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読むことの自由 スピノザ 「エチカ」

今週、2年続けて参加して来た「エチカ」ゼミが最終回を迎えた。毎月、該当箇所を精読しレジュメを書く。ゼミ当日はレジュメを手にみっちり3時間くらい言葉を交わす。

エチカを巡る旅の始まりはこんな感じだった。

ようやく最終回までたどり着いた。ゼミが始まった2年前の春はコロナ禍、真っ只中。いつ終わるともしれない見えないウイルスとの共存生活に疲れが溜まっていた頃でもあった。

2年経った今、世界はすっかり以前のような活気を取り戻しつつあって、外国からの観光客で奈良も京都も賑わっている。

「エチカ」を読み始めて2年が過ぎたけれど、毎回読むのもレジュメを書くのも相変わらず思うように進まない、成長してないな~と思うけれど、この感じ何かに似てるな~と思ったら、ジムに通ってワークアウトに取り組んでたときのことを思い出した。

自分でやろうと思い立って申し込み、最初は楽しかったけれど段々ダレて来る。休もうかなと思うけど、身体はエクササイズした後の爽快感をもう覚えてしまっているので「やっぱり行ってみよう」と思い直して出かける。着替えて身体を動かしているうちに徐々に調子が出て来て、最後は気持ち良く汗を流し、帰り道では「めんどくさいと思ってたけど行って良かったわ~」と思いながら軽い足取りで歩いてる自分がいる。そして、なんだかんだ言いながらも、ちょっとずつ筋肉が増えて身体のラインに変化が出て来たり、柔軟性もアップしてたりするのに気付く。なので、辞められない。

私のエチカゼミは自分の読解力をフルに使い切る脳のワークアウトというか、ジム通いみたいなものだったのかもしれない。

あ~そろそろ読まなあかんなと重い腰を上げる。この時点で前回のゼミからほぼ1ヶ月経っているから、案の定、先月のことはさっぱり忘れている。また振り出しに戻ったな~という思いで該当箇所を読み始めるも頭に入ってこない。それでも食らいつくように必死で読む。ありったけの読解力を駆使して、脳の限界まで使って読む感じになる。それでも、わからないとこだらけだけど2年経って、わからないものをわからないなりに食らいついて読む粘り強さが身に付いた。

そもそも読書って何なん?読むってどういうこと?という問いにぶち当たったのも「エチカ」だった。そういう意味では自分の読書観が大きく変化した一冊でもある。

全部をわからなくてもいい。ただ読むことを体験する。そんな時間だったけれど、正解や答えを求めて読むことから解放された気持ち良さもあって、それは自分にとっての読書というものを「自由」にしてくれた気がする。

定理四二
備考 以上をもって私は、感情に対する精神の能力について、ならびに精神の自由について示そうと欲したすべてのことを終えた。これによって、賢者はいかに多くをなしうるか、また賢者は快楽にのみ駆られる無知者よりもいかに優れているかが明らかになる。すなわち無知者は、外部の諸原因からさまざまな仕方で揺り動かされて決して精神の真の満足を享有しないばかりでなく、その上自己・神および物をほとんど意識せずに生活し、そして彼は働きを受けることをやめるや否や同時にまた存在することをもやめる。これに反して賢者は、賢者として見られる限り、ほとんど心を乱されることがなく、自己・神および物をある永遠の必然性によって意識し、決して存在することをやめず、常に精神の真の満足を享有している。

さてこれに到達するものとして私の示した道はきわめて峻険であるように見えるけれども、なお発見されることはできる。また実際、このように稀にしか見つからないものは困難なものであるに違いない。なぜなら、もし幸福がすぐ手近かにあって大した労苦なしに見つかるとしたら、それがほとんどすべての人から閑却されているということがどうしてありえよう。たしかに、すべて高貴なものは稀であるとともに困難である。      

スピノザ「エチカ」第五部 定理四二

ここに出て来る賢者のようになれるかどうかはわからないけど、スピノザの言うとおり道は険しいけど発見されることはできるというのは希望だ。

エチカを読んで、人生観が変わったとか何か真理を得たみたいな手応えはつかめなかったけれど、本の読み方は変わった気がする。そしてスピノザのいう神を理解できたとは言えないけれど、自分にとっての神的なものに少しは近づけたんじゃないかと思う。それはスピノザの言葉を鏡にしてというか、他に読んだ本などの影響もあるけれど。

自分と全く違う時代を生き、神について考え、言葉にした人が存在したということ。その存在に出会わなければ、考えなかったことや感じなかったことがある。時を経て読み継がれていく古典の持つ強靭さにふれて、改めて古典を読むことの大切さにも気づいた。

来月からはメルロ・ポンティ「知覚の現象学」のゼミが始まる。メルロ・ポンティは30代後半に出会って読みこなせず挫折したことがある。あれからもう木星がひと巡りした・・・またチャレンジしてみようかな。

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