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愛とは?捉え方の変化。

皆さまお元気ですか?


わたしの投稿を読んでくださる方がいるということが嬉しいです。ありがとうございます。


細々続けていきます。


今日は、🫶愛🫶についての捉え方の変化を書いてみます。


特に理由などなく、書きたくなったので書きますね。


結論 アラフォーの今の捉え方


○愛とは、ただただ平らな気持ちでわたし自身や相手を見つめ感じること。さらさらした水面のイメージ。


わたしや相手が求めてきた時に、受け入れられる余白を保てている状態。お月様のイメージ。 (→わたし自身が愛そのものだった??気もする。)



後は、自分用メモです↓
お付き合い頂ける方は読んでやってください。

















捉え方の自分史

子供の頃→愛は、周りの人から与えて貰っていたので、愛について考えたりしなかった。


中学生→恋に興味はあるけど、愛って口にするのも恥ずかしかった(笑)。愛という言葉だけを知っていた。


高校生→中学の延長。部活と受験に魂捧げてた(笑)。恋は下心。愛は真心。という言葉だけ印象に残る。


看護系短大→はじめて異性と交際したことで、相手に何かをしてあげたいという気持ちが芽生える。それが、愛??みたいな、ふわふわした感じ。同時に、自分の未熟さから、相手への憎しみという気持ちも経験する。


また、失恋も経験し、愛といっても断片的で継続はしないことを学ぶ。


同性の友達を愛する、友愛の世界を知らなかった。与えて貰っていたのに気付けなかった。ごめん。


社会人→看護師の仕事に疲弊し、愛を忘れて男鬼になる(泣)。むしろ、母親や、家族、職場の人間関係、知り合いなど。依存したり寄りかかってくる人に愛を吸い取られていた。そのことに気付けず、わたしも、仕事以外では他者に依存したり、歪んだ恋愛をしていた。勿論、関係が続くことはなかった。

女性の上司、先輩に支えられ、母性愛の優しさに救われる。


○病人時代 30代 メンタル SLE 特発性大腿骨頭壊死症→谷底まで落ちて、自分や他者を呪っていた(カオス期)。愛の欠片も感じられない。


一方で、自分ひとりの力ではどうにもならないことがあることを学ぶ。


病気、障害を受け入れ、就労を目指すが、体力や現実的なギャップに打ちのめされる。


コロナも重なり、引きこもりながら精神世界やスピの世界に興味を持つ。


愛とは、わたしや相手を赦すこと?信じて待つこと?みたいなふわふわ♪した世界をさまよう。


節目節目で、男性スタッフや男性医師に支えられ、父性愛により、再び生きる力を取り戻す。多面的に物事を見ることを学び、思考の偏りが整いはじめたことで、メンタル面の波がマイルドに変化した。


アラフォー期

深い縁を感じる異性と出会う。お互いに想い合っていることは確信できるが、行動すること、待つことどちらの選択も違う気がして平行線で進展しない。


愛とは、わたしや相手を解放すること。相手を理解できる立ち場にまわること??未だ彷徨い中。


新しい仕事の人との出会いから、私と君の関係から、私とわたしの周りにいる人への世界に視野が広がる。


同時に、まずは、わたし自身を愛する(あらゆる制限や思い込みからの解放と体と心のメンテナンス)という当たり前のことに、ようやく気付く。


遅いんだよな。。。いろいろ。 まぁ、ええか(笑)


散々、こじらせました。


今はもう、生きているだけで感謝です。


今の時代のお子さんや若い方の方が、愛とか平和とか多様性とか、感覚的に自分世代。より先輩なんじゃないかとも思います。




長文、お付き合いいただきありがとうございました。

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