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窓際席のアリス様 #23


 午後の授業の終わりをまだかまだかと願ったことは、今日が初めてではない。
 初めてではないが、彼の焦燥感は、今日ほど強いものはなかった。

 1日の授業がすべて終わり、すぐさま帰宅の準備を済ませると、悟は足早に家へと帰宅した。
 玄関前まで到着し、ドアに手をかける手が緊張で震える。
 悟は「ふぅ」と息を吐き、そして勢いよく玄関のドアを開けた。

「ただいまー」
 悟の声が家の廊下に響く。

 リビングからはテレビの音と、オレンジ色の淡い光がその扉の隙間から漏れ出していた。
 その扉をガチャリと開けると、悟の母が食卓の上でノートパソコンをカタカタと打ちながら睨めっこをしていた。

「あら、おかえり」
「ただいま母さん。詩と梓は?」
「ソファーで寝てるよ」

 悟はソファーに目を向けると、黄色い頭が二つ、お互いにもたれかかっている様子が見えた。
 テレビ画面に映画のエンドロールの黒い画面が流れている。

 彼はソファーの前へと回り込み、ちらりと覗き込む。
 そこには毛布を掛けられ、微笑みながら寄り添う詩と梓の様子があった。

「なんだよ、まったく」
 悟は微笑みながらため息をついた。

 あれだけ仲直りが難しいと言っていたことが、まるで嘘だったかのような笑顔がそこにはあった。

「本当、不器用な子だよ。2人とも」
悟の母はパソコンを閉じ、両手を上にあげながら大きく伸びをした。

「どんな魔法使ったの?」
「魔法?そんなもん使ってないよ。私はただ見守ってただけだよ」

 悟の母は「カフェオレ飲む?」と聞き、悟はうんと答えると、ちょっと待っててと彼女は重い腰を上げ、温かいカフェオレを作った。

「梓ちゃんよりも詩ちゃんのほうが本当に不器用よ。今日なんてタクシーから降りてずっと玄関前に立ってたんだから。たまたま玄関に取り行くものがあったから気が付いたけど、あのままだったらずっと立ってたんじゃないかしら。梓ちゃんの着替え余分に買っておいて本当よかった」

「なんで玄関前に立ってたんだ?」
「入りづらかったらしいわよ。他人の家だからっていうのもあったみたいだけど、やっぱり梓ちゃんと顔が合わせづらかったみたい。最初は苦労したよ?それでも結構梓ちゃんが頑張って歩み寄ってくれてさ」

「仲が良いんだか悪いんだかわからないな、本当」
「仲はすごく良いんだよ。お互い素直になれないだけで。そういう年頃なのよ」

「そういうもんなの?」
「そういうもんよ」

 悟には女心というものがわからない。
 男というものは喧嘩して仲直りして、たったそれだけだ。

 悟の母は「そんなんじゃいつまでたって彼女できないわよ」と彼にむかって呆れた溜息を出した。
 無理に起こしてしまうのは2人に悪いと、悟は自分の部屋へと戻り、着替えを済ませてベッドへと寝ころんだ。

 スマホをつけると、写真フォルダの中から、先ほどこっそりと撮った詩と梓の寝顔の写真を見てはニヤニヤとしていた。
 今更ながら、不思議なこの状況に溶け込んでいる自分に、悟は思わず笑ってしまった。

 ずっとだらだらと家で漫画を読んで、ゲームをして、お菓子を食べて寝るだけの生活を居心地の良さだと悟は思っていたが、振り回されながらも彼女たちを想う毎日は、今までのどんな出来事よりも充実していて、そこには、あの自堕落な満喫とは違う居心地の良さというものを覚えていた。

 その微睡は、まるで夢心地そのものであった。
 幸せは麻薬のように悟を麻痺させ、あたかもそれが永遠に続くものだと錯覚させていた。

 このひと時というのは、大きな嵐の小さな雲の切れ間のようなもので、決して間違えても気を緩めて、舵を取る手を止めてはいけない。
 悟もそれは十分に分かっていたが、今だけはこの幸せを噛みしめていたかった。

 出来ることなら2人の間で、肩を貸しながらゆっくり眠りに落ちてゆきたかった。
 そんな妄想を抱きながら、彼はひとり、梓の甘い匂いが残るベッドですうすうと寝息を立てていた。

(つづく)


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