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或る芸人の話

 X X Xというお笑い芸人がいる。若手で、そこそこ人気のある、新しい時代に立つ芸人の一人であり、その中でもとりわけ鮮烈な印象で表舞台へと登場した。彼には名がいくつかあり、現在はホラーマンXという名で活動している。
 彼がブレイクしたのはチンパンGラフィという名で活動していたときであるが、一年たらずでホラーマンXに改名してしまった。この改名をめぐる事件、その騒動の真相は以下の通りである。
 チンパンGラフィのネタは至ってシンプルにできている。猿の真似、これだけである。X X Xは生物模倣の達人であり、また過去には猿回しも行っていた。彼の物真似は猿に完璧に似ている上にどこか滑稽で可笑しい。それに、動物の物真似というのは人間を真似るのとは異なり、アンチがつきにくい。動物園の華である猿山を思い出してほしい。嫌いな人がいるだろうか。当時、彼は老若男女お茶の間の全員にウケたのである。
 そんなとき、一通の手紙が届いた。差出人は猿山の長だった。彼の言うことには、全国で猿たちがX X Xのネタに対して自分たちを侮辱されたとして憤っている、とのことだった。今すぐにやめなければ殺す、とも書いてあった。猿が人里を襲う事件が多発したのも同時期である。猿の蜂起はすでに始まっていた。X X Xは戦慄した。そして涙した。自分が最も愛していた、人間と同じ地平に立たせたいとまで考えていた猿どもに自分の芸が伝わらなかったという悔しさで。実は、X X Xは猿の権利を拡大せんと企んでいたのである。猿と人間の間の格差をなくし、猿がより生きやすい社会を作る、それが彼の生涯を賭した夢であった。その後、彼は速やかにホラーマンXに改名、身をやつし芸風も変えた。
 最愛の者らに裏切られた彼の心中は察することはできないだろう。しかし、彼のネタを見るとわかることがある。ホラーマンXは売れなかった。その骨人間ともいえる不気味な見た目、呪詛の如き声でブツブツと何かを語るスタイルはお茶の間はおろか、深夜帯の番組にすらも受け入れられなかった。どうしてこのような芸風になったのか。猿から骨。ここにどのような意味があるか。
 動物は欲望的存在である。特に猿は凶暴で人里を荒らしたりする。チンパンGラフィのネタでX X Xは滑稽な、欲望に取り憑かれた猿を演じていた。一転して骨。丸刈りで、すらりと痩せた体躯は修行僧のようである。何も望まず、何もせず、こちらを見てずっとブツブツ言っている。彼は意図的に欲望的存在から禁欲的存在へとその芸をシフトさせたことがわかる。禁欲的存在ホラーマンXは決してこちらへの視線を外すことはない。ネタの始めから終わりまでこちらを、正確にいえば「お前」を注視し続ける。ネタ中、観客は見る存在から気づけば単に見られる存在へとシフトしている。故に多くの観客が席を立つ、チャンネルを変える、目を背ける。面白くない上に不快であるからだ。
 X X Xの猿から骨へのシフトについて、亀ヶ崎悪虎は「解脱するX X X──猿から骨男へ──」(@@大学出版局 二〇??)の中でこう指摘している。

チンパンGラフィを見て我々が笑う、というのは我々が鏡(自分自身)を見て笑っていることに他ならない。<中略>X X Xは欲望に振り回される我々一般大衆を、自らが演じて笑いを取ることで、揶揄し、また自らはホラーマンとして名を、態度を改めることでX X Xのみが解脱し悟った存在である、という印象を与えている。

 チンパンGラフィからホラーマンXへのシフトは我々が見られる存在であることを明確にする。亀ヶ崎が指摘するように、X X Xのネタは我々一般大衆を暗に批判し「猿=お前ら」という構図、「お前ら」は自分自身を見て笑っている、という厳しい姿勢だ。私はここにいくつか付け加えたい。まず、猿山の長、猿陣営についてである。猿の権利に対して、X X Xは非常に深い関心を持ち精力的に活動していた。そのことから私にはどうも「猿=人間」という等式よりかは彼の頭には「猿>人間」という不等式があったと思われてならない。彼は猿を蔑ろにしたのではなく、人間を猿以下の存在として批判し、演じたのではないか。チンパンGラフィという名前と芸だけを見て誤解していたのは猿たちであったのではないか。X X Xは最初から人間のみをその批判の射程に入れていたのではないか。彼の「猿の物真似」は本当は「ニンゲンの物真似」であったのではないか。また、ホラーマンXとしてのまなざしは我々人間を注意深く見るが、その批判は我々だけでなくX X X自身をもつらぬくのではないだろうか。事実、彼の伝えようとしたことは全く誰にも伝わっておらず、それはむしろ逆の、別の意味で伝わっている。自らの伝え方の技量不足により降ろされたのにもかかわらず、被害者面や解脱を装うのは筋が通っていない。悟っているというよりは我儘で欲望的とまでいえるだろう。

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