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駆け足の10月

気がつけば、10月も明日でおしまい。今月はお誕生月ということもあって久しぶりの再会が続いた。おかげでいろんなところで大切な人たちと美味しいものを満喫。ありがたい。パンデミック前は毎年海外で迎えていたソラリタもここ数年は日本で過ごしている。これはこれでいい感じ。友人たちに奈良の街を案内するのも楽しい。

51歳・・・ネイタルの天体とソーラーアークの天体がセプタイル(51度)を形成。残りの人生でこれだけはやりたいと思うこと、自分にしかできないことに真っ直ぐエネルギーを注いでいくこと、そんな時期に差し掛かっているのを感じる。

身体に関してもこれまでよりも丁寧なケアを求められてるな〜と実感することもある。それでも人生のストライクゾーンが定まって来たというか、ある意味もうここからはやりたいことをやり切るしかないんだな〜という開放感もあったりして、それはそれで爽快。来月はまた新しい学びもスタートする。

どんどん生き方がシンプルになって優しくなって来た感じがする。挑む、試す、形にするというプロセスと同時に以前のような直線的なエネルギーだけじゃなくて、もっとふんわりした鷹揚で寛容なエネルギーが自分の中から湧いてくるようになって来た。それはとんがった心のとげとげみたいなものを丸く磨いで、自分で自分を責めなくなったし、周囲への当たりも柔らかくしてくれている。

からだに感じる老いとは別にこころは未だにどんどん成長し続けていて、思索も深まるようになったし、勢いで物事を為すのではなく、少し待って様子を見るとか周囲との温度や歩調を合わせていくとか、そういうことが自然にできるようになって来た。

当たり前だと思っていたことも十分、奇跡に値するし、自分の頭が勝手に作り上げた大きな幸せを追っかけていた頃には気づけなかったささやかな幸せを感じる感性が養われた。それは振り返ってみるとパンデミックの置き土産みたいなものでもあるのかなと思う。

不自由な暮らしの中で見つけた「わたしの自由」はもうどこに行っても何をしていても誰といても奪われない、なくならない。

街が世界が自由を取り戻しつつある今、少しずつ自分の内で育ってきたものが目に見える形になってきて、それは嬉しい変化だ。

生きるために星を読む。

生業としてだけではなく、生きることそのもののために星を読んで生きて来たし、これからもそうやって生きていく。

いろんなことに、いろんな可能性に手を伸ばしていくとき、この星を読むことがホームになってわたしを支えてくれている。

欲と野心は似てるようで違う。単なる自分の個人的欲求を満たすことに終始するのではなく、健やかな野心を持つこと。自分の力を社会に投入し役立てて生きたいという野心を大切にしていきたい。

ひとりになって、自分の名前を取り戻して20年。やっと、まだまだ・・・いろんな思いはあるけれど、こうして何とか自分の世界を自分の力で築き上げ、そこにはまだ可能性があって、さらに物質的にも内面的にも豊かになっていく伸びしろがあって、希望に包まれている。不便や不満がないわけじゃないけど、それもいい意味でモチベーションに転化していく力や機会が与えられていて、周囲の人たちや出会いにも恵まれて、自分を信頼して愛すること、人を愛して信頼することができるようになった。

不確実性に怯まず、それを可能性と希望に置き換えて前に進む。そういうことがちょっとずつできるようになって来た。それは自分ひとりの力ではできなかったことで、数々の出会いや別れが今の自分を作ってくれた。

上手くいったこともいかなかったこともそのいずれもが今のわたしにつながっていて、それは大事な経験として自分から引き剥がすことはできないし、どの経験も宝物なんだと思う。

誕生日の朝に書いた日記。51年目も楽しみながら進んでいきたい。

伊勢で両親と一緒に見た十三夜のお月さま、綺麗だったな〜

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