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アイスランド旅行記㉗再びリングロードへ

前回までのあらすじ

10日間の共同生活は、楽しい瞬間の連続だった。特別な体験をするより、みんなで一緒に過ごす事に価値を見出していた。それこそが特別な体験で、今望んでも戻らない時間だった。

Stöðvarfjörðurを出発

現地時間 2017年3月2日 7:30 AM

ついに、10日間滞在したStöðvarfjörðurを去る日がやってきた。

朝、別の家に行っていたチームの面々が到着。この家で合流してから、初日と同じバスに乗ってレイキャビクへ戻るようだ。

10日ぶりにリビングに集合した全メンバー。

リーダー2人とは、ここでお別れとなる。ロコモコ丼事件をはじめ、多少ギクシャクすることがあったものの、旅慣れていない私達を目一杯サポートしてくれた2人。

最後にお礼を言うため、私は日本から持ってきた抹茶のキットカットを渡した。今思えば、もっと良い物をプレゼントすればよかったのに。日本で準備している時、そこまで気が回らなかったのだ。


バスが到着すると、全員分の荷物を後ろのリヤカーのようなコンテナ(?)に詰め込んでいく。


日本では見慣れないこの光景。
交通法的に大丈夫なんだろうか…。


全員がバスに乗り込み、家を出発した。

別チームの家

バスは少し走ると、別の家に止まった。ここで一度私達は降ろされる。

そこは、別チームが滞在した家だった。なぜ私達の家に一度集まってここに寄ったのか、そのあたりの記憶が曖昧になってしまったが、何かの事情があったのだ、確か。

私達の家とは違い、一階建ての長屋だった。

一見普通の家だが、中に入るとリノベーションの跡が垣間見え、彼らの10日間の作業が想像出来た。

リビングと思われる広い部屋に入ると、たくさん人が集まっていた。

私達は、ここで信じられない光景を目にした。テーブルの上に、大量の食糧が置かれていたのである。

ロコモコ丼事件の旅行記で書いたように、私達の家では食糧不足が深刻で、キャンプ後半は節約の日々だった。

最初の頃は、朝食はパンにヌテラを塗ったり、シリアルに牛乳やヨーグルトをかけたり、バナナをかじったりと、各々好きなように楽しんでいた。それらは午後のおやつにも活躍していた。しかし、日が経つにつれてパンに塗るヌテラやジャムパンはおろか、パンそのものも無くなる始末。

ひもじい思いをしていた反動で、無造作に置かれた大量の食糧の中から、私達は少し拝借させてもらった。私は、オレンジ🍊をこっそり拝借。今思うと、かなり悪いことをしたと思う…。ごめんなさい。

帰り道への不安

さて、別チームの家を後にしたバスは、再びリングロードを走り出した。

ここで、ふと疑問が浮かぶ。

まさか、ここからリングロードを1周してレイキャビクに戻るわけではあるまいな・・・?!

現在の位置がこちら。

Stöðvarfjörðurはアイスランド東部、時計で言うなら「15時」の位置だ。
ここから「7時」の位置と言えるレイキャビクに戻るとなれば、距離が短いのは「時計回り」。来た道を戻る南西ルートのはずである。

しかし、あなどるなかれ國際ボランティア。何の説明もなく(orあったけど聞き逃した)、バスは北上した。

そして、小1時間走って降ろされた場所がここ。

な、何も見えない・・・
・・・お?
・・・んん?!

おおー!

というわけで、例によって位置も名前もわからない場所に放り出されての自由行動が始まる。

次回、キャンプが終わってもまだ気を抜けない、無事にレイキャビクに帰れるのか。ドキドキハラハラのリングロード珍道中を振り返ります。

おまけ:私達を乗せたバス。


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