「臨床心理士」というアイデンティティと、葛藤
私は、一応、「臨床心理士」の資格をもっている。
いつも、人に対して臨床心理士の自分について話すときは、「一応」という言葉をつけたくなる。
だって、何だか、”臨床心理士の自分”に自信がないから。
世間から向けられる「心の専門家」という視線と、自分自身のギャップ。
そこを埋められずに、今まで来た感じ。
だけど、これから、“臨床心理士の自分”も生かしていけたらいいなぁという感覚が少しずつわいてきている。
“臨床心理士の自分”で社会に立つのは、まだ、こわく感じるけど・・・。
そんな自分の内面のプロセスを、今回は正直にnoteに書いてみようと思う。
心理学との出会い
私が心理学と出会ったのは、大学1年のとき。
私は、大学受験に失敗し、すべり止めの女子大に進学した。
当時は、あんまり自分のやりたいことがわからず、何となくで決めた学科。
受験に落ちたことはショックだったけど、小さい頃から早く家を出たかったし、夢見る夢子ちゃんだった私はあこがれの一人暮らしに心ウキウキだった。
だけど、入学してから1ヶ月も過ぎると、どんどん現実が見えてきて、女子大の雰囲気になじめず、学科の勉強もつまらなくて、とうとう大学も休みがちになってしまった。
そんなとき、受けたのが、一般教養で選択していた「心理学」の授業。
「私が学びたいのは、これだ!!!!!」ってすごく衝撃を受けたのを、今でも鮮明に覚えている。
大学は不登校になったけど、心理学の授業だけは毎回出ていた。
心理学の教科書もすごく心に響いて、家でも何度も何度も読んでいた。
あるとき、思い切って親に、
・大学になじめず、行けなくなってしまったこと
・心理学を学ぶために、再受験したいこと
を相談。
1回だけ受験に再チャレンジして、合格できなかったら、あきらめるという条件で、親からチャンスをもらえた。
大学は休学し、後期からは予備校通い。
翌年、幸運なことに、第一志望の心理学科に入学することができた。
臨床心理士への道
心理学を学ぼうと思ったのは、自分を理解したかったから。
誰かを救うためではなく、自分を救うためだった。
心理学の学びはとっても新鮮で、おもしろくて、大好きだった。
大学4年になって、進路を考えるとき、「私は絶対にOLには向かない」という理由で、大学院への進学を決めた。
受験に落ちたらあきらめるつもりだったけど、これまた、幸運なことに合格できた。
大学院で研究してたのは、高齢者の心理療法。
どんな人生を歩んだとしても、最後の最後で自分にOKを出せれば、幸せなんじゃないかなって。
大学院を卒業してからは、教育分野とご縁がつながり、東京都の適応指導教室(不登校の生徒が通う公立のフリースクール)で相談員を3年、中学校のスクールカウンセラーを1年経験した。
コツコツと勉強した努力の介あって、無事、臨床心理士の資格も取れた。
心理職として働き始めてからの葛藤
「果たして、私に何ができるだろうか?」
「何か、役に立ててるのだろうか?」
当時の私は、いつも、そんな自問自答の日々を送っていた。
関わる生徒たちは、とっても純粋で、魅力的。
だけど、「学校に行けない」というだけで、問題児扱いされていた。
職場の上司は、元校長。
上司と生徒たちは、お互いに反発しあっていて、私はその間を調整する役だった。
自分のスキルが現場で生かすことができているのか?
いつも、自信がなく、不安だった。
今、思えば、私が私の居場所を確保するのに、必死だったのだと思う。
その後、結婚して、こどもたちが生まれ、心理職からは離れた。
臨床心理士の資格は、5年ごとの更新制だ。
資格を維持するためには、その後も学び続け、必要なポイントを確保しなければならない。
だから、育児中の中、何とか研修を受けて、更新もがんばってきた。
でも、一方で、全然、使ってないこの資格をいっそのこと、手放してしまってもいいのかも・・・と思うこともあった。
”臨床心理士”という肩書きを前面に出すことへの不安とインチャイ
この「臨床心理士」という肩書きに対する葛藤の中にも、内なるチャイルドはいそうだな・・・と感じてみる。
その葛藤を感じてみると・・・
のどがギューッとしめつけられるような痛みと
固く委縮した心臓。
息苦しい感覚を感じる。
そして、8歳くらいの「期待にこたえられない」と葛藤する私。
みんなの前で、言いたいことが言えない。
発表するのがこわい。
そんな自分をどうしようもなく情けなく感じている。
「私なんて!!!」っていう自己嫌悪と、強烈な『恥』の感覚。
みんなからの視線を感じると、余計に、挙動不審になって笑い者になってしまうかもしれない。
そんな恐れにフリーズして、びくびく・おどおどしてるチャイルド。
あ~、この子は、こんな晒される恐れの場所で、誰からの保護もされず、一人で踏ん張っていたんだなぁ。
「自分の意見が言える子」になって、お母さんの期待に応えたかったんだな。
でも、うまくできなくて、自分が嫌になってたんだよね・・・
これらの理解とともに、チャイルドを抱きしめると、ブルブルと体を震わせながら抱きついてくる。
「こわかった~」って。
肌に刺すような、みんなからの視線。
こんな中、自分の意見を発表するのなんて、できなくて、当たり前だよなぁ・・・。
「ゆみちゃん、今まで、あなたの頑張りに気がつかなくてごめんね。
ずっと、期待に応えようと、そこで踏ん張り続けていたんだね。
お母さんをがっかりさせたくなかったんだよね。
もう、お母さんの期待に応えようとしなくていいよ。
お母さんの人生まで背負わなくていいんだよ。
ゆみちゃんは、ゆみちゃんの人生を生きてね。
もう、ママがゆみちゃんを晒し者のままでなんかいさせないよ。
ママ、ゆみちゃんを守るよ。
だから、のびのびとゆみちゃんのもってるチカラを発揮してね。
ゆみちゃんの思っていることを発表して大丈夫だよ。」
びっくりしながらも、ほっと安心してるゆみちゃん。
これから、みんなの前でも、自分の言葉で自分の意見を発言することができるように、ママ、ゆみちゃんをサポートしていくね。
“臨床心理士”という肩書を包み込む「私」という器
ここまで書いて、今までは「臨床心理士」というアイデンティティに、私自身が振り回されてたんだなぁと気づく。
だから、「臨床心理士」の資格はもちながらも、できれば自分から遠ざけたい感覚もあったんだ。
だけど、今、もう一度、「臨床心理士」というアイデンティティと向き合ってみると、その外側にもっと大きな「私」という存在を感じられる。
これまでに少しずつ、「臨床心理士」としての自分を使いこなせるだけの器も育まれてきたんだなぁ。
学生時代に学んだ心理学の知識は、どちらかというと「誰かを助ける」ための理論。
カウンセリングの手法だったり、カウンセリング・マインドだったり・・・。
だけど、ハートエデュケーションでは、とことん、自分と向き合い、自分で自分を救ってきた。
その賜物が、「私」という器だ。
だから、これからはせっかく獲得した資格を、”宝の持ち腐れ”にしておくのではなく、「私」という器で、自分らしく生かしていけたらいいなぁと感じている。
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