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「学校に行かない」は誰の選択?~『愛の逆流』を手放した時、我が家に起こった奇跡①~



自己紹介


こんにちは。臨床心理士のかちゆみこです。
 
トラウマの癒しを専門に提供しているハートエデュケーションセンターのセラピスト3人で、不登校のお子さんの回復をサポートする登録無料の子育てサークルマガジンを発信しています。

私自身もこどもの不登校体験を越えてきています。

私たちの経験が、不登校で悩む多くの皆さんのお役に立てることを願って、新たにnoteでもコラムを公開することにしました。
 
我が家には4人のこどもがいます。
 
一番上が2008年生まれの長男、続いて2010年生まれの長女、2016年生まれの次女、2017年生まれの三女。
毎日、毎日、にぎやかです(笑)
 
こども4人のうち、上の2人が不登校でした。

長男の不登校の経緯


長男は、小学校1年の3学期(ちょうど、次女の出産時期と重なる)から学校に行くのを渋るようになり、小学校2年のGW明けから不登校になりました。

きっかけは、隣の子とのトラブル。

隣の席の子は、気が強い女の子で、「〇〇できてない!!!」「〇〇しちゃだめ!!!」と長男が苦手なところを強くダメ出しされてしまい、長男がクラスのみんなの前で泣いてしまった・・・ということがありました。
 
私は担任の先生にそのことを伝え、担任と長男と隣の女の子と話し合いがもたれました。その後、女の子の親御さんからもお詫びのお電話をいただきました。
 
長男本人も、話し合いで「自分の思っていたことを話せた」と言い、これで一件落着・・・・とホッと胸をなでおろしていたところ、GW明けに、長男はおたふく風邪になり、しばらく学校を休むことに。
 
その後、体調が回復してからも、朝、登校したはずが途中から家に戻ってきてしまうことや、何やかんやと理由をつけて学校を休みたがるようになりました。
 
何週間か、息子と押し問答して「学校に行きなさい!!!!」と強く言っていた私ですが、息子が自分の部屋にこもって必死で抵抗し、その部屋から出てこようとしないのを見たとき、
 
「あ、これは、もう押したらやばいな。。。無理に行かせても、息子の心が危ないな」と感じ、それ以降は、無理に学校に行かせることはしませんでした。


 

長男には「学校は合わない」という思い込みから、『学校』という選択肢を0にしてしまったエピソード


思えば、長男は小さな頃から人とちょっと変わっているところがありました。
こだわりが強めで、気持ちの切り替えは苦手でした。
 
幼稚園の入園試験のときには、担当した先生から「目線が合わないから、もしかしたら、発達障がいの可能性もあるかもしれない」と言われたこともありました。
 
でも、私自身は初めての子育てだし、親からみると、長男は人とのコミュニケーションは取れるしよく話すので、私としては「そんなの見当違いだよ。先生、息子の何を見てるんだろう」と全く腑に落ちていませんでした。
 
その後、すぐに引っ越し、別の幼稚園に行くことになりましたが、のびのびとした幼稚園で、長男の言い分を聞いてくれるところだったので、(息子は母子分離不安とこだわりが強い子どもではありましたが、)先生たちの温かい見守りの中、すくすくと成長していきました。
 
ただ、息子の様子をみていると、人とペースを合わせるのが苦手で、マイペース。

「学校には合わないかもなぁ」と、幼稚園時代から、長男をみてぼんやりと感じていたのを思い出します。


この画像は息子ではありませんが、こんな感じで、幼少期は虫採りに励む毎日でした。


 
学校を嫌がる息子の姿をみて、「やっぱり息子には学校は合わないんだ・・・」とショックを受けると同時に、

「じゃぁ、学校以外の場所を探せばいいんだ!息子に合うどこかの別の居場所を探そう!」と、私はあまり葛藤もせずに、すぐに『学校』という選択肢を、息子の人生から外して考えてしまったのだな・・・・とあの時の自分の状況を振り返り、自分の親としての在り方を見つめ直しています。

正直、私自身も学校との関わりに苦手意識・拒否感を感じていたので、息子の不登校をきっかけに「学校とこれ以上、関わらなくていいんだ!」とすっきりとしたのも事実です。
  
今は、親としてしっかり『真実』を見て、親としての責任も果たしていこうとも思っていますが、親として、私はあの時いっぱいいっぱい キャパオーバーで、あぁするのが精いっぱいだったなぁとも過去を振り返っています。


フリースクールへの選択=ユートピア到来だと思っていた日々


その後、私は、長男のために、学校以外の居場所を探すのに、一生懸命になりました。
 
当時、住んでいた埼玉のフリースクールを探し求めて、苦手な運転をして片道40分かけて、体験に行ったり、いろんな情報を集めて、長男に合いそうなところをピックアップしたり。
 
でも、なかなか埼玉では、息子に合いそうな場所が見つかりませんでした。
 
そんな中で、当時、海の生物が大好きだった息子にピッタリのフリースクールと出逢いました。

そのフリースクールは神奈川県の逗子にありました。

何回か家族で逗子に行き、フリースクールも体験し、息子もすっかり乗り気でした。
 
主人も「息子のためなら」と、家族で埼玉から逗子への引っ越し。
長男が小2の晩秋のことです。
 
この時、転校先の学校には「息子はフリースクールに行きます。学校には行きません」と言って転校しました。

面接した当時の校長先生や教頭先生も目が点でしたが、それでも学校側で「この学校にもTくん(息子)の場所はあるから、来たくなったらいつでも来てくださいね」とおっしゃって下さっていたのは、今思えばとてもありがたいことです。

このとき、私自身、学校との関係から完全にフリーになったと感じていました。
 
その後息子は毎日、フリースクールに通うようになり、私自身もすっかりフリースクールが居心地よくなって、運営のお手伝いもするようになりました。

「ここに通っていれば安心。」「学校に通わなくても、理想の居場所がある」
 
フリースクールが息子の居場所というよりは、私自身の居場所になっていたのかもしれないと、今では思います。


長女も不登校に


長女は兄も、母もフリースクールに関わっていましたから、当然のように、小1のGW明け当たりから、学校に強い抵抗を示すようになり、長女もフリースクールに通うようになりました。
 
この頃の私は、「学校ってめんどうくさいから、子どもたちのおかげで、学校と関わらなくて済むからラッキー!」なんて、能天気に感じていました。

「学校に行かない」という選択は、すべてこどもたちの意思で、私はその想いを尊重しているだけ・・・と思い込んで、こどもたちが学校に行かないことをちっとも『問題』だなんて考えていませんでした。
 

「学校に行かない」をよく葛藤し、観察することの大切さ


こどもが「学校に行かない」と言い出した時、親としてはとても焦りますよね。

たくさんの苦痛も感じると思います。

もちろん、「学校だけがすべてではない」ですし、こどもたちの教育には「たくさんの選択肢があっていい」と私は今でも思います。

だけど、今、当時の自分も振り返ってあえて言いたいことは、「葛藤することの大切さ」です。

当時の私は、心のスペースがキャパオーバーで、「葛藤」を抱えることができなかったのだと感じます。

お子さんが学校に行かなくなった時、本当に大切だと思うのは、親の心のスペース(余裕)です。


その心のスペースでもって

・お子さんの様子をよく観察すること。

・すぐにお子さんの状況を決めつけないで、あいまいな状態を親自身も自分に許していくこと。

・親が自分の感情やこれまでの生き方に目を向けること。

もちろん、親がこどもを一人で抱えるのは本当に大変なので、心をありのままにわかちあえる『つながり』も大切です。

続きは後編 ② へ ↓

※ 2022/2/25配信コラムのリライト

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