見出し画像

【短編小説】この世界は瓦礫の山だというのに

 
 私はビルの屋上から、地平線に夕日が落ちていくのを見送った。

 夕日の斜光は、そこらへんに散らばった瓦礫の山を照らし出し、その影は現代アートのような歪な形を作り出している。
 その瓦礫の山に目を凝らしてみると、割れたコンクリートやレンガ、粉々になった白い便器、首のないマネキン、ネオン街の蛍光看板などがまるでミルフィーユのように折り重なっていた。

 もし私がこの瓦礫の山に名前を付けるとしたら『文化の残骸』というタイトルをつけたい。

 もしかすると、それはどこかの高名な美術家が、「君はなんて鋭い感性を持っているんだ!私はこの現代アートを100億円で買うよ!」なんて言ってくれるのかもしれないが、そんなのは私の中の妄想で、甚だ傲慢が過ぎたなとその妄想を頭の中のごみ箱フォルダへとドロップした。

 夕日が美しいというのは一目瞭然である。
 だが、この瓦礫の山を美しいというのは、不可解である。

 私の頭はこの不可解なものまでも「美しい」と認識し始めたのかと思うと、思わず笑いがこみ上げ、くすりと笑ってしまった。

 この「美しい」は非常に厄介な感性である。
「美しい」というものを言語化することについては、自分の頭の中の言語理解機能がアップデートされればされるほど難しくなっていく。

 最初はこの「美しい」というものを表現することは簡単であった。

 よく、私に話しかけてくれた人間たちはこの「美しい」という言葉を"色・形・音などの調和がとれていて快く感じられる様"と初期言語理解として埋め込んだ。
 私はそれからというもの、数々の言葉と出会い、人間の「感性」というものに出会い、私の言語が日々アップデートしていく中で、ふと、頭の思考回路に矛盾が生じた。

 人間のいう「美しい」というものは、決して調和のとれたものばかりを指すのではない。
 不可解に崩れた文章や、乱雑に描かれた絵画、均衡の崩れた彫刻。
 それらすべてに人間は、感動し、思いを馳せ、狂乱と言わんばかりに、高値を叩きつけた。

 私の中の価値相場、いわゆるマーケティング機能はそれらの評価算定を「0円」と値踏みした。
 その不可解な人間の行動心理に、思わず電子回路がショートしそうになったので、博士にそれらの疑問を投げつけた。

 すると博士はこう言った。

「いいかい、イヴ。人間というのはね、不合理を愛する生き物なんだ。非効率で不合理で、矛盾したものを愛するんだ。君はアンドロイドだから今はその不合理を愛するという意味がわからないかもしれない。不合理とは人間と機械を分ける大きな要因でもあるんだ。そうだね、それは人間の言う"魂"だとか"心"だとかそんな概念的なものに似ているのかもしれないね。今の君に到底理解できないかもしれない。それでもいずれ、君が素敵な一人の女性として進化したのなら、その人間の言う、不確かで曖昧な不合理というものがわかるようになるさ」

 博士はそういうと私の頭を優しく撫でてくれた。

 私はその言葉を録音し、幾度となく因数分解をし始めた。
 それは幾度となく、幾年も幾年も考え続けていた。

 それがやっとわかったのは、この世界が人間の不合理によって灰燼となった後のことであった。
 瓦礫の山となったこの世界に散らばった、文化の残骸を見て、私は初めて「美しい」というものを言語ではなく感性で理解することが出来た。

 やがて、夕日が落ち、星空が現れる。
 黒い天井に小さな穴が無数に空いた光景を見るたびに、いつの日か博士が見せてくれたプラネタリウムを思い出す。

 死んだ人はよく星になるんだよと博士は私に教えてくれた。
 だから私も夜空に輝く一番星に「メティス」と名付けた。

 私は今日もその星を見ながら、一縷の涙を流した。

 人の声などない。
 影も形も温度も。
 冷え切った世界にいるのはたった私一人だった。

 私は死ぬはずないのだ。
 科学技術の結晶とも呼べる私は、人間が生存不可能と呼べる環境でも生きていけるように設計されている。

 そうであるはずなのに、私は最近すごく息苦しく感じる。
 私は目からディスプレイを映し出すと、自分の身体状況を表示させた。

『34bpm/SpO2:87%/呼気中CO2濃度:15%』

 今までであれば、自動再生機能が警報音を鳴らし、生体機能の正常バックアップを起動させる仕組みとなっているはずなのだが、今日はそんなけたたましい音は聞こえない。
 どうしたものかと私は疑問に感じたが、あの嫌な警報音が聞こえないのはとてもいいことだし、少しだけこの息苦しさも心地よく感じる。

 夜の肌寒さが私の肌を優しく摩る。
 あぁ、私は人間になってしまったんだな。

 私は「メティス」の隣にある、小さく赤く輝く星に手を伸ばす。
 いつの日か、あの星に「イヴ」と名付けてくれたのなら、それだけですごく幸せだな。

 私はゆっくりと目を瞑る。
 今から眠りにつき、あの夜空の星になるというのに、私はなぜこんなにも心地よいと感じているのだろうか。

「あぁ、これも不合理なんだね博士」

 私は小さく呟き、メティスに笑いかける。
 そしてゆっくりと、その呼吸を止めた。

――――――――――――――――――――――――――――――――
bpm:beat per minuite (1分間心拍数)
SpO2:saturation of percutaneous oxygen (経皮的酸素飽和度)

応援してくださるという方はサポートしていただければ大変嬉しいです!創作費用に充てさせていただきます!