【短編⑤】言葉は脆く、されど踊る。
2階のアパートから階段を下り、まっすぐと住宅街を突き抜けるように伸びた道に出る。
案外にも、外は涼しい風が吹いていた。
ついこの間まで、粘りつくような暑さだった日中だったはずが、いつのまにかこんなにも涼しげな風が吹いていることに初めて気づいた。
秋風の到来に、あぁまた一つ季節を越してしまったんだなという哀愁が心の中でさざめき、自分はこんなにも季節に鈍感になってしまったという落胆すら覚える。
自然を感じるのが、ただ住宅街を吹き抜ける風だけだなんて、なんて物悲しい街なのだろうか。
ほどなく道を歩き、近くの大通りまで出ると、先ほどまでの雑多な住宅街の裏道とは違い、喧噪にあふれた国道沿いへと出た。
田舎から出てきた間もないころは、こんな埃っぽいところどうして人が住めるのかとマスクを手放すことはできなかったが、今ではその気すらすでに感じず、この街並みを通る秋風すらも心地よいと思う自分がいる。
人は環境の子であるとはよく言ったもので、いつの間にかこの薄汚れた埃と煙を吸い続けたゆえに、いつしかの清純な臓器が、黒い斑点が浮き出るような臓器に改造されてしまったとさえ錯覚するほどに、今はもうこの淀んだ空気に違和感さえ抱かない。
5分ほど歩いただろうか。
がやがやとした出入り口と、道を塞ぐように並んだ自転車が目印の安売りスーパーへとたどり着いた。
私はお昼ご飯を探しに来たわけだが、特に何が食べたいとかという目的があったわけではない。
ここに住んでからというもの、腹が減ったという度に足を運ぶこのスーパーのお弁当はほぼ全てを食べてしまった。
価格が安いことが売りなのだが、それゆえに味が平坦であるため、それほど美味しさを感じたことはない。
ただただ、コスパがいいという理由だけでこの安い弁当を食べ続ける私はどうも頭が変なのだろうか。
たまにはどこか遠出でもして、外食でもしようかと思い立つ日もあるが、習慣というものは恐ろしいほどに新たな感覚というものを拒み、否定していく。
私はスーパーへと入店すると、お弁当コーナーへと曲がりなく向かう。
そこには作り立てのお弁当たちが段となって重なり、早く買ってくれと言わんばかりにお客に主張していた。
見渡す限り、一面の茶色。
唯一、油でしなびた気持ち程度のレタスが、少しばかりの緑を生やしている。
どこかで同じような光景を見たことがあると思い返してみれば、それはいつかのドキュメンタリー番組で見た鳥取砂丘の砂面と似ているのではないかと妄想をしてしまった。
そんな妄想が脳みそを過ったものだから、とうに食欲など失せてしまい、私はお弁当コーナーをUターンしてそのままスーパーの外へと歩き出てしまった。
私は、スーパーよりその先の道を知らない。行ったことがないのだ。
そう思うと、自然と足がその道の先へと向いた。
いつもながらの習慣と外れた行動は私に少しの罪悪感と好奇心を与えた。
スーパーより先の国道沿いの道は初めて散歩する道になる。
もうここに住んでもう3年は経っているというのに、この地域で歩いている道といえば、正反対に位置する最寄りの駅までの道と、徒歩5分のスーパーまでの道しかなく、私の移動距離というのは極端に少ない。
私にとって小さな冒険が始まった。
横一列にずらりと並んだ凹凸を奏でる建物は、まるでピアノの白と黒の鍵盤のようであった。
国道沿いということもあり、おしゃれな雑貨屋や、私には縁遠いキラキラとした装飾のなされた美容院、いい香りを漂わすピザ専門店など雑誌特集に取り上げられそうなお店が等間隔に並び、その間には挟まれるように時が止まっているかのような古びて色剥げた民家が居座っている。
国道沿いの左右どちらともがシンメトリーのような光景に、私は少しばかりの感動を覚えたが、それも束の間であったようで、それはぷつりと途切れるように終わった。
この光景が終わったのには理由があって、国道がY字に分岐していることにあった。
左に伸びる道は、そのまま国道が続いていき、もう一方の真っ直ぐ伸びた道は、何度も工事された後の残る根久山通りという道が続いていた。
国道のほうに目を向けると、相変わらず飲食店だのビルだのが乱立していて、見ているだけで胃もたれしそうな景色である。
根久山通りは、そんな国道の喧噪とは打って変わって、閑散とした静けさが漂っている。
「空気が違う」とはこのことを言うのだろうか。
まるで見えない仕切りが、そこだけを隔てているというかのようにさえ思えた。
私はそんな静寂に手を引かれるように、そちらの方へと歩き出す。
根久山通りはとても古くからある通りになる。
そのためか、その通りに立つ住居やビル、飲食店や小売店にいたるまで、築50年は経過していそうな建物ばかりがひしめき合っていた。
途中、新しい新築のデザイン物件がポツリと際立って現れたりもするが、多分あれはとんだ物好きが建てた家なのだろう。
向かい側にあるその物好き家の車庫が開いたかと思うと、真新しい白いポルシェが車道へと乗り出し、風を切るように颯爽と吹き抜けていく。
こんなにも古めかしい土地に、あんな高級インテリアのような家と車を持ち寄るだなんてセンスの欠片もないなと遠目で悪態をついた。
そんな様相を呈するこの街並みは、時の進みさえも遅く感じてしまう。
建物一つ一つに、人間の皴のような深い歴史を感じていまうのは私がこの光景に感傷的になってしまっているからだろうか。
たまに現れる両隣の建物の影が差した、雑草の生える小さな四角い更地を見てはまだそこに何かが建っているとさえ見間違うほどの幻想さえ脳裏に浮かんでしまう。
私の中のセンチメンタルが体の末端まで行きわたり、徐々に背中のあたりに見えない重さを感じ始めた時、ちょうど一軒の喫茶店が目に入った。
少し古びたこげ茶の木製ドアに、真鍮が囲うモダンな窓枠。
純喫茶と呼ばれるお店で間違いない。
スマホを確認すると、時刻は14時をすでに回っていた。
ランチのことなどとうに忘れていたが、このお店の前で止まった途端、急に空腹の虫が胃の中を蠢き始めた。
店内の明かりがついていることを確認すると、私はもう我慢ができないと、そのドアをガチャリと開けた。
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