【短編②】言葉は脆く、されど踊る。
「ふぅ、疲れた……」
私はすぐ近くのコンビニで買った弁当と安い発泡酒をぶら下げ、くたくたによれたスーツ姿で帰宅した。
パチリと電気をつけた1ルームの室内は、洗濯物やらゲーム機やら空き缶やらが散乱し、とても清潔と呼べる環境ではない。
金曜日の終わりというのは、開放的な気分になるが、それと同時に5日間全ての疲労が背中へと漬物石のように圧し掛かる。
コンビニ袋をどさりとテーブルの上に置き、私は疲労に耐え兼ね、スーツのままベッドへと倒れこんだ。
「あー」という情けない声をあげ、スマホを手に持ち、アプリを立ちあげる。
「だるい、疲れた。マジで上司無能だわ。ぜってぇあの会社やめてやる」
嫌味ったらしく愚痴を書き込む。
もちろん、そんな反応に心配をする人など誰もいないのだが、こんな愚痴を友達に吐けるわけもなく、ただただネットの海の中へとそれを嘔吐する他なかった。
それから15分ほど、適当に散らばるネットニュースを無心で眺めていた。
そろそろ窮屈なこのスーツを脱がなきゃなと、鉛のように重い腰を持ち上げ立ち上がる。
ジャケットをハンガーにかけると、どこか汗臭さを感じ、急いで消臭スプレーを持ってくると、それに向かって何回も吹きかける。
今やサイズの合わないこのスーツには、自分の汗や、煙草やお酒、安い香水の匂いやらが染みついて、異臭を放っていた。
それでも、どうも私はこの匂いがどこか心地よく思えた。
その心地よさのもとを辿れば、行き着く先はすべて鮮烈とした過去の記憶であり、染みついた匂いが栄光の遺留品のようにも感じ、未だ私はこのスーツを捨てられずにいた。
部屋着に着替え終わると、弁当を温めにためにそれを電子レンジの中へと放り込み、適当にダイヤルをぐるりと回す。
ジーという音を立てながら、電子レンジ内にオレンジ色の光が灯ったのを確認すると、リビングへとそそくさと戻り、先ほど買った発泡酒の蓋を開けた。
そして、弁当を待たずして、それを一気に体の奥へと流し込む。
散々な一日だった。
いや、ただただ蓄積した恨みみたいなものが、今日臨界点を迎えたという方が正しいのだろうか。
人生は山と谷があるというが、その大きさが平等であると言っている者はいない。
僕の名前の「誠」という字が、この人生に呪いをかけているみたいで、誠実に生きれば生きるほど、喉元に他人の手が締め上げるようにぐっと掴まれるようにも思える。
誠実というのは善良な貧民のためにある言葉なのだろうか。
そんな戯言に耽っていると、電子レンジからチンという音が聞こえ、弁当が温まり終わった知らせを鳴らした。
リビングの小汚いテーブルを空け、そこに弁当を置き蓋を開けると、そこからは白い湯気が立ち上った。
私は頂きますも言わずに、ふにゃりした衣をまとった唐揚げを頬張る。
やはり唐揚げは出来立てを食べたいものだ。
こんな賞味期限の近い、元気のないものを食べると、余計に虚しくなってくる。
私はそんな虚しさを取り払うために、残りの発泡酒を体の中へと入れ込む。
体は変な浮遊感に包まれていくものの、体はまだ酔いを欲しているようで、ふらふらとした足取りで立ち上がり、冷蔵庫へと向かう。
大して食材なんか入っていない癖に、発泡酒だけはずらりと6本ほど入っていて、そのうちの2本を掴み取り、またリビングへと戻る。
そして発泡酒の蓋を開けると、ジュースを飲むかのように、中身を半分以上空けた。
ふと、暗い画面のスマホを見つめる。
スマホというのは中身を探れば探るほど、あまり思い出したくない過去や、見たくもない写真が散乱しているというのに、中毒症状のようにそれを開けてしまう。
私は心の中の「止めておけ」という声を無視して、今夜もまたスマホの画面を開いた。
あの時トイレで見た美佳の結婚報告の記事をもう一度開く。
美しい彼女の隣には、誠実そうで男らしいシルエットをした見知らぬ男がにこやかに立っている。
披露宴の写真が追加されていて、200人ほどの友人たちが華やかに新郎新婦を祝い、笑顔が絶えまなく溢れていた。
美佳の運命は私を選ぶことはなかったのだ。
それは偶然でも運命の悪戯でもなんでもない、ただの必然に過ぎなかったのだと、今更ながらに思う。
私はこんなにも美しく美佳の笑う顔を見たことがなかった。
淀んだ空気を入れ替えるように、私はベランダに出て、マルボロの箱から一本煙草を取り出した。
それを口に咥え、ライターの小さな火をポッとつけた。
「美佳……おめでとう」
星の見えない夜空に煙を一筋吹かす。
やめたはずの煙草は、とても芳醇な香りを醸し出した。
もう、彼女は僕の元に帰ってくることは二度とない。
「本当にこの世界はくそ野郎だな」
私はそう言いながら、美佳の連絡先を削除した。
外で3本ほどの煙草を吸い、室内へと戻る。
そして、風呂にも入らずベッドに横たわるとグダグダとスマホの中の動画サイトを開いた。
自分の好きだったバンドが2年ぶりに新曲を出しているとしり、イヤホンを繋げると、それを大音量で流す。
いいメロディーだと思いながら聞いていると、途中「ザザ、ザー、ザザ」というノイズのような音が混じった。
イヤホンの不調だろうか。
もう一度ノイズの走った部分を聞いたが、先ほどのような音は鳴らず、聞き間違いかとそのままそれを流した。
ミックスリストにその新曲が追加される。ベッドに横になりながら、自動再生される聞く気のないヒットチャートがイヤホンから流れ始め、私はその音楽を聴きながらいつの間にか眠りに落ちていた。
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