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三月の記憶と愚人節

三月は土冥のお引越しなどインパクトのある星回りが続いた。

これまで滞っていたところに勢いよく水が流れ込み、気付いたら大きな河ができていたみたいな。子どもの頃、砂場で作った山に水路を作って水を流したときの小さな感動というか、地形って、こういう風にできていくんだなと手を動かしながら気づいていくような時間。

それは星たちの動きだけではなく、人が醸し出すエネルギーが街を包み込み、単なる人出の多さやインバウンドの復活だけでは語られない、街の活気を生み出していく様子とも重なる。

この三年近く続いていた停滞・閉塞感を感じる時間が解凍されて、新たな時間を取り戻しつつある今春。

逸る人の気持ちを察したかのように例年よりずいぶん早く開花した桜。遠方からのお客さまや家族と一緒に早咲きの桜を満喫した。

人も街もまだ新しい世界の始まりに追いつけてなくて、どこかぎこちなさも感じられたりするけれど、それも何だか微笑ましい。

桜並木で有名な川沿いを散歩していたとき、自撮り棒を抱えた年配のカップルに出会った。満開の桜と西の空に沈みつつあるオレンジ色の夕陽を立ち止まって見ている二人。ご主人の方が歌を口ずさみ始めた。どこかで聴いたことあるような広東語の歌。そっか、今日は四月一日、張國榮の命日だった。

今年の愚人節(エイプリルフール)はこの三年がまるで幻だったかのような、嘘みたいな気分になった。

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