やキッチンがあり、そこまでアウトドアな暮らしをしなくても大丈夫そうだった。向こうの家は、行ってみないと分からない。そんなギャンブルは御免だと思った。

さて、全体で希望をとると、ほぼ綺麗に半分に分かれた。

ここに残る人は、私と、同じゼミから参加した日本人5人グループ全員、同い年の日本人の女の子1人、少し年上の韓国人の女の子1人、スタッフの男女2人の計10人。
移るメンバーは、よりハードなワークにチャレンジしたかったのだろうと思う。私の偏見だが、体が大きくタフそうなメンバーは、全員もう一軒の方に行くことになった。

ただスタッフの話では、11日間のワークの途中で家を移ることも出来るという。ひとまず今日のところは全員この家で宿泊し、移る人は明日の朝早くここを出発することになった。

Good night

無事話し合いが終わると、ようやくみんなに笑顔が戻った。2階へ上がり、部屋決めをする。

国際ボランティアのパンフレットには、「1つの部屋に男女一緒に寝袋で雑魚寝する」というようなプログラムもあったので覚悟していたが、このプログラムはどうやら当たりだったようだ。部屋がいくつもあり、年の近い女の子達だけで1部屋を使うことが出来た。

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明日からは人数が半分になるが、今日は2段ベッドをフルで使って全員が収まった。私は手前の上段を使うことになった。下段は、残る組の韓国人の女性。「荷物が多くて、スーツケースの中身を床に広げたいから下が良い」と言うので、私が上になった。彼女は非常に気さくな性格で、共同生活でも非常にお世話になった。それについては今後書いていきたい。

この家には浴槽付きのシャワールームがあるのだが、この日は既に23時をまわっており、シャワーを浴びることは出来なかった。雪国でさほど汗はかいていないとはいえ、あちこち観光した体でシャワーを浴びれないのはちょっと気持ち悪いが、日本から持参した汗拭きシートで我慢することにする。

ベッドの上にはマットレスがあるものの、毛布などは無いので、持参した寝袋を広げて体の上にかけることにした。やっぱり寝袋も持ってきて正解だった。家の中は暖房が効いており、寝袋一枚で全然寒くなかった。

アイスランドに来て3日目の夜。年の近いメンバーと、同じ部屋で眠りにつく。昨日までの一人旅と全然違う状況だ。

日本にいたら味わえなかった景色を堪能した今日という日を、一生忘れないだろうなと思いながら目を閉じる。疲れもあり、スムーズに就寝することが出来た。

次回、ドキドキワクワクのワーク初日です。


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