週報 Vol.2 課題のいろいろ
みなさん、こんにちは。
先週よりは天気が安定してきた大崎下島です。晴れているときの強い日差しは夏本番を感じさせ、先日仕事の合間でひとり海開きもしてきました。
今週はどんなだったかなと振り返ると、ミーティングで誰かに「最近どう?」と尋ねられるたびに、疲れがたまっていると答えていました。
忙しさもあるけれど、それ以上に気疲れを感じていたので、自分の内外で何が起こっているのか観察する、疲弊していく構造を考える、そして小さく変えられそうなところから手を加えるということをしていました。
信頼できる何人かにちょっと相談したりもして、いろんな見え方や励ましをもらって。(とてもとてもありがたい。みなさまいつもありがとう。)
あれやこれや考えていたけど、さっき休憩している時にたぶん大きな要因はここにあったな、と気がついたことがあったので今週はそれについて書くことにしました。
よくよく観察していくと、思い通りにいかないことへの耐性が低い、それが全部につながっているように見えた。
自分には「失敗した経験が少なくて、小さな失敗で気持ちが落ちる」クセがあって、その前提には失敗するのが嫌だ、あるいは全部うまくできていたい、という価値観(ニーズ?)があるように思えた。
その前提と今のような状況が重なると、うまくいかないことが多く、投げ出したくなってしまうなあと。
中学生くらいの頃の記憶と照らし合わせても、これがかなりしっくりきて、こりゃしばらく付き合う課題になりそうだなあという予感がします。
ちょうど2年前くらいにも、そういえばまったく同じことを自分は考えていたことも思い出しました。
当時関わらせてもらっていたプロジェクトを主導で進めていた数人の大人たちは、みんな思い通りにいかないことに対してまったくネガティブじゃないように見えた。むしろ失敗を楽しんでいる姿をたくさん見た。
彼らを観察していると、このやり方がダメなら次はこれでどうか、という切り替えのスピードが速くて、変に考えすぎずにいろいろ試していたなあと思う。(簡単には結論を出さずにゆっくり動く場面もあったから、きっとそれは使い分けがあるのだと思う。)
そんな様子を間近で見せてもらって、この感じでいたら仕事に限らずより豊かに生きていけそうだなあと思った。
今やらせてもらっている仕事のひとつが実証実験中のプロジェクトで、失敗に一喜一憂する自分がここにいるのは、ある意味運命かもしれないなあ、と思う。
相性が悪いから大変だねと言えばそれまでだけど、まあ神様が気の利いた贈り物をしてくれているんじゃないかな、ということにしている。実際どうなっているかはどうでもよくて、自分がどういう捉え方を選ぶのか、なのかな。
今回はちょっとハードな、でもこれにちょっとずつ慣れていけば、この先きっとだいぶ生きやすくなる課題を仕事を通してくれたんだなあということにしておこう。
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ここからは余談です。
反対に「成功体験があまりないから自分に自信がもてない」、と悩んでいる人も多くいるなあと思う。彼らが教えてくれるのは、成功体験と失敗と、それらをどんなバランスで経験してきても、完璧なバランスとか、絶対困らないとか、ありえないんだろうなということ。
成功ばかりしてきた人をうらやましく思う気持ちは、すごく自然に納得できるけど、きっとそれはそれで重荷になったりするんだろうなと知っておくと、変に自分を否定しなくて済む気がした。
もうちょっとだけ余談をひきのばすと、
そもそも自分のいろんな性質をがんばって変える必要あるんだっけ?という問いもあっていいと考えている。本当に、自分のカタチを外側の何かにハマるようにがんばるの?って。
今の僕は、それが仕事に限らず、人生全体のために取り組んでおきたい課題だなと感じるから取り組むけど、逆に取り組まないと決めている課題もいくつかある。
それについて話を広げると、どこまでも続いていってしまうので、今日はこのくらいに。
読んでくださったみなさん、ありがとうございました。
よい一日になりますように!
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