エンドレス~サカナクションと乗り越える夜~
不意に流れてきて、一人の夜へ誘う詩
夜を乗りこなすのではなく、夜を乗りきる
サカナクションの復活ライブ素晴らしくて、涙と汗が止まりませんでした。
ライブの感想は、またネタバレが許されるタイミングや円盤化のタイミングにするとして、
今回は僕が、お話ししたい曲についての徒然な話をしていきたいと思います。
第一回に選んだのは、サカナクションの「エンドレス」です。
まさに、この曲の歌詞は、サカナクションの「夜を乗りこなす」というものを体現していると思います。
しかし、この詩はあまりにも「何か後悔を生んだ日の夜」の感傷に的を得すぎているとも言え、
僕としては「夜を乗りこなすのではなく、夜を(なんとか)乗りきる」詩となっています。
誰しもが楽しかった夜の最後に待つ後悔
放課後・勤務後の一人ではない飲み会や食事会などの楽しい夜の時間では、
様々な会話が出て、時には、自分以外の人や芸能人などの話をして、
「この前この人にこんなことがあったんだ」
「こんなことがニュースになってた」
と笑ったり悲しんだり、憤ったりして、過ごすことも多いです。
そして自分はよく、帰宅後のお風呂にてその時の会話を反省してしまうことが多いです。
「みんなに釣られて笑ってしまったけど、失礼じゃなかったか」
「あの政治家や子、コメンテータも何か考えた上での行動だったんじゃないか」
「あの時、アレコレ言われてた子と比べて自分は何もしていないんじゃないか」
この、一人の悲しい夜の時間まさに
「何か後悔を生んだ日の夜」の感傷の夜の時間
を的確に表現し、僕らの夜を乗り切る力をくれるのが、
サカナクションの「エンドレス」
だと思うのです
「後ろから僕は何て言おう?」
登場人物全てが、「他人」であり、全てが「僕」
「誰かを笑う人」の「後ろにもそれを笑う人」
「それをまた笑う人」と「悲しむ人」
「悲しくて泣く人」の「後ろにもそれを笑う人」
「それをまた笑う人」と「悲しむ人」
まさに詩の最初にこの夜の
「何か後悔を生んだ日の夜」の感傷
の全てが表現されているのです。
そしてこれ全ての「人」に「他人」が当てはまり、「僕」が当てはまるのです。
でもこの「他人」や「僕」は一人称です。
楽しい夜のその中で、自分や他人の目から世界を見ている「一人称の自分」です。
そしてそれを
一人の夜に、三人称の視点で、悩み。苦しむ「自分」を見て、
「後ろから僕は何て言おう?」
「この指で僕は僕を指す」
のです。
結局、「この夜」には僕しかしない
夜、みんな実は起きているんのかもと思いながらも、同居人が寝ているから
友人からのLINEが返ってこないから、みんな寝ているかもと思う夜。
他人の声が聞こえるはずもなく、感情に色がつくはずのない夜
「耳を塞いでる僕がいる それなのになぜか声がする」
「見えない夜に色をつける声は誰だ」
「後ろから僕はなんて言われよう」
まさに、孤独で後悔・悩みだけが残る夜に、
思いを吐露し、「この夜」に僕しかいない、僕だけの色が滲み出ることを覚悟し、
自分で自分をどう思うのか、「なんて言われる」のか覚悟して、
静かに夜を(なんとか)乗りきる
この僕らの夜の感傷を詩にしてくれているのではないかと僕は思うのです。
夜を乗り切っていく僕らに
徒然なただの僕の感傷で、山口一郎氏の素晴らしき詩に解釈をくわれることは、神をも恐れぬ行為とはわかっていますが、あまりにも素晴らしく、僕らの心を表しているのです。
このいちファンの解釈をここまで読んでくださった皆さん本当にありがとうございました。
そして、夜を乗りこなしましょう。
「NHKスペシャル 山口一郎”うつ”と生きる〜サカナクション復活への日々〜」
を見た夜に
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