下から目線
人には何かしら他人事が存在する。
良い悪いの話ではない。他の肉体、人格と自身を区分する上で自身以外のことを他人事と考えるのはごく普通のことである。
他人事というと薄情で冷淡に聞こえてしまうが、基本的に自分は自分、他人は他人、親子や兄弟姉妹でも他人は他人であることに変わりはない。
助け合い、相互扶助は大切だが、他人を助けられるのはごく限定的なこと。自分で自分のことをするのは基本中の基本…というよりは大原則か。
メディアだけでなく「上から目線」という言葉が溢れている。
同僚の女性から言われたことがある。
正直、意味が分からなかった。
偉そうに聞こえると言いたかったのだろうが、こちらにそんなつもりはない。
残念ながら、それは個人の感性かもしれないし受け取る自由は尊重する。でも内心ではアホじゃないかと思っている。ただの僻み根性なのかと思う。
聞き手に不快にならないように配慮せよという常識は分かるのだが、どうもこの「上から目線」という言い回しは、コミュニケーションそのものを駄目にする殺し文句だと思うのだ。
要は、自身に不快だったり、都合の悪い言葉はすべて「上から目線」と受けてしまえば、どんな意味や真意があっても言葉は無力化してしまう。
そんな態度では、憎まれ覚悟で叱ってくれたり、本気で接してくれる人を失ってしまう。
言い方の問題…日本語ならではの文化だから大切だと思う。
同時に投げられた言葉の真意を理解しようとしなければ、それは言葉が通じないのと同じことになる。
人の言葉を「上から目線」と感じる「下から目線」の方がよほど感性が歪んでいるのではないか。
そもそも上だの下だのどうでも良くて、何を言ったかよりも、誰が言ったか、どういう言い回しをしたかが大切なのだろうか。
かつて同僚が、職場の女性に「◯◯さん、ずいぶんお太りになりましたね」と言ったのを聞いていたが、こちらの方がよほど失礼だと思う。(もっとも彼は意図して失礼に言ったのだが全く問題にならなかった)
人の言葉の真意に気付こうともしないなら、変に上からとか下からとかやめた方がいい。嫌悪感を抱かれるか、己の無能無知をさらすだけだ。