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時織りの手紙(5)

※第一話はこちらから

大正12年8月20日―――

石森玲子は一人、自室で膝を落として、唖然としていた。
その原因は、彼女の持つ1通の手紙にあった。
その手紙に書いてあることは、到底信じられるものでもないが、未来からの手紙ということであれば話が違う。

死が迫っている。
避けることの出来ない出来事が、すぐそこにまで迫っている。
玲子は唾を飲んだ。

慌てて立ち上がろうとするも、足が動かない。
玲子は一生懸命に足に力を入れるが、まるで動かないのだ。
そのうち、彼女はその場から動くことを諦めた。

この事実を、今すぐにでも誰かに伝えるべきであった。
だか、これが事実だと誰がわかるのだろうか。
未来の人と文通をしていて、大災害が来るなんてことを、誰が信じるだろうか。
もし、そんなことを言いふらそうものなら、非国民だと言われ間違いなく迫害を受けるだろう。

彼女の中の正義と恐怖が拮抗する。
多くの人に言えずとも、せめて家族にだけは伝えなきゃいけない。
すぐにでもここを離れなければいけないことを。

玲子は手紙を大事にしまい込み、深く呼吸をする。
足よ動けと念じながら、ゆっくりと息を整える。
血の流れが足の末端まで行き渡り、次第に足に熱が帯びてくると、玲子は急いで階段を駆け下りた。

「母さん!!」
すぐ下では、台所で母が食事の準備を始めていた。
息を切らしながら、蒼白の表情を浮かべる玲子を見て、彼女の母は驚いた。
「ど、どうしたの?悪い夢でもみたの?」
「ううん、違うの。聞いて欲しいことがあるの」
「どうしたの?言ってごらん」
母の優しい声に、玲子はごくりと唾を飲み、言葉を口にする。
「あのねお母さん。驚かないで聞いて欲しいの。あのね、少しの間ここから逃げなきゃいけないの」
「逃げる?」
「うん。おばあちゃんの田舎がいいわ。あそこならずっと遠いから安全かもしれない」
「玲子?大丈夫?どうしたの?」
「お母さん、あのね、あのね」
玲子は言葉を詰まらせ、涙を流した。

母は何のことか全く理解は出来ていないが、普段は明るい娘が顔面蒼白で言葉を詰まらせる様子は尋常ではないということは読み取れた。
母は玲子の背中をさすりながら、落ち着くように促す。
そしてそのまま床の間まで移動し、彼女が泣き止んだところで事の経緯を聞いた。

玲子から差し出されたのは1通の手紙であった。

石森 玲子 様

取り急ぎ、手紙を書かせていただきます。
今から書くことは信じられないと思いますが、事実です。
これをお読みになったら、すぐに行動してください。

最近、玲子さんの地域で地震が頻発しているのではないでしょうか?
それは余震といって、大地震のくる前触れです。
大正12年9月1日に東京に大地震がやってきます。
この災害は、100年後の未来でも忘れぬようにと国民の休日になるほどです。
ですから、この日にはどこか遠く離れた場所にいてください。
この日、大地震と共に、大火災が起きます。
大勢の人が犠牲になります。
玲子さんだけでも逃げてください。お願いします。

もし、生き残ることが出来たら、お返事を下さい。
待っております。

令和3年8月13日
白石 暁人

玲子はこの手紙を母に見せた後、これまでの経緯を話した。
100年後の未来に生きる白石暁人という人と文通をしていること、未来の写真をもらったこと、不思議な手紙箱のこと。
母はその話を頷きながら、ふんふんと優しく聞いていた。

「わかったわ、玲子。田舎に帰りましょう」
母は玲子の話をすべて聞き終わると、彼女の言葉を一切否定することなく言葉を返した。
「お母さん……信じてくれるの?」
「ええ、もちろんよ」
母は優しく笑った。
身支度しなきゃねといい、母はそのまま床の間から大切なものだけをかき集めた。
「お父さんにはなんていうの?」
玲子は恐る恐る母に尋ねた。
「大丈夫よ。あの人ならきっと信じてくれるし、信じさせるわ」
母は、強いまなざしで玲子を見つめ返した。

それからというもの、家を出る準備は瞬く間に進んでいった。
玲子はこの時ほど、母のたくましく思ったことはない。
父はいつの間にか母に説得されており、一度も休みなんて取ったことのない仕事を急遽休むことになった。
いつもは柔和な態度を取っていた母だが、家族の一大事となると、もはや頼りになるのは父ではなく母の方だと、玲子はこの時感じていた。

(第6話へ続く)


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