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時間をはずした日のこと

7月25日は「13の月の暦」の時間をはずした日。1年を28日×13カ月(364日)+時間をはずした日(1日)という時間で計る13の月の暦。7月25日は大晦日的な特別な一日。この日は予定は入れず空白の1日を楽しむことにしていた。

午後から近くの大型書店に向かい、気になる本を数冊手にして窓際のテーブルに席を取り、コーヒーとドーナツを注文し、ゆっくり過ごすはずだったのだけど・・・

席に着くと後ろの席で中学生らしき女の子が二人、仲良くしゃべりながら勉強しているのに気づいた。この時間帯は割と静かだった店内。彼女たちの会話が聞こえて来た。英語の授業の話をしていて、今習っている文法の内容から推測すると中学一年生だと思われる。その後、部活のことなどたわいも無い会話が続いていたのだけど、会話は思わぬ方向に進み始め、自殺の方法について語り始める二人。二人の会話に心臓がバクバクして来た。

手にした本の文字を追う気になれず、耳がふたりの会話に吸い寄せられてしまう。どういう方法で自殺すれば遺体の損傷を避けられるかなど自殺について具体的なことを語り合う二人。詳細はここでは書かないけれど、その衝撃的な内容、それを夏休み中の中学生の女の子二人が話し合っていること、彼女たちの死生観、死への軽い眼差しというか、とてもカジュアルな感じで死というものを捉えていることに愕然としてしまった。

この子たちを簡単に死に向かわせるような社会を自分たちは作って来てしまったんだな。おそらく彼女たちの親御さんはわたしよりも若いんじゃないかと思う。これまでも子どもたちと接したときに似たような罪悪感を感じたことはあったけど、今回はいつもと違う責任というか重さ、申し訳なさを感じた。

13歳くらいの子どもがもう生きていたくない死んでしまいたいと思い、自ら命を断つ方法を検索する、そんな世界に今自分は生きている。

この後、もし二人に何かあったらどうしようと頭がグルグル。声をかけるべき?いやっ、それはお節介?どうしていいかわからず悶々とする。コーヒーとドーナツを口にしてもなんだか味がしない。

しばらくして、そろそろ夕飯の時間になったからか二人はそろって席を立った。帰る頃には少し会話のトーンが明るくなっていたので、まぁ大丈夫だろうと胸を撫で下ろしたけれど。それにしても、あまりにも死を軽く捉えていることに驚いたし、ショックでもあった。

あれから1週間・・・このときの体験をどう受け止めていいのかよくわからず心が消化不良を起こしていた。昨夜、友人たちと語り合う時間があって、この件について話してみて、少しずつ心が落ち着きつつある。

このような世界を作った原因はひとつじゃないし、特定もできない。そして、そこで起こっている問題は個人が抱えきれるものでもない。だけど、その原因も問題もこの世界を構成する一員としての自分と結びついていることは確かだ。

今回の時間をはずした日は大事な宿題をもらったような気がする。今、自分に何ができるのかはまだ見えて来ないけど考え続けていこうと思う。そして、何か自分にできることが見えて来たら、ちゃんと行動に起こしていきたい。


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