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感謝の置き場所

「ありがとう」という言葉は美しい。人に伝えても、人に言われても心が和む。

でも時として、その置き場所に困ってしまうことがある。

自分が感謝を伝えたい時に困ることは少ない。ただ愚直にありがたいと思った気持ちを言葉に置き換えればいいだけだから。

でも、感謝してほしいと思う気持ちは実に厄介である。

基本的に、仕事も私事も人に感謝を求める気持ちは醜いと自覚している。

感謝は本来、義務感でするものではない。仕事に於いてはビジネスマナーとして行なうことが多々あるけれど、形式的儀礼としての価値は見出せる。

だから、例えば仕事でのやり取りの中で、感謝を伝えられなかったとしても、「あー忘れてたんだな」とか「忙しいから気が回らないのかな」程度で、あまり気にならないし、気にすること自体が気持ちと時間の無駄だと思う。

プライベートも基本的には同じ。

仮に、相手の要望を叶えた際に反応が無くても、何かしら訳があるだろうと思うし、相手のキャラによっては反応さえ期待しない。返事がないのが良い返事…程度に考える。

もしくは、感謝の気持ちも伝えられない非常識な人だと自分の中で印象が残るだけのこと。

ただ、一番困るのは、自分が感謝を期待している時に、何も反応がないこと。

感謝は義務ではないという大原則からは矛盾してしまうが、特に思い入れがある相手には、不思議に感謝の気持ちを求めてしまう。

良くないことだなぁと自覚もあるし、結局は自発的にそう思って貰うしかない。

ありがとうと言えよ、の後に聞く「ありがとう」は、出涸らしのお茶より間違いなく不味い。

もしかしたら、自分が「してあげた」と思っただけで、相手にすると感謝に値しないことかもしれない。

相手が「ホントは要らないのに」という押し付けなら、真っ先に止めるべきことだし、誰も得をしない典型例になる。

ホントはありがた迷惑なのに、気を遣って相手に本当の気持ちを伝えないこともある。

これは自身も、かつて母親から色々な生活必需品を貰った時に感じたこと。

確かに貰って嬉しいものもある。ただ、貰っても使わずにタンスの肥やしにするものもあるし、好きではない食べ物なら、結局腐らせて捨てることもある。

しかしながら、一番厳しいのは「してもらうことに慣れ切ってしまうこと」。

こうなると、こちらがする立場なら、しない方がいいと“黙って“何もしなくなるのが唯一の対処法になる。

逆にしてもらう立場なら、どう相手に伝えるだろうか。

一番大事にしたいのは、自分のために…という相手の気持ちなのだ。

断ることで、その気持ちを萎えさせてしまうのは実に申し訳ない。

受け手側になることは少ないけれど、そういう感謝の気持ちの置き場所はどこにすれば良いのだろうか。

何とも難しいテーマだと思う。