見出し画像

SS【スカイグレー】#シロクマ文芸部

お題「文化祭」から始まる物語

【スカイグレー】(2442文字)

 文化祭当日の空は『スカイグレーハウス』の名の通り、青みがかった明るい曇り空だった。
 おかみさんは淡く微笑みながら、玄関に迎えに出た俺たちに言った。
「今日はいい空だねぇ。あたしゃ青空より曇り空が好きさ」

 『スカイイグレーハウス』は一般的な老人ホームではない。かつての大工仲間が集って自ら運営している、いわゆるシェアハウスだ。かつての棟梁が建てた立派な家を、天涯孤独の俺たち七人の弟子に開放してくれたのだ。
 棟梁の葬式で喪服を着たおかみさんからその話を聞かされた時は、みんな男泣きに泣いた…。
「棟梁も亡くなったし、みんなも老後は不安だろうからね。あたし達には子どもがいないし、みんなが子どもみたいなもんさ。仲良く使っとくれ」

 宵越しの金は持たねぇなんていきがってきた俺たちには、涙が出るほどありがたい申し出だった。情けねぇ話だが。
 おかみさん自身は持病もあって介護施設に入居したから、男ばかりの七人暮らしだが、長年一緒に働いて気心も知れてるし、みんな一人暮らしが長いから家事も問題なく分担できる。
 おかみさんは慈悲深い神さんだ。俺たちはおかみさんがいる施設に足向けて寝られない。

 で、文化祭だ。
 文化と言えば『文化住宅』しか思いつかねぇし、仕事がなけりゃ飲んでるかパチンコにしか行かないようなだらけた俺たちに、ある日様子を見に来た慈悲深いおかみさんがこう言ったのだ。
「あんたたち、せっかく大工を引退したんだから、ちっとは人間らしい楽しみを見つけたらどうだい。そしてそれをあたしに見せとくれよ。…そうそう、文化祭でも開いてさ」

 俺たちは目を覚ました。酒やパチンコでひまつぶししてる場合じゃねぇ。おかみさんの言葉は神さんの言葉だ。
 それに、かつては若尾文子みたいに別嬪だったおかみさんに弟子たちはみんなポーっとなってたもんだ。八十過ぎた今だってやっぱりきれいだし、鶴田浩二ばりの男前だった棟梁とは惚れ惚れするほどお似合いで、横恋慕するような馬鹿もいなかった。要するにおかみさんは絶対に手が届かない高嶺の花だったのだ。
 しかし今、棟梁の代わりにその憧れのマドンナを楽しませることができるかもしれない。これまでに受けた二人からの大恩、どうがんばったって返せるもんじゃないが、少しでもおかみさんが楽しんでくれるなら、なんでもやろうじゃないかと俺たちは思った。棟梁も草葉の陰から笑って見てくれるだろう。

「出し物はなににする?」
「みんなで別々のことするか?それとも一つに絞るか?」
「とにかくおかみさんが喜ぶことだ」
 そうだそうだ。その点で七人の意見は一致した。

 青い曇り空をふり仰ぎながら玄関で草履を脱いだおかみさんは、ほんの数か月前に会った時よりも随分と痩せて、笑うとできたはずのえくぼももう見えない。俺たちは少なからず動揺しながらもおかみさんを居間に通した。
「遠慮なく…なんて変ですが、すいません」
「いいのよ、今はもうあんたたちの家なんだから」
 力なく笑うおかみさんの姿に胸苦しさを感じながら、動揺が顔に出ないよう俺たちは気を引き締めた。
 施設からは連絡がきていた。
 …すでに外出も難しい状態ですが、半日だけでもとおっしゃるので…、あまり疲れさせないように…。

「さて、なにを見せてもらえるんだい?」
 おかみさんに居間のソファに掛けてもらうと、俺たちは芝居を始めた。
 俺たちは芝居を作ったのだ。
 棟梁もおかみさんも俺たちも若くて元気いっぱい働いていた頃のことをそのまま。それは起承転結もなにもなっちゃいない芝居だったが。
 女装したおかみさん役は若尾文子とは似ても似つかないひょっとこ野郎のケンスケだったし、男前の棟梁は不肖ながら俺が務めさせてもらったが、恥ずかしくて顔が真っ赤になってたはずだ。
 しかし、ひょっとこ野郎が「おまえさん…」と寄り添ってきた時には、それが本物のおかみさんみたいな気がして(よくそんな気になれたものだと後から思ったが)なんだか胸が締め付けられて、思わずギュウッと強く抱き締めてしまい、ひょっとこ野郎はヒィッと小さく声をあげた。

 おかみさんは、時折声を上げて笑ったり手を叩いてくれていたが、途中からだんだん静かになり、芝居が終わる時には両手で顔を覆っていた。
「すいません、おかみさん。俺たちこんなもんしか思いつかなくて…。文化祭ってのは芝居とかもするらしいんで、作ってみたんでさ…」
「今度はもっとちゃんとしますんで…」
「怒ってやしませんよね…?」
 俺たちはおかみさんをぐるりと囲んで、小突き合って口々に言いわけしたが、おかみさんは顔を覆ったまま、なかなか動かなかった。

 その時なにを思ったか、ひょっとこ野郎のケンスケがぽつりと言った。こいつは昔から少し頭のネジがゆるい。
「ワシら、白雪姫の七人の小人みたいやなぁ」
 なに言ってんだコイツ。唖然とする俺たちの真ん中で、おかみさんの肩が震え出した。くっくっく……。
「ああ…、あんたたち最高だねぇ。ありがとよ。あたしはもう白雪ばあさんだけどねぇ」
 俺たちは、ケンスケを小突きながらもおかみさんが笑ってくれたことに死ぬほどホッとした。

 おかみさんは、俺が淹れた茶をすすりながら、今日は本当に来てよかった、面白かった、うれしかった、楽しかった、懐かしかった、ほんとにありがとう…、などと何度も何度もつぶやいてくれた。
「ワシら、小人なんでー。姫のためなら」
 ケンスケがまたそう言ったので皆で大笑いした。

 しかし俺たちの文化祭はそれが最初で最後となった。
 白雪姫が天に還ってしまったからだ。
 でも俺たちは前よりちゃんと生きている。おかみさんがホントの神さんになって見ていると思うからだ。

 そして今も時々夢に見てしまう。
「おまえさん…」と寄り添ってくるおかみさんをギュウッと抱き締める夢を。夢の中の俺は爺さんだったり若かったりする。でも目が覚めた時の胸苦しさに変わりはない。

 ……今日の空も青みがかった明るい曇り空だ。
 おかみさんの好きなスカイグレー。
 それは若い奴にはわかりっこない、すべてを受容する美しい空の色だ。


おわり

(2023/9/2 作)

小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』イベントに参加させていただきました。
最初は、今度こそ『青春』を描こうとしたんですよ…。
でもなんででしょうねぇ…(;・∀・)思いついたのはグレーでした…。

おもしろい!と思っていただける記事があれば、サポートはありがたく受け取らせていただきます。創作活動のための心の糧とさせていただきます☆