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「書く」を捨てた人たちへ。

「文字は人格を表す」
そんな言葉を久しく感じるほどに、私たちは文字を打つことに慣れすぎてしまった。
誰かに向けたメッセージさえ、私たちは無表情で文字を打つ。
ビックリマークやはてなマーク、絵文字やスタンプと、文字を装飾する煌びやかな表現は発展しつつあるが、画面に映る顔は果たしてその装飾と釣り合う表情をしているのだろうか。

私はテクノロジーの発展による筆記の利便性向上には大いに賛成である。
第一に、自分の思考とそれを書き記すまでのタイムラグがないことだ。
ペンを握って、紙に書くという行為が、湯水のように湧くアイデアに追いつかないことが多々ある。
それに加え、私は物を失くすという癖も相まって、メモをしたものさえ何処へ行ったか分からない始末だ。
そして二つ目に、文字が汚いというコンプレックスを誤魔化すことが出来るということだ。
私が生まれた当時、まだコンピューターや携帯といったものは身近ではなかったために、ノートや手紙を必死になって文字を書いていた記憶がある。
だが、私には「文字を書くという才能」はなかったようで、いくら書こうとも文字が綺麗になることはなかった。
あまりの汚さに「お前、これ本気で書いているのか?」と先生に叱責され、国語の回答欄では、文字が読めないとバツをつけられたことさえあった。
当然、私が最も嫌いな授業は「書道」であったことは考えるに難しくない。

文字が汚いまま成長した私は、とうとう就活の時期を迎え、手を黒くしながら何十枚と履歴書を書いた。
行間のバランス、文字の大きさ、そして書き間違え。修正液なんてものは使えないものだから、何十枚もくしゃくしゃに丸めてはゴミ箱へと捨てた。
この時、私は初めて「書くを捨てる」ということに心苦しさを覚えた。

メッセージを打ち込む。
思いついたままに慣れた手つきで書き込んで、そのまま送り付ける。見返すことなんてないから、誤字をしたことさえ気づかない。
考えた文字を捨てるということはなくなったが、文字の価値は軽くなってしまった気がする。
コロナ禍の今、会えない日々がより私たちの文字のコミュニケーションは活発になった。文字が行き交う度に、感情の温度を失っていく今日この頃。
私はこの歳になって、あれほどまでに嫌いだった「文字を書く」ということを、私は求めるようになった。

私は一筆箋と封筒を買い、ボールペンを走らせる。
久しぶりに書いた文字は、文字を捨てたあの時のまま汚かったが、それでも私は書き続けた。
一筆箋だというのに、何十分もかかったのは笑い話である。
だが、久々に書いた誰かのための文字への達成感は、私にとってかつてないものであった。
私が一生懸命に書いたところで、他人から見れば潰れたものに見えるかもしれない。
そんな恥の心もひょっこりと顔を出したが、私はそれでも文字を書き続けた。

「手紙」というものの大切さを教えてくれたのは、今は亡き祖母であった。
祖母が神戸に住んでいたころ、埼玉に住んでいた私へよく手紙を書いてくれた。
祖母の文字は非常に綺麗であったが、癖の強い達筆であった。
何十枚と手紙をもらったが、貰う度にこれはなんて読むのだろうと、私の母と探り探りで解読をしていた。
書いてある内容は、私の体調を気遣う言葉と、神戸の情景であった。
そこに「面白さ」というものを感じたことはなかったが、それでも言葉で表せぬほどの温かな嬉しさがあったことは覚えている。
私は祖母に対して、毎回ではないものの手紙を祖母の住む神戸へと送った。
果たして、私の書いた文字は祖母の目にどう映ったんだろうか。
もう会うことが出来ないが、きっとメールなんかよりも嬉しいと思ってくれていたのなら、私は満足である。

文字を書くという行為が、いわゆる「重い」に分類されることは承知の上である。
ラブレターという文化は、古き良き日本の古代文化となってしまっているのだろうか。
確かに、文字を書くということは手間である。
誤字をすることは許されず、一文字一文字に気を抜くことは許されない。
修正液なんてものは見栄えが悪く、漢字を間違えれば知性を疑われるだろう。
文字を書くという困難を極める行為は、一種の修行ともいえる。
現代社会において、そんな修行をすることなど意味を成さなくなっているからこそ、人によっては、たかだか文字のために、そこまでする必要があるかと思う人が大多数だろう。
それほどまでに、文字を書くというのは面倒なことなのだ。

「書く」を捨てた人たちへ。
文字を書くというのは、非常に面倒で苦しいものだ。
それでも紙を敷いて、ペンを握ってほしい。
あなたがあなたであるという証明を、文字はしてくれるはずだ。内容は他愛もないことで構わない。
「いつもありがとう」
たった一言、文字を書いて伝えてみてはどうだろうか。
あなたが書いた誰かのための温かなメッセージは、きっと幸せを運ぶはずですよ。

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静 霧一/小説
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