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掌編小説【考えなし】

お題「玉手箱」

【考えなし】

僕は浜辺を歩いていた。
僕の心には大量の悩み事があった。家族や仕事、人間関係その他諸々…。どれも世間によくある悩み事ではあったが、それらが一度に押し寄せてくる圧力に僕はつぶされかけていた。
だからほんの少しの気晴らしに浜辺に散歩に出たのである。

僕がぶらぶら歩いていると、一人の爺さんがぼんやりと座っていた。
古い着物のような変な服を着た見かけない爺さんだったので、僕はそのまま通り過ぎようとしたが、爺さんが話しかけてきた。
「あんた、変な着物を着とるのぉ」
変な服を着た爺さんに言われてしまった。しかし僕が来ているのは無地のTシャツにジーンズだ。普通すぎるくらいに普通だ。
「僕のことですか?」
少し警戒して距離を取りながら僕は聞き返した。爺さんは僕をぼんやりとした目で見ている。目の焦点が合っていない。認知症の徘徊老人だろうか。
「ついさっき…帰ってきたんじゃがな。ここはどこじゃろうな?」
認知症確定だ。面倒だが放置はできない。
「ちょっと待ってください。警察を呼びますから」
「わしゃ家に帰りたいだけなんじゃ。ここはどこじゃ?」
「ここは、M市のK海岸ですよ」
「ううむ、よくわからんな」
気晴らしの散歩のはずが、面倒事に巻き込まれてしまった。
「お爺さん、お名前は?」
「わしゃ、浦島次郎じゃ」
うーん。
「太郎…ではなく?」
「太郎はわしの兄さんじゃ。助けた亀に連れられて竜宮城に行ってのぉ。わしにも見せてやりたいと、後から使いを寄越してくれたんじゃ」
「…お兄さんは?」
とりあえず話を合わせよう、と僕は思った。
「先に帰ったよ。兄さんは責任感強いでの。わしはバカで考えなしじゃから、家に居たところで食い扶持が増えるだけで役に立たん。じゃから竜宮城に残ることにしたんじゃ」
「お兄さんがどうなったかご存知ですか?」
話の筋は通ってるなぁ、と思いながら僕は聞いた。
「もう死んだかもしれんなぁ。わしも死ぬなら故郷がええと思って帰ってきたんじゃ」
爺さんは、すんと鼻をすすった。
「随分と時が経ったんじゃろうか。あんたも変な着物着とるし」
「今は令和五年ですよ」
さりげなく現実を伝える。
「知らんなぁ、そんな元号は」
ヨッコラショと言って立ち上がった爺さんの足元を見ると、黒塗りの箱に気づいた。
あれはもしかして玉手箱?!まさかこの爺さん本当に…。
「これ…は?」
「それは乙姫様がくれたんじゃ。開けるなと言われたが、まぁええか」

「あっ!」
僕は止めようとしたが、バカで考えなしの爺さんは玉手箱をあっさり開けてしまった。
ボワン!煙が上がり、僕は意識を失った…。

・・・・・

気づくと、ぼくは浜辺に寝転んでいた。ねちゃったのかな。
ふと見ると、隣に男の人がいる。
「おじさん、だれ?」
「浦島次郎だよ…。どうしたんだろう。おれ、若返ってる?」
男の人は顔をなでたり、屈伸したりしている。
ぼくはその言葉を聞いて、さっきまでの出来事を少しだけ思い出した。さっきまではもうちょっと大きかったこと。よく覚えてないけど何か悩みごとがあって浜辺にいたこと。変なおじいさんと会ったこと。おじいさんが黒い箱を開けたこと…。
「ぼく、子どもになっちゃった…」
「おれ、若造になっちまったな…」
ぼくたちは、しばらくぼんやりと海を眺めていた。ぼくは『浦島太郎』のお話を思い出した。
「玉手箱っておじいさんになるとはかぎらないんだね」
「そんなら得したなぁ」
おじさんは楽しそうに自分の手をグーパーしながら言った。そうかもしれない。だって今のぼくの心もスッキリとしている。悩みごとなんか思い出せなくていいや。

「ねぇ、これからどうする?」
ぼくは、ちょっとワクワクしながら聞いた。
「なんとかなるだろ。おれらの人生これからだ」

バカで考えなしって、もしかしたら最高なのかもしれない。



おわり

(2023/4/15 作)


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