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私にとっての阿倍野~母と最後に会った街~

去年の2月のこと

コロナの話で世間が騒ぎだしていた頃、友達に会うために大阪に行った

用心に用心を重ねて

私達は2人で「B級グルメを食い倒れよう」と計画し

難波の嵜本ベーカリーのトーストで沢山のジャムを楽しみ
道頓堀でたこ焼きを食べ
とんぼりクルーズを待っている間に串カツと生ビール
梅田に移動して阪神百貨店のバレンタインイベントでパフェを食べ
同じく阪神でイカ焼きを食す
〆はフルーツスパークリングで食い倒れ終了


2日目は母と母の大切な人と3人でランチをした

いつものハルカスのビュッフェ

母はいつものようにお酒を飲みながら食べたいもの、食べられるものを食べる

母は腸閉塞で手術を受けてから食べられないものが増えた

母は自分が食べたいものを他の誰かにも食べさせたいらしく、いつも多めに取る

我が家の末っ子長男の結婚式の翌日、みんなで横浜中華街でランチをした時も母は自分はたいして食べないのに単品料理とセットを注文した。

「おばあちゃん大丈夫?そんなに食べられる?」と心配する孫達に「大丈夫大丈夫」と笑顔で注文する。

料理を待つ間に母が言う

「誰か食べるやろ」

「やっぱりかー。みんな自分のを頼んでるから食べられないよー」と娘達

私達はご飯を残しせっせと母が注文した料理をお腹に片付ける

みんな食べたいものを自分で注文するからお母さんはお母さんが食べられる分だけにしときや、と何度言っただろう

今思うと冷たい娘だ

この日も母が取ってきてくれたものをありがとうと食べてあげれば良かった

私は、流行り病予防のため料理のやり取りはしないよ、と76才の母に言って聞かせた

ビュッフェは時間制限があるので、近くのコメダ珈琲に移動しリムジンバスの時間までを過ごした

ランチの時も、コメダの時も母は私の隣に座った

あの時、写真を撮ってもらえば良かった

向かいに座っている母の大切な人に「写真を撮ってください」と言えなかった

あれが最後だなんて思ってもいなかった 

私も

たぶん母も



空を見上げるとふと思い出す

母との待ち合わせ場所に行くために通った大きな歩道橋

ハルカスの展望台に降り注ぐ陽の光り

ハルカスから見下ろした阿倍野の風景

これからは1人で見ることになると思うと寂しくてたまらない


「元気でいればまた会えるよ」

いつもそう言っていた母


この流行り病が落ち着き、県外移動をみんなが気にならなくなったらハルカスに行ってみよう

ひとりで




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