見出し画像

SS【永劫回帰】#シロクマ文芸部

お題「雪化粧」から始まる物語

【永劫回帰】(1937文字)

「雪化粧されると、小さな庭もきれいに見えるわね」
「ゆきげしょうってなに?」
「ほら、雪が積もるとみんな隠されて白くきれいになるでしょ。お化粧したみたいに見えない?」
「サクラさんもお化粧してる?」
「してないわよ」
「でもきれいだよ」
「まぁ」

 ふふっと笑うサクラさんの白い肌が淡い桃色になった。あの時は子どもだったから、思ったままを言葉にできた。
 今だったらとても言えないだろうけど。

 サクラさんとは、家が隣同士だった。
 両親を早くに亡くしたぼくは、おばあちゃんと二人暮らしだった。おばあちゃんは朝早くから八百屋さんで働いていたから、ぼくはいつもサクラさんの家に遊びに行った。
 毎朝あたりまえみたいに家に来て、夕方まで遊んでいる子どものことをサクラさんはどう思っていたのだろう…。でもぼくは一度もサクラさんに邪険にされた記憶がない。
 まだ二十歳くらいだったはずのサクラさんが、なぜ学校にも仕事にも行かず、たった一人で暮らしていたのかも知らない。

「雪、まだ降るかなぁ」
「今日は一日降るみたいよ…」
「きれいだね」
「そうね…」

 サクラさんは雪化粧された庭をずっと見ている。三坪くらいの小さなちいさな庭だ。
 その日のサクラさんは無口だった。いつもはいろんなお話をしてくれるのに。話しかけてはいけないみたいな感じもした…。外を見るサクラさんの白い横顔がいつもよりさらに白くきれいに見えたのは、雪が反射していたせいかもしれない。でもぼくは少し怖くなった。

「雪の日のお汁粉っておいしいよね」
 だから、なぜかそんなことを言った。お腹がすいていたわけでもないのに。サクラさんは夢から覚めたみたいにゆっくり振り向いて微笑んだ。
「そうね。ちょうどあんこを炊こうと思ってたから、作りましょうか」

 ぼくたちは台所に行った。
 サクラさんは白の割烹着を身につける。ちょっとナナメになった蝶々結びを、ぼくはどうしても引っ張りたくなる。
「だめよー、いたずらしちゃ」
 ほどけた蝶々を結び直しながらサクラさんが笑う。ぼくはさっきまでの怖さが消えて大笑いする。サクラさんの足にしがみついて、ばかみたいに。サクラさん、サクラさん、もっと笑って…。

 静かな台所で、鍋の中の小豆がクツクツと音を立てている。サクラさんの白い手に菜箸が握られている。たまに小豆を一粒つまんで固さを確かめる。ストーヴの上のヤカンがしゅんしゅんと湯気を立てている。
 ぼくは顔を火照らせながら、ずっとサクラさんの割烹着の裾を握っている。決して離してはいけないような気がして。離しちゃだめだぞ、離したら……。

 でもサクラさんは、ふと思いついたみたいに、隣の部屋に行こうとする。ぼくは割烹着の裾を握ったまま、金魚のフンみたいに付いていく。サクラさんは一枚のレコードをかける。いつも聞く歌謡曲なんかとは全然違う音が流れ出す。生まれて初めて聞くクラシック音楽。おでこの辺りがムズムズするような、浮き上がるような不思議な感覚だった。

「『花のワルツ』っていう曲よ。ほら、雪が音楽に合わせて舞ってる…」
 ぼくはコクンとうなずいたけど、うまく言葉にできなくて、二人でしばらく黙って窓の外を見ていた。
 外では降り積もる雪がどんどん厚みを増している。お化粧というより布団みたいだ。

「サクラさんはお化粧しないでね…」
 ぼくの口からスルリとそんな言葉が出た。
「どうして?」
 ぼくは首を大きく横に振った。わかんない。でもしてほしくない。

「…でも、死ぬ時はね」
 え?ぼくは顔を上げた。
「お化粧してもらうのよ」
 サクラさんはたしかにそう言った。その顔にはなんの表情も浮かんでいなかったけど。ぼくはまた怖くなって割烹着の裾をさらに強く握り締めた。
 でも、ぼくの手はサクラさんの柔らかい手でほどかれてしまった。
「お鍋を下ろさなきゃ。危ないから離れてね」
 離しちゃだめだったのに…。

 お汁粉はとても美味しかった。ぼくは三杯もおかわりした。
 サクラさんは自分は少しだけ食べて、にこにこしながらぼくを見ていた。食べている間も、花のワルツにあわせて雪は降り続けていた。雪も音楽も、ずっと止まなければいいのに…。ぼくはそう思いながらお汁粉を食べ続けた。


 サクラさんのお汁粉を食べたのは、その時だけだ。
 お化粧したサクラさんの顔をぼくは覚えていない。

 …今でも、もし願いが叶うなら、あの時のお汁粉を食べたいと思う。
 サクラさんと一緒に。

 雪化粧された小さな庭、温かい部屋、甘いお汁粉、花のワルツ。
 そして、白い割烹着姿のとてもきれいな人。柔らかい手…。
 ぼくの人生で、完璧に満たされていた唯一の瞬間。

 永劫回帰、という言葉を思う。
 あの瞬間のためなら、ぼくは何度人生を繰り返してもいい。

 もう七十年以上前の話だ。
 ぼくは病院のベッドから、窓外の雪化粧された景色を見ている。


おわり

(2024/1/20 作)

小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』イベントに参加させていただきました☆

ニーチェに詳しいわけではありませんが、好きなコトバではあります…
来世は信じてるんですけどねー(・∀・)
ちょっと感傷的な話になっちゃいました。

おもしろい!と思っていただける記事があれば、サポートはありがたく受け取らせていただきます。創作活動のための心の糧とさせていただきます☆