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【短編小説】無拍子な春

僕には、人の波が視える。
見えるのではなく、視える。
感じるといったほうが近いのかもしれない。

僕が人を見る時、その人の仕草や言葉遣い、口の動きから指の動きまで、些細な部分に目がいってしまう。
そんな細かな情報の一つ一つが頭の中にインプットされると、それが一つの波となって表れる。
波の高さや間隔の幅によって、その人の感情が浮き出てくるのだ。
何を馬鹿なと思うかもしれないが、僕は物心ついた時からそうだ
その波によって、人の感情を読み取れてしまう。
そして、僕の頭の中に浮かび上がった感情が外れることは、あまりない。

感情とは本音だ。
どんなに取り繕うとも、僕にはその内が視えてしまうのだ。
人の心が読めると言えば聞こえが良いかもしれないが、読めて嬉しいと思ったことが一度もない。

視たい人だけ視る。
そんなこと出来るのならありがたいが、そんな器用なことは出来ない。
僕の対象は見えるもの全てだ。
常にいらない情報に振り回され、頭がパンクしそうになる。
そうだな、例えるのなら、コップの中に水を注ぎ続けるのと一緒だ。
漫画に描かれる「人の心を読む能力」なんて持つ奴は、スーパーコンピューター並みの処理速度の頭脳を持つ天才か、もしくはイカれたサイコ野郎だ。

よく、感情は視えない方が悩むという。
視えていれば悩まないとでも思っているのだろうか。
そんなわけがない。
視えれば、「どうして嘘をつく?」と悩むのだ。
僕にとっては嘘は嘘であって、そこに優しさなんてものはない。
嘘も知らなければ真実だが、僕にとって嘘は嘘なのだ。

あぁ、見たくない視たくない。
そうして僕の視線は次第に下を向きなり、前髪は目を覆い隠すようになった。
おかげで、僕のあだ名は「前髪」になった。

高校2年生の春、「雪宮 千明」が転校してきた。
すらっとした長身に、腰まで伸びた艶のある黒髪、そして雪の様に白い肌。
何より印象的なのが、透き通る様な青色の瞳だ。

教室にいる誰もが息を呑んだ。
教室を呑み込みように起きた大きな波は、「何て綺麗なんだ」と叫んでいる。

「窓際席を空けてあるから、そこに座ってくれ」
天野先生が雪宮に言い、彼女は小さく頷いてその席方を向いた。
その席は、運悪く僕の隣であった。

彼女が一歩、また一歩と歩くたびに教室の波がうねりをあげる。
「なんで前髪の隣なんだ」「あの根暗野郎あとで机蹴飛ばしてやろう」
静かな挙動が、聞こえぬ怒号となって僕に向けて放たれる。
あぁ、ダメだ耐えられない。僕は思わず目をつぶった。

終ってくれ、終ってくれ。
僕は彼女が早く着席してくれることを祈った。
どうか僕を無視して、興味なんて持たないでくれ。
僕は嫉妬の的になんてなりたくないんだ。
どうか、どうか……。

ふと、波が消えた。
あれほど大きな波が、音もなく消えた。

「春樹くん。よろしくね」

僕は驚いて目を開いた。
隣に座った雪宮さんが、僕に向けて微笑んでいた。
彼女からは、不思議と心地よい温かさのようなものを感じた。
こんなにも自分の前髪が鬱陶しいと思ったのは生まれて初めてだ。
なにせ、彼女の心はまるで凪のようで、どこまでも澄み切っていた。
「よ、よろしく」
僕は情けないほどにぼそぼそとした声で挨拶をした。

それから午前中の授業が終わり、お昼の時間となった。
雪宮さんが教科書を片付けていると、待ち構えていたかのように、サッカー部の前川が近づいてきた。
どさりと僕の机に腰を掛ける。

「雪宮さん、俺と昼飯食わない?」
前川は手慣れた感じで声をかける。
「どこで?」
雪宮さんは真顔で問いかける。
「そうだなぁ……。食堂は混んでるから、ここで食べる?」
「でもそこはあなたの席でないでしょう?」
「あぁ、そうだったね。おい前髪、お前外で食って来いよ。俺がここ席座るから。あ、適当に購買でパン買ってこいよ」
前川が僕を睨みつける。
僕はそそくさと立ち上がり、前川に席を譲った。
財布を握りしめ、僕は恐る恐る教室の扉へと向かう。

「あ、私も買いに行くわ。生憎、パンがないの」
雪宮は立ち上がると、そそくさと立ち上がり、僕の隣を歩いた。
「あ、待って雪宮さん、俺も」
「あなたはそこで座っていたらどう?私は春樹くんとパンを買いに行くの。あなたが言ったのでしょう?パンを買いに行ってこいって」
「それは……」
「それにせっかく春樹くんがあなたのわがままを聞いて席を譲ってあげたのよ。そこに座っているのが筋じゃない?」
そういって雪宮さんは前川に手を振ると、僕の手を引いて教室の外へと出た。
遠くの方で前川が舌打ちする声が聞こえたが、僕は聞こえないふりをした。

僕は無言のまま、雪宮さんを引き連れ購買へと向かった。
購買は生徒で賑わっており、僕はその波をかき分けながら、なんとかパンをいくつか買った。
僕は買ったパンのいくつかを雪宮さんに渡すと、彼女は僕に「ありがとう」と優しく微笑んだ。

僕は思わず目を背けた。
その笑顔があまりにも可愛いかったというものもあるが、本当に心から「ありがとう」と言っていることに驚いた。

人は自分が欲しくないものでも、作り笑顔で「ありがとう」という。
鈍感であれば、それを素直に受け取れるが、僕の場合は嫌々受け取っていることが透けて見えてしまう。
そしてそれは罪悪感となって、僕の心に深く突き刺さるのだ。

僕は彼女の「ありがとう」に、少しだけ嬉しいという感情が芽生えた。

あれから数日が経った。
前川とつるむ他の男子が、僕に向かってちょっかいを出すようになった。
雪宮さんと言えば、相変わらずお昼になると僕を誘って、外のベンチで一緒にお昼を食べてくれる。

「あ、あのさ」
僕は勇気を振り絞って彼女に聞いた。
「どうしたの?」
雪宮さんがパンを食べる手を止める。
「なんで僕なの……?」
僕の唇が震えた。
「どうして春樹くんじゃダメなの?」
雪宮さんが聞き返す。
「だ、だってさ。雪宮さんみたいな美人な人、ぼ、僕と一緒にご飯食べてたら変だよ。だ、だって」
僕は緊張のあまりしどろもどろになった。
とにかく僕は、彼女を不幸にさせたくはなかった。

「春樹くん」
雪宮さんが、静かに口を開ける。
「は、はい」
僕は小さく呟いた。
「あなた、嘘ついているでしょ」
雪宮さんの声に、僕は思わず泣きそうになった。

僕は人の嘘が嫌いだった。だから目を伏せていたのだ。
なのに、僕は僕を大切にしてくれている人に嘘をついている。
本当は、雪宮さんの隣にいたい。
温かくて、居心地がいいのだ。
本当は―――

「相変わらず、似た者同士ね」
雪宮さんは優しく微笑んだ。
「似た者同士……?」
僕は彼女に問い返した。
「私ね、人の感情が視えるの」
僕は呆気にとられていると、雪宮さんは話をつづけた。
「正確には読み取れるのかな。人ってね、一定のリズムを発しているの。それが早くなったり遅くなったり小さくなったり大きくなったりするんだけど、私にはそれが視えるのよ。だからとにかく人と付き合うのが嫌だったの。でもね、春樹くんにはそれが視えなかったの。その時感じたわ。"あぁこの人も一緒のものが視えているんだって"」

雪宮さんはふっと息を吐き、空を見上げた。
僕も思わずそれにつられて、空を見上げる。

「ずっと孤独だったわ。他の人には視えないんだもの。分かり合えないし、嘘つく人ばっかりだし。クラスの前川くんだっけ?あれは最悪よ」
「あれは視えなくても最悪だよ」
僕の言葉に雪宮さんは笑い、それにつられて僕も笑った。

「それとね、もう一つ気づいたことがあるの」
雪宮さんはふいに僕の手を握った。
僕は急な彼女の行動にドキッとし、心拍数を上げた。
「周りみてごらん?」
彼女の言う通り、僕は周りの景色を見渡した。
僕らのほかにも、校舎外のベンチでお昼を食べてる生徒はいるのだが、不思議とその生徒たちから波を見ることはなかった。
いつもなら、うるさいほどに視える波が、嘘のように消えている。
「ね、すごいでしょ?手握ってるとね、まったく視えないの」
「あぁ、うん、すごいね、すごい」
僕は緊張のあまり語彙を失くした。
確かに波が視えないのは凄いけれども、雪宮さんに手を握られている方が一大事なのだ。

「私ね、案外運命ってもの信じてるの」
「運命……?」
「そう、運命。柄にもないんだけどね」
「そ、そうなんだ……」
「もう、本当に春樹くんって鈍感ね」
「鈍感……なの?」
「鈍感よ」

僕は彼女に生涯初めて"鈍感"と言われた。
でもそれは何故だか、心の底から嬉しかった。

「ねぇ、私の恋人になってくれない?」
雪宮さんは唐突に、僕に告白を仕掛ける。
あまりの突然の出来事に、僕の息が止まりそうになった。
僕が声を出せずにいると、彼女は握っている手に力を込めた。
その真剣な眼差しに嘘は視えなかった。
僕はゆっくりと、頷いた。

「よかった。私も内心ドキドキしてたのよ。本当、驚かせないでよね。あ、そうだ。そろそろパンも飽きてきたから明日からお弁当作ってくるけどいい?」
「う、うん。お願いします」
「ふふ、頑張っちゃお」
雪宮さんは笑った。
今まで見た誰よりも素敵な笑顔を浮かべていた。
そして僕も、久しぶりに笑った。



僕は次の日、前を向いて教室の扉を開けた。
もう、怖くない。
あれほど長かった前髪もバッサリと切った。
前髪の向こう側に視える景色には、彼女だけが輝いていた。

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