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掌編小説【巻貝】

お題「化石」

「巻貝」

初売りでごった返す人々の中を母に引きずられるように歩いていた私は、とうとう疲れ果てて母に言った。ここで動かないで待ってる、荷物も見てるから。そこは階段の踊り場だった。母は困った顔をしたが、本当にここにいるのよ、二十分くらいで戻るから。そう言って小走りで福袋売り場の方に走っていった。やれやれ。私は福袋なんか興味ない。福袋だけじゃない、なんにも興味ない。つまらない。私は壁にもたれて通り過ぎていく人々を見た。誰もが浮かれたようにしゃべり、たくさんの荷物を抱えている。私は今度は壁に目をやった。壁には複雑な文様があった。何度も訪れている百貨店なのに初めて気づいた。ヒビが入っている所もあるし、石の断面のようなものもある。よく見ると、巻貝のようなものが見えた。これはもしかしたら「化石」? 通り過ぎる人々は誰も壁なんて見ない。私は自分だけの発見をした気がしてうれしくなり再び壁に目をやった。巻貝はまだ生きているみたいに壁に貼り付いている。貝だから、きっと最初は海にいたのだ。そこに土とか砂が堆積して、何万年も経って…化石になるんだっけ。理科の時間に聞いたけどよく覚えていない。
私は巻貝にそっと手を触れた。不思議なぬくもりを感じた。冷たいのに温かい。私は考えてみた。私も何万年か経って、未来のどこかでこんな風に化石になっていたりして。そして未来の誰かが今日の私みたいに退屈していて、なんとなく壁をみたら女の子の化石を見つける。その人はなんて思うだろう。この子はどうしてこんな所に貼り付いているのか、どんな人だったんだろう。そして私に聞くかもしれない。そしたら、化石の私は答える。私もすごく退屈していたの、とても窮屈でなにもかも思うようにならなくて、生きているのがいやになって…。
私はふと巻貝に話しかけてみた。巻貝だって話しかけられたいかもしれない。
「巻貝さん、あなたはどうしてここにいるの?」
巻貝は答えた。
「昔々のことだから忘れちゃった。そしてあたしに話しかけてくれたのはあなたが初めて」
私はびっくりした。答えてくれるとは思わなかったのだ。
「話ができるの?」
「もう随分長い間ここにいるんだもの。みんなの話を聴いて覚えちゃったわ」
「昔は海の中にいたんでしょう?」
「多分ね。でも今は石の壁の中。あたしね、もうここに居るのに飽きちゃったの。あなた、あたしをここから出してくれない?」
「無理よ、そんなの」
私はびっくりして答えた。巻貝はため息をついた。
「やっぱりねぇ…。でもいいの、あたしなんとなくわかるのよ、もうすぐここから出られるって。だから気にしないで」
私はなんとも答えられなかった。
「あたしを見つけてくれてありがとう。あなたって、うんと長生きするわよ。長くここにいるとそういうのもわかるの」
私は心の中でウンザリした。こんな人生が長く続くですって?巻貝は私の不満そうな顔に気づいたようだった。
「誰もあなたを閉じ込めてやしないでしょ、自由なのよ。そしてまだたくさん時間があるの。うらやましいな。…あ、お母さんが戻ってくるわよ。ありがとう。話せてよかったわ」
大きな袋を抱えた母が小走りで戻ってきた。ごめんね、待たせちゃって。…ううん。私はもう一度壁を見たが巻貝はもう何も言わなかった。

あれは夢だったのだろうか。それから何度か巻貝を見に行ったが、巻貝は沈黙したままだった。壁に触れても、ただひんやりと冷たかった。

「まぁ、あの百貨店、老朽化で取り壊しですって」
数か月経ったある日、新聞をめくっていた母がつぶやいた。私は巻貝の言葉を思い出した。
(もうすぐここから出られる)
そういうことだったのか…。でも粉々に砕かれた巻貝の化石はどこに行くのだろう。

百貨店が解体された日の夜、私は夢を見た。
冷たいのに温かい、太古の海の中に私は浮かんでいた。私は巻貝だった。海流に乗っている。流されている。くるくると回りながら。
「化石になんてなるもんじゃないわね、ここに戻るのに随分かかっちゃった。でもやっと自由になれたわ」
私はうーんと身体を伸ばした(巻貝なのに、そんな感じがした)。何万年も固まっていた身体がほぐれる。温かい海水が心地よい。
「あたし、今度は人間になりたいな。ずっと見てるだけだったんだもの…。そして、うんと自由に生きてやるんだ」
ワクワクしながらそうつぶやいた時、目が覚めた。
そして、巻貝の言葉を思い出した。
(誰もあなたを閉じ込めてやしないでしょ、自由なのよ)
私は布団から出て、うーんと身体を伸ばした。

おわり (2022/1 作)

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