見出し画像

コロナと、喪服と、不要不急の祖父母との逢瀬(未来のわたしとの交換日記6.27)

今日の更新は、「緊急事態宣言が出る前の話」のはなしです。
ふと、いろいろと思い、したためました。限りなく、この日の想いです。
思い出しながら、あえて、時系列を細かく自分の中で確認したりはせず書いたので、ごちゃごちゃしてるところもあります。また、照らし合わせれば、あってない部分もあるかもしれませんが、わたしの記録なので、少しの誤差はお許しください。

わたしの中では、親族の集まりは「不要不急」だと思っているけど、どこかで、高齢の祖父母をはじめとする親戚に会える時間には限りがあることもわかっていて、それは、「不急」ではないのかという思いが遠くの視界をかすめます。

この記事をアップする直前の今の言い訳を記しています。数日後にはまた別の知識を経て、違う気持ちになるかもしれないけど、自粛生活の中で、今後の予定を立てる中でモヤモヤした部分を書きました。

ちょっと暗いかもしれないけど、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

6/27の日記を更新する6/29のわたしより


 

喪服を買った。けど、着る予定がない

制服という衣を脱いで、大人になってから、お葬式や法事に行ったことがない。
幼少期や学生だった頃には、親族の法事なんかもあったりしたけれど、大人になってからは、ありがたいことに、頻繁に連絡を取る親族、近しい親族での、大規模な式はなかった。
仕事でお世話になった方でお亡くなりになった方もいるけど、仕事上での立場や関係性、葬儀の場所などもあり、式への参加は、お花や、場合によっては香典を代表者に渡して遠慮させていただくのが常だった。よって、社会人生活10年生以上なのに、慌てて準備する機会もなければ、調べて買い物に行くようなこともないまま過ごしてきた。

小さい頃からお世話になっていたおじさんの葬儀があった。長い闘病生活を終えてのことだったのもあり、「近親者だけでこじんまりと執り行う」と連絡が来て、参列は控えさせていただいた。大人になって連絡を取ることはなかったけど、幼少期には祖父母や父母に連れられて、おじさんの家に遊びに行っていた。
遊びに行くと、美味しいご飯を振舞ってくれた優しいおじさん。
遊びに来てくれた時には、優しい笑顔で、ゆったりと構ってくれた面白いおじさん。
もう一緒に過ごすことができないのだなと思ったら、ふと寂しさを感じた。

今年の春、一周忌をすることになって、親戚一同で、スケジュールが合う人は「法事」を理由に集まろうということになった。
祖父母も、80才を超えた。もういい年で、頻繁に会うこともない。いい機会だと思った。子供の頃はよく遊んでたけど、この10年会っていないような親戚も集まるということで、とても楽しみにしていた。

喪服を用意して、大人になったことを意識した

法事ということで、喪服や、それにまつわるグッツを買いに行かなくては!と、買い物に出かけた。

法事は、中学生の頃が最後だった気がする。

なかなか着る機会が多くあるものではないし、これから10〜20年は着れるものをと思い、何軒かお店を回って、某有名スーツメーカーで喪服を買った。
流行り廃りのなさそうな、でも、年齢以上に見えそうもない、そして体型をうまくカバーしてくれる、太っても着れそうな、なんかちょうど良さそうなやつを買えたと思う。1月の下旬の話だった。

本来は着る機会なんて、ないほうがいい

結論から言うと、法事を理由に、集まろうとしていた「会」は、コロナのこの状況では、やめたほうがいいだろうと言う判断で、自粛・延期することにした。
「親戚の集まり」というのは、不要不急だという判断だった。

とはいっても、この法事は、緊急事態宣言が出る前だった。
3月中旬、実施の予定だった。

2月の頭には、家族間で、マスクが…消毒液が…と話していたし、ニュースを見て、募る不安がたくさんある中、どうするべきなのか話し合った。
世の中に指針がないまま、もはや正解はどこにもない。
2月下旬に入って、なんども連絡を取り合った。
海外の知り合いからは、スーパーから食べ物などが消えていると聞いてもいた。テレビでもネットでもニュースは不安と、世界の状況を教えてくれていた。生活は変わらないけど、先行きが見えなくて不安は募る。でも周りの環境は変わらないから、せまりくる危機感も、怯えるほどの恐怖を煽るレベルではなかった。
知人とは、今のうちに、常備食と、必要な救急用品は必要な分買った方がいいかもねとも話していたのはこの頃だった気がする。まだ仕事も通常運転で、朝から晩まで、フル稼働していたし、スーパーにも物はあって、マスクもそこまでしている人はいなかったし、まちはごった返していたと思う。
でも、この時期に、みんなで集まると言うのはどうなのか。各地から人が集まるというのは如何なものか、そして何より、祖父母をはじめとした「高齢者」への感染リスク。考えると気が重たかった。
年寄りたちからは、これを逃したら会えないまま、次に会うのは、お通夜になってしまうかもしれないという意見まで出ていた。

でも、せっかくだしみんなに会いたいという気持ちと、会ったことで後悔するかもしれない気持ちを天秤にかけ、
そして何よりコロナ禍の状況下を鑑みて「延期をしたほうがいい」と言う結論に至った。
2月下旬のことだった。
キャンセルでご迷惑をかけないよう式場とも何度も連絡をとっていたけど、式場も、あの状況下では、やめてください、とも、大丈夫ですとも言えず、こちらの気持ちに寄り添ってくれていた。担当者さんには感謝したい。

いい判断だったと思う。
結婚式のキャンセルを決めるカップルや、実施を悩むカップルのニュースも増え始めたとき、とても気持ちがわかったし、家族を思って止める判断をしました、という人にウンウンと、自己肯定でうなずいていた。
緊急事態宣言が出た時、お互いに、「やらなくてよかったね」と口にしていた。
法事を行って、みんなで集まっていたら、
集まった人にウィルスを移してしまっていたかもしれない、
集まった人だけでなく、地域で何かあれば取り返しがつかなかった。

緊急事態宣言は解除されて、自粛期間は終わっている。
新しい生活様式、ウィズコロナ。県境の移動もOKになった。

それでも私たちは、新しいスケジュールが決められない。
第2波があるとの予測に、今の状況、大勢が集まる行事だしと、まだまだ自粛ムードになっている。
でも、このまま自粛が続いていたら、祖父母には、ずっと会えないかもしれない。
大きな病気を何度も乗り越えてきた強い人だけど、高齢には勝てないとわかっているのだ。
それに、何度も乗り越えているからこそ、体力も衰えてきている。ちょっと、気持ちも弱くなってきて、最近は、お迎えが近づいているからとぽろぽろと口にもする。
もう少し若かった時に口にしていた冗談での一言とは、言い方も、その重みも、その言葉が持つ空気も、相手に与える意味も違っている。
お互い、近づいていることが紛れも無い事実だと知っているから。

人はいつか死ぬ。長寿国家であっても、延命治療のレベルが上がっていても、必ず人は死ぬ。それが近い将来か、遠い未来かの違いだけだ。

孫世代も、結婚をしパートナーを紹介し、その子供の顔を見せに行くことで、祖父母孝行をしている。割と仲のいい親族だと思う。
生きてるうちに、少しでもたくさんの思い出を、プレゼントし続けていたい。

そのためには、会わないといけない。
でも、コロナは怖い。

1日でも早く落ち着いて、安心して予定を決められる私たちになりたい。

いつになるかわからないけど、あの頃のように、なんの不安もないまま集まって、沢山笑って、さよならが寂しくなる時間を過ごしたい。

いつになるかわからないけど、信じて待つしかない。

1月末に買った喪服は、いまだに一度も着ていないままクローゼットに準備されている。
初めて袖を通すのは、誰の何の日になるのか。

着る機会がないことに、越したことはない。
でも、必ず着る日は来る。
この喪服を着た時に、もっと会いにいけば良かった、連絡したら良かったと、後悔しない生活をしたい。

来年の親族での旅行は、断るつもりだったけど、「行っておけば良かったと後悔したくない」と思い、今のところは…と参加表明をした。
いつもなら行かないような集まりにも、顔を出してもいいのかもしれない。
むやみやたらにはしないけど、大切な人となら、「そのとき」を大切にしていこうと思った。

未来のわたしとの交換日記
2020年6月27日のわたし


もし、気に入っていただけたらサポートお願いします。いただいたサポートは、素敵な経験に使わせていただきます。